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社交辞令だろ

◇◇◇


 毎週月と水はアルバイト。裏を返せば週に五回はバイトが休み。母が帰って来る夕方六時過ぎまでがのんびりタイムだ。といっても特に大それたことをする訳でもなく、筋トレをしたり寝転がって漫画を読んだりネットサーフィンをしたりという程度のものだ。


 楽しい時間はすぐ過ぎる理論の正しさを確かめるかのように、時計の針はあっという間に夕方の六時を過ぎる。程無くして鍵を回す音がして築二十二年の賃貸マンションの古びた扉がキィと音を立てて開く。


「おか――」


 律儀にお出迎えの挨拶をしようと言う俺の心遣いをかき消すように、玄関から話声が聞こえてくる。

「あらあら、もう~荷物持って貰っちゃってごめんね~。重たいでしょ?」

「いえ!平気です!全然大丈夫です」


 聞き慣れた声と聞き慣れた声が合わさって聞き慣れない会話を生み出す珍現象。


 まさか、と思い引きつった顔でこっそり玄関を覗き見る。すると、近年見た事が無い位のニッコニコの我が母君と、その横で沢山の買い物袋を持つのは長い髪を後ろでポニーテールにしたジャージ姿の白田桐香。


「五月~、そこで桐香ちゃんに会ったから上がってもらったわよ~。五月~。さっちゃ~ん」

「……そう何度も呼ぶほどデカい家じゃないんだから聞こえてるよ」


 ジロリと抗議の眼差しを母に送りつつ、視線を白田へと移す。


「あ、五月くん。……お邪魔します」

 何やら照れ臭そうにはにかんで買い物袋を台所まで運ぼうとする白田。


「えっと、何か一言くらい説明とか欲しいんですけど、無い感じです?」


 母に送った抗議の眼差しをそのまま白田へと向けると、白田は照れ臭そうに自身の後頭部のポニーテールに触れる。

「あっ……、これ?走るときはいつも結んでるんだ。変……かな?」

「いやいや、そんな事じゃなくてさ。もっと根本的な話っていうかさ。何で俺と同じ小学校だった白田桐香さんがうちにいるのかな、って」


「五月ー、女の子が髪型を聞いてるのに『そんな事』は無いでしょ~?お小遣い要らない感じ~?」


「あー、はいはい。変じゃない変じゃない」


「かわいいって言わなきゃダメでしょ~」

「言うか!」


 話を聞いてみると、ジョギング中の白田がうちの母とエンカウントして、あらあらじゃあ折角だから家までとなったらしい。分かる様な分からない様な不思議な現象。


「何度か見かけてはいたんだけどね。まさか桐香ちゃんだったとは思わなかったな~。昔からかわいらしかったけど、すっかり美人さんになっちゃって」

 特売の大福を袋から出しつつ、ご満悦の母。


 チラリと白田を見ると、白田は特に大福を注視していると言う訳でも無かった。まぁそりゃそうか。俺だって好物が目の前に出てきたからと言って条件反射で涎が出る訳じゃない。そもそも俺の好物ってなんだろう?寿司か、天丼か、あとは……ハヤシライスとかか。腹が減っていれば目も行くが常に行くかと言われるとそんなことはない。どうでもいい考察、終わり。


「あ~、今日も疲れた。桐香ちゃんもおひとついかが?」


 無遠慮にパックを開けて豪快に大福にかじりついた後で、母グマが子に獲物を差し出すかのように大福のパックを白田に向ける。


「母ちゃん、白田は――」

「はい!いただきます」


 食事制限とかなんとかそんな事を考えたけど、そんなのどうだっていいと言わんばかりの良い返事と笑顔で白田は差し出された大福を一つ取る。


「……お前さ、ほら前言ってたじゃん。無理して食べなくてもいいんだぞ?おばちゃんになると誰にでもすぐお菓子勧めるんだから」


「別に無理なんかしてないよ?大福好きだもん。食べたってその分走ればいいんだし」

 そう言って小さな口を大きく開けると白い大福をパクリと一口食べる。


「ふふ、おいしい。久し振りに食べた」


 好物なのに?と思ったが、俺が最後に寿司を食べたのはいつだろうと思って一人納得する。


「もう一ついる?」


「や、太りやすいので。……お気持ちだけいただきます」


 ジャージ姿で我が家の玄関先で大福を頬張る白田桐香さん。なんとなくそんな写真が雑誌に一枚載っていてもいいんじゃないかと思った。


 白田は粉も落とさずに器用に大福を食べる。


 おいしそうに、嬉しそうに。


 一秒か二秒か五秒くらいそのまま眺めてしまってから、飲み物が無い事に気が付き台所に麦茶を取りに行ってやる事にする。

 グラスはこないだと同じグラス。小学校の時からあるらしい少しくすんだグラス。軽い音を立ててグラスは麦茶で満ちていく。


「粗茶ですが」


 そう言ってグラスを差し出すと白田はクスリと笑いグラスに口を付ける。


 ゴク、ゴク、ゴクと麦茶は喉を通る。そこで漸く白田がジョギングの途中だった事を思い出した。


 グラスの麦茶を半分程飲み、ふぅと一息つくと俺を向いてペコリと一礼をする。


「結構なお点前で」


「いえいえ、とんでもない。ガチのマジで粗茶でございますので」


 俺もペコリと頭を下げるが、母ちゃんは呆れ顔だ。


「馬鹿言わないの。割に良い麦茶よ?しかもノンカフェインなんだから」


「麦茶は全部ノンカフェインですぜ」


「あっそう。そんな事より桐香ちゃん、玄関先で立ち話もなんだから少し上がって行ったら?」


 折角人が教えてあげたのに『あっそう』の一言で切り捨てて、『そんな事』呼ばわりしてきた事に驚きを隠しきれないが、そんな俺の内心はいざ知らず白田は慌てた素振りで両手を少し前に出して首を横に振り否定する。

「や、わたし走ってたから……汗臭いので――」

「またまたぁ」

 そう言って母は一切の躊躇も遠慮も無く白田に顔を近づけてスンスンと匂いを嗅ぐ。


 言葉を出せずに白田は口を開けたまま固まる。そして、母は何事もなかったかのように笑う。

「ほら。全然じゃない。……ていうかむしろシャンプー何使ってるの?すごい良い匂いなんだけど」

「や、全然そんな事……」


 白田の顔はみるみる赤く染まる。


「ほら、五月。あんたも嗅がせてもらいなさいよ」

「あ、そう?それじゃ遠慮なく……ってなる訳ねぇだろ。アホか。」


「あ、親に向かってアホかはひどいと思うなぁ」

「はいはい。白田も困ってんだろ。ガキの頃とは違うんだからさ、いい加減距離感とかそう言うの気を付けろっつの」


 助け舟を出したつもりだったが、当の白田は首を横に振る。

「困ってはいないよ?……びっくりしただけだから」


「ほら」


 得意げな母の顔が鼻に付く。


「ほらじゃねぇよ。絶対社交辞令だろ」


 俺と母のやり取りを見て白田はクスクスと笑う。


「……じゃあ、お言葉に甘えて少しだけお邪魔してもいいですか?」


「勿論!大歓迎よ」


「こらこら、社交辞令に乗っかるんじゃないよ。ジョギング中だろ?」


「は~い、給水ポイントはこちらで~す」


 母は麦茶の入ったグラスを持ってリビングへと移動し、白田はチラリと俺の様子を窺いながらも子ガモの様に母の後をついて行った。


 

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