白雪姫と金のガチョウ
◇◇◇
「お疲れ様でーす」
ある日の放課後、白田桐香は都内某所にある古びた雑居ビルの一室を訪れる。そこは白田が所属する小さな芸能プロダクション。
「おう、桐香か。お疲れ」
趣味の悪い柄シャツを着た中年男性がスポーツ新聞から目を離して白田を迎える。棒状の喫煙具を咥え、そこからは白い煙が上る。
「室内原則完全禁煙ですよ、社長」
「あぁ、大丈夫。これ中身ただのメンソール液だから。ニコチンとかタールとかは入ってないから」
社長と呼ばれた中年男性はヘラヘラと笑いながら得意げに咥えた加熱式喫煙具を指さす。
「そう言う問題じゃないです」
「誰が大事な商品様にわざわざ煙草の臭い付けるかっての。これからも期待してますぜ、金のガチョウさん」
わざと露悪的な言葉を放ち、ヘラヘラと軽薄な笑い声を上げる社長。桐香の声を聞いて給湯室から出てきた女性が白い目を社長に向けつつお茶を運んでくる。
「桐香ちゃん、気にしなくていいから。この人こういう言い方しかできないから。天邪鬼なの。中二で成長が止まってるの」
「はいっ。何となくはわかってます」
「ははは、言うようになったじゃねぇか」
どこか嬉しそうに社長は笑う。
白田がオーディションに応募してきてから一年近く経ち、初めて会った頃と比べて大分印象が変わって来た。自分に自信が無くおどおどしていた少女は、自分に自信を持とうと頑張っている様に見える。その成長は一度目と二度目のグラビアを見比べるだけで顕著にわかる。
「こないだのグラビア、超評判良いぞ。雑誌のアンケートもさることながら、業界関係者からの問い合わせも大分あってな。で、次のお仕事の話だ」
そう言って社長はカードゲームの様に名刺を四枚テーブルの上に置く。
「ファッション雑誌、ウェブCM、週刊誌、アイドル系雑誌。取り合えず四件。ざっくりしたやつとかまだ言えないやつはもうちょいあるがな」
「カメラマンの加賀美さんが桐香ちゃんの事すっごい気に入ってくれてるみたいで、いろんなところで話をしてくれてるんだって」
大手から独立して設立した弱小事務所。所属タレントは何人かいるものの、今のところほとんどがパッとしない様子。そんな中出会った白田桐香には格別の手ごたえを感じている。
「う~ん……」
白田桐香は眉を寄せて首を捻る。
雨野五月に話しかける為に、自信を得る為に漫画誌のグラビアを目指した。五月と話せる様になった今半ば目的は達成できたと言ってもいい。だが、目指してはいたもののこんなに早く……初仕事で達成できるとは思ってもいなかった。本音を言えば『もう辞めます』と言いたい気持ちも少しある。だが、その行為は相手を利用するだけ利用して辞めるような無責任で不義理な行為にも思える為、そんな事は言い出せない。
悩む白田の心中は社長には伝わらないが、社長は社長で白田の仕事ペースには最大限の配慮をするつもりではある。性格的に無理をしそうなのは分かる。無理をして潰れられては元も子もない。大手事務所時代に仕事のキャパを超えて心身共におかしくなったタレントを見てきた。
「勿論、無理に全部やれと言う訳じゃあないからな。お前さんのお陰でうちの他のやつにもぽつぽつ仕事が降って来てるんだ。無理せず、ある程度はお前さんのペースでやって構わないぞ。金の卵を産むガチョウの腹を裂く様な真似はしないさ。ははは」
「ほら、社長。言い方」
白田桐香の芸能活動は順風満帆の一言だ。まだ本人には伝えないが、テレビの仕事も既に話が来ている。スカウトでなく、自ら望んで入って来た芸能界。誰もが羨む様なシンデレラストーリーを白雪姫自身が望んでいない事を見抜けなかったとしてもきっと社長に罪は無い。
一年に満たない付き合いではあるが、社長が悪人ではないことは白田も知っている。
「ちょっと考えてもいいですか?」
ニコリと微笑み一旦保留。
「あぁ。分かってると思うけど、部外秘で頼むな」
「わかってますって」
写真を撮られる事自体は嫌いではない。綺麗な場所で、綺麗な衣装を着て、綺麗にメイクをして、腕の立つカメラマンが写真に収めてくれる。本当の自分とは思えないほど素敵に仕上がる。本当の自分では無いのかも知れないけれど、『こうなりたい』『こうなれるかも』と少しだけ前向きになれる。
◇◇◇
「お疲れ様~」
夜十時、白田桐香はコンビニの裏口で仕事上がりの五月を待つ。今日は珍しくメガネ姿だ。
「おう、お疲れ。たまに遅い時は塾かなにかか?」
珍しく五月からの質問につい嬉しくなり笑顔で答える。
「ううん、事務所で打合せとレッスンだよ」
「へぇ。超芸能人っぽいな」
「ところで五月くん、今日のわたしなにか変わった所ない?」
メガネをクイっと上げて白田桐香は得意げに微笑み、五月は自身の目の辺りを指さして答える。
「あぁ、メガネだろ?いや、気が付いてたけどさ。何か理由がある系?」
当然ながら即座に正解。それでも白田はご満悦だ。
「ふふ、正解。一応変装のつもり。事務所のマネージャーさんにも勧められたからやってみたんだけど、どう?」
視力は両目ともにかなりいいので、度の入っていない伊達メガネだ。
「どうって言われてもなぁ」
「いい?」
「いいんじゃねぇ?」
「掛けない方がいい?」
「うーん」
どっちを聞いても煮え切らない返事で首を傾げる。
「強いて言えば?」
「正直な話」
口癖の前置きを置いてから言葉を続ける。白田はワクワクした様子で五月の言葉を待つ。どっちを答えても問題ない。好みが知れればそれでいいのだから。
「どっちもありだと思う」
「あっ、出た。そういうの禁止だよ」
折角のワクワクが肩透かしを食らい、白田は憤りの声を上げる。
「そ……そう言えば、白田は大福が好きらしいけど、なに大福が好きなんだ?」
露骨に話題を切り替えて難を逃れようと試みる五月。
「え?……うーん、迷うなぁ。塩大福もいちご大福も豆大福もどれも好きだし……」
首を傾げる白田を見て突破口を見出す。
「ほら、選べないだろ?な?物事白黒付く事柄ばっかりじゃないだろ?」
しまった、と言う様な表情を見せた後で、納得いかない様子でジト目を五月へと向ける。
「上手く言いくるめられた気がするけど」
「ははは、気のせい気のせい」
「つーか、そんなに大福好きだったんだな。お前の家のおやつで出た覚えはないけど」
「んー、そうだっけ?」
シラを切るが覚えていない筈が無い。白田桐香の家のおやつは、いつだって五月が喜びそうなオシャレで高級そうな洋菓子だったのだから。
時刻は夜十時を回っている。コンビニから歩いて十一分の帰り道だ。