閑話 白雪姫のできるまで③
◇◇◇
――白ブタと呼ばれた。痩せてかわいくなれば自信が付くと思った。実際に痩せて、前より少しはかわいくなったと思った。周りの人達も『かわいい』と言ってくれる事が多くなった。それでも自信なんて少しも身に付かなかった。
高校生になり、制服姿の雨野五月を見かけた事も何度もある。伊吹こずえに言うと、またストーカー扱いされるから過少に申告しているが、遠目に何度も見かけている。その度に声を掛けようと試みるけれど、足が竦んで声が出なくなるのだ。
少しおしゃれもして、小学校の頃よりも身なりは整えた。多分、もう白ブタとは呼ばれない。それでも、もしもう一度でも『あっち行けよ』と拒絶されたらと思うと声が出なくなってしまう。
後をつけるつもりなんてこれっぽっちも無い。ただ一言声を掛けて、昔みたいに話して欲しいだけなのだ。
そもそも話しかけるにしても何と話しかけたらいいものか皆目見当もつかない。
見た目が良くなっても、勉強を頑張ってみても、運動を頑張ってみても、最初から付ける場所が無いかの様に自信なんて何処にも付かない。
中学校の時に皆が受け入れてくれたら、もっと素直に自信が付いただろうか?と考えて、また人のせいにしてしまう自分にため息をつく。
「どうやったら自信が付くか?」
ある日、思い切って二人にストレートな質問を投げかけてみることにした。
「あはは、わたしに聞かれてもわかんないな~。別にわたしも自信とかそんなにある方じゃないし」
スカート姿ながら足を組んで椅子に座りつつ、ケラケラと笑って伊吹こずえは言う。
「桐ちゃん、相談相手が悪いよ。虎に『どうして強いのか?』って聞いても理由なんてある訳無いじゃん」
「意味はわかんないけど、虎に例えられるのは悪い気しないねぇ。ガルル~」
雑な虎の鳴きまねをしつつパラパラと雑誌を捲っていたかと思うと、ピタリと手が止まる。
「お、じゃあこれは。漫画の賞。確か五月くんは漫画好きって言って無かったっけ?賞取ったら絶対尊敬の眼差しじゃん」
「わたし絵書けないよ?」
「書けないよ?じゃないよ、書くんだよ。愛してるんじゃないのかよ」
「えっ……愛してるなんて、言って無いでしょ……?」
「じゃあ愛してないって言うの?」
「……それは、ちょっと……もう少し先の段階って言うか……、ちょっとまだ重すぎるんじゃないかなぁ」
「何のやり取りをしてんのよ、あんたたちは……」
「だめか。注文が多いなぁ」
再びパラパラと雑誌を捲る。
「あ、じゃあ読モとか?桐香サンの美貌なら楽勝でしょ」
「毒……も?」
困惑の表情を浮かべて首を傾げる白田桐香。
「読者モデル、ね。ファッション雑誌のモデル。それなら確かに行けそう……って簡単に言ったら失礼か」
「それに載ったら自信付くかな?」
「さぁ?いいんちょが言うなら付くんじゃん?」
「ちょっと、責任重いから止めてよ」
言われてみて少し考えてみる。ファッション雑誌に読者モデルとして載る自分を想像して、そして五月に会いに行けるか?と。確かに、そこに載っているモデルの子達は皆一様に自信に満ちた表情を浮かべている。載れば自信が付くのだろうか?自信があるから載るのだろうか?
折しもこの日は水曜日。教室の端で男子が読んでいる漫画雑誌がふと目に入る。表紙には少女が笑っている。
「……あの雑誌、五月くんも読んでた」
スタスタと男子に歩み寄ると、申し訳無さそうに微笑む。
「ごめん、その本少しだけ見せてもらっちゃダメ?」
「え、あぁ。いいよ」
白田は名案閃く、とばかりに両手で雑誌を持ち得意げに微笑む。
「これに載ればいいんだよ。……そうすれば絶対五月くんにも届くから!それなら……会いに行けると思う!」
◇◇◇
全国発売の雑誌のグラビアを飾り、雨野五月に会いに行く。傍から見ればあまりに荒唐無稽過ぎて計画とも言えないただの思い付きだ。それでも白田自身その思い付きが妙にしっくりと腑に落ちたし、逆にそれしかないとさえ思えた。
善は急げ。どうやってなればいいのか?とか調べるよりもとにかく行動。
「血液型は?」
「A型」
「好きな食べ物は?」
「ん~、いちご大福か塩大福か豆大福か……」
「どれも同じだよ。取り合えず大福ね。じゃあ好きな人は?」
「それは勿論――」
と、言いかけてキッとこずえを睨む。
「今それは関係無いでしょ」
タレントオーディションの類にスマホから応募する。一つだけでなく、それこそ手あたり次第に応募をする。『週刊少年漫画誌のグラビアをやりたいです』と備考に一言添えて。
「スリーサイズは?」
「嘘。絶対そんなの書いてない」
「書いてあるに決まってんじゃん。水着だってあるでしょ?ほら、早く早く。早くしないと勝手に見た感じで打っちゃうよ?えーっと、79の~」
「もうちょっとあるから!」
「あははは、言わないからそうなるんだぞー」
そんなやり取りを経て、応募は完了する。
◇◇◇
結果から言うと、四つ応募して四つとも書類選考を通過した。
「さすが桐ちゃん!おめでと~」
パチパチと笑顔で拍手をして白田桐香の第一歩を祝福する委員長とは対照的にどんよりと浮かない顔でパチパチと拍手をする伊吹こずえ。
「どした?食べ過ぎ?」
「いや……、わたしもさ。一個くらいは普通に通ると思うじゃん?」
「あぁ、こずえも応募してたのね……。本当その自信分けてあげなよ」
続く二次審査。ネット調べではあるが、こずえや委員長と調べて対策を取る。志望動機は正直に答えた方がドラマチックでは無いか?との意見も出たが、これから芸能活動をする上で想い人の存在を明かすと言うのは、就活で寿退職を匂わすようなものじゃないか?と言う委員長の意見で結局見送られる事になる。
漫画が好き。だから、子供の頃から読んでいた雑誌に載りたい。
全くの嘘と言う訳ではないが、少しだけ罪悪感が胸を刺す。
「その雑誌なら後輩が編集やってるよ」
二つ目に受けた小さな芸能プロダクションで、ラフな格好の中年男性はそう言った。
整った容姿とそれに不釣り合いな儚さとも言える自信の無さ。その歪さは彼らにとっては磨けば光る原石と映ったようだった。
結局三社から合格の通知を受け、その中には業界大手も含まれていたのだが、雑誌とつてを持っている事から二つ目に受けた小さなプロダクションと契約をすることにした。
――そして数か月が経ち、運命の水曜日を迎える。
雨野五月が最寄り駅近くのコンビニでバイトをしている事は随分前から知っている。毎週月曜日と水曜日。夕方五時から夜の十時まで。
コンビニが見える角で胸を押さえて一度大きく息を吸い、大きく長く吐き出す。
今日は水曜日。自身が表紙を飾る雑誌の発売日だ。
五時ちょうどに店の前を訪れたが店内に入る勇気が出ない。一旦付近の喫茶店に入り気持ちを整える。アイスティーを頼んで、普段は控えているケーキまでも食べる。大丈夫。大丈夫。大丈夫。
一時間程経ち、再度店を眺める。夕方、帰宅途中の学生や社会人たちで店内は混雑している様子。今行っても迷惑かもしれない。一つ言い訳が付けば一歩足が止まる。最後の一歩が踏み出せずに、白田桐香は再度喫茶店へと戻る事になる。
もう一時間経ち、更にもう一時間。何度も店の前まで足を運んでは引き返す。流石にそろそろ不審がられるかもしれないとも思うが、どうしても踏み出せない。
ダイエットをした。オシャレもした。友達も出来た。雑誌にも載った。もうこれ以上は何をどうすればいいのかわからない。
でも今日程きっかけのある日は二度とないかもしれない。今日足を踏み出せなければ、きっともう一生踏み出せない様な気さえする。
白田は決意を固める。
――行こう。
もしかしたらわたしの事などもう覚えていないかもしれない。あっちに行けと言わんばかりに眉を寄せられるかもしれない。自己防衛の様にそう思った後で、本当にそんな事を彼がするだろうか?と少し冷静になる。
深呼吸はしない。彼女の足は遂に自動ドアを越える。
「ここで働いてるんだ?」
自信も勇気も卑屈も恐れも、全部一緒くたに丸めて飲み込んで放った一言。
踏み出した一歩は、止まったままの過去と今を結ぶ一歩となった。