遠足アベンジャーズ
◇◇◇
「それじゃ、お二人さんよい旅を!」
三十分間の人力車の旅を終えると、人力車の俥夫さんは大きく手を振り俺と白田を見送った。
「しかしすげぇよなぁ。人力車自体も相当重いだろうに、そこに二人乗るんだぜ?」
「人力車は九十キロもあるんだって」
スマホで調べて白田は驚きの声を上げる。
「マジか。じゃあ九十足す五十九足す……」
「はい、その話は終わり。行こ行こ」
うっかり計算を始めてしまうが、笑顔の白田に促されて旅は続く。
昼食を食べる場所も小学校の頃と同じ源氏山公園。源頼朝の像がある。そう言えば何となく見覚えがある様な気がする。もうお昼は大分過ぎていて、おやつを兼ねるような時間だ。
「本当はお弁当作ってこようかなとも思ったんだけど……、外も暑いしやめちゃった」
「だよなぁ。正解だと思うよ」
通りしな見つけたおいしそうなパン屋さんで買ったパンを食べる。日差しはまぁまぁ強いが、木陰に入ると意外に風が気持ちいい。
「大分回ったね」
しおりに記されたチェックシートにレ点を付けながら白田は言う。時間はともかく人力車の使用で体力的にはまだ少し余裕がある。
因みに大仏にはまだ行っていない。
「大仏の他覚えてる場所無いの?」
「マジで無い。この頼朝様の像がギリ記憶の片隅にあるくらい」
「ふふ、そっか」
楽しそうにか、嬉しそうにか、どちらにせよ正の感情を帯びた笑い方だろうと思う。
「そう言う白田さんは鮮明に覚えてそうっすね」
「うん、まぁね。前はあの辺りでお弁当食べたんだよ」
と言って頼朝様から離れた草っぱらを指さすが、真偽のほどは不明だ。
「よく覚えてんな。俺は全く記憶にねぇ」
すると、白田は間を置かずに離れた岩の方を指さす。
「ん?五月くんはあっちでしょ。……あっ!」
答えた直後、白田は指を指したその掌を速やかに俺に向けて、真っ赤な顔で弁解を始める。
「待って、違う。違うの。たまたま!たまたま覚えてただけだから!や、違う。今!今思い出したの!あはははっ」
赤い顔で高らかに笑い、パタパタと手で顔を扇ぐ。
「合ってるかどうかわかんねぇしなぁ」
「うんうん、そうだね。あはは、適当言っちゃったかも」
携帯扇風機を持っている事を思い出した様で、電源を入れて顔に風を送る。
「あ~」
小学生の様に扇風機に向かい声を当てる。声は揺れ、髪も揺れ、白い肌を汗が一筋流れ落ちる。
もしかしなくても、ここに遠足に来た当時俺と白田はまともな会話などしなかった筈だ。精々言葉を交わしたとして、『あっち行け』とか『こっち見るな』とかそんな所だろう。
白田を『白ブタ』と呼んだのはほぼ全員が男子だったから、幸いにもと言うべきか女子は大概仲が良かった為、きっと遠足自体は楽しかったのだろうと思う。
「五月くんは遠足楽しかった?」
「さっきも言ったけど、全然覚えてないんだ。楽しいかどうかも含めて。でも恐らく遠足が苦痛な子供ってそんなにはいないと思うから、多分それなりには楽しかったんじゃないかとは思うんだけど」
記憶には残らない、その場だけの楽しさ……って言うと大分感じ悪いだろうか?
質の違いなのか、性格の問題なのか。白田は細かく覚えているが、俺は全く覚えていない。
そう考えて、卒業アルバムにもあった小一の頃……近所の公園に行った遠足の事は意外と覚えている事に気づく。でも、『小一の遠足は覚えてるんだけど』とか言うのも何か意味ありげに聞こえてしまうので、胸に留めておくことにする。
「さて!遅いお昼を食べ終わったら残りも頑張ろうね!今日の遠足は忘れられないように楽しい思い出を一杯作らないと!」
両手をグッと握り意気込みを語る白田桐香さん。
「そういう意味で言えば、人力車なんて乗るのももしかしたら人生最初で最後かもしれないから、既に忘れようもない気がするけどな」
「本当?」
眠らない白雪姫は、キラキラと輝いた瞳で俺を見る。
きっと、多分、……恐らく、もしかすると――。考えて一度蓋をして、コクリと一度首を縦に振る。
「あぁ。これで忘れてたら記憶障害を疑ってくれていい」
俺にそれを思う資格はきっとまだ無いから。
◇◇◇
お昼休憩を終えて、遠足はいよいよ終盤に入る。
白田お手製の遠足のしおりに記された目的地にもどんどんチェックが入っていき、最終目的地は多分お互い暗黙で決めていただろう場所。鎌倉の大仏。高徳院と言うお寺らしい。
「あぁ、やっぱりデカいな。これは流石に覚えてるよ」
大仏を見上げて感想を述べると、それを横目に少し不満げに口を尖らせる白田。
「ふぅん。覚えてるんだ?」
「なにか?」
「別に何でもありませんことよ」
何故かわざとらしくお姫様喋りをしてくる。
「鏡よ鏡よ鏡さん。どうして白田は口を尖らせているの?」
白雪姫ネタを振ったつもりが、赤ずきんも混じってしまった。白田もそれに気が付いてクスリと笑う。
「それはね、五月くんを食べる為さ。がおー」
両手を上げて威嚇してくる。勿論ちっとも怖くなんて無い。
「何で食べる為に口を尖らせるのか詳しく説明を求めてもいいか?」
「え?あー、ちょっと違うか。あはは」
食べる為に口を尖らせる生き物……パッと思いつく限りでは出てこない。何だろう?ドリルの様に口を尖らせて突き刺して吸う……とか?と要らぬ想像を広げてしまう。
「五月くん、大仏さまと写真撮ろうよ」
白田はニコニコとスマホを向けてくる。
「や、いい。俺なんか撮っても容量の無駄だろ」
「大丈夫大丈夫、容量余ってるから」
「マジで?俺かなり容量食うけど平気?」
「え~、一体何者?」
俺が首を縦に振らないので、白田の微笑みは少し困った顔に変わる。俺に限らず陰の者は大概そうだろうと思うが、写真に撮られるのはあまり好きじゃない。自分が写っている写真なんて見ても何の得にもならない。
「一枚だけ。だめ?」
正直な話、困った顔をするのは反則だと思う。
「……最低画質、フラッシュ無し、撮り直し無し。それでよければ」
「条件厳しいねぇ。でもありがとう!」
言葉と同時にスマホをいじり、恐らくカメラの設定を変える。
インカメラにして、俺と白田と大仏さまが画角内に入る。
不思議な事にインカメラに写る俺は普段より三割増し位不細工に見えるのに、白田はいつもの白田のままだ。
「……五月くん、ちょっと見切れちゃうからもう少しこっちかも」
「お、おう」
言われるままに少しだけ白田に近づく。
「それじゃあ撮るよ……、と言いたいところだけど。仮に五月くんが目を瞑っていたとしても撮り直し無し?」
「それは流石にフェアじゃないよな。俺に責任がある場合の撮り直しは許可するとしようか」
「ふふっ、寛大だね。行きまーすっ」
パシャリ、とスマホのシャッター音。
俺と、白田と、大仏さまの集合写真。
五年前、小六の頃の遠足のやり直しだ。傍から見たら全く意味の無いノスタルジーに見えるだろう。でも、多分俺と白田が昔みたいに気兼ねなく話す為には必要な儀式なんじゃないかと思うんだ。
誰が悪いわけでも無い。悪いのは俺自身で、弱いのも俺自身。過去は消えない事は分かっている。それならば、せめてそれを『今』で無く『過去』に出来る様に前に進もう。
とまぁ、そんな堅苦しいのは抜きにして、単純に鎌倉の旅は楽しかったです。