白雪姫と赤いリンゴ
◇◇◇
俺が働いているコンビニの三軒隣りにある喫茶店。カフェではなくて喫茶店。営業時間は朝の六時から夜の十時まで。
暗い焦げ茶色の木でできた扉を開ける。柔らかな灯りが照らす店内には客はまばらで、入口から一番遠い奥の席に女子高生らしい後ろ姿を見つける。恐らく白田だろうけれど、間違っていたら恥ずかしい。
念の為他の席を見渡してみるが白田の姿は無いので、多分恐らくきっと間違いないと思われる。
近くまで行ってみると、人の気配を察してか白田はチラリと俺の方を見て驚いた顔をする。
「えっ!?どうしたの!?」
驚きの声を上げてからスマホと店内の時計を見比べる。
「いや、バイトリーダーの須藤さんって人がさ、……待たせてないで行ってやれって。あとサインくれって」
言っていて何だか気恥しい。
「……もしかしてお仕事の邪魔しちゃったかな?」
「や、そんな事無いだろ。多分だけど。言い方は悪いけど、須藤さんが自分の責任でやったんだから白田が気にする事は無い。お望み通りサインでも書いてあげれば大満足だろうさ。『須藤さんへ』って付けてな」
メニューを見てアイスカフェオレを頼む。俺の労働約二十分分のアイスカフェオレ。
「ところでサインとか書けんの?」
「う~ん……、まぁ少しは。って感じかなぁ。そうそう沢山書くわけでも無いし、学校では基本的に断ってるし」
「やっぱり学校では結構な騒ぎになってる感じ?」
「う~ん。いつもはそれなりだけど、今日はなんだか多かったなぁ。あっ、でもね。こずえとか委員長がいつも助けてくれるんだ!」
想像通りなのか想像以上なのかはよく分からないけれど、少なくとも助けを得ないと困る程度には騒ぎになっていると言う事だろう。
「うちの店も今日はよく雑誌売れたよ。きっと白雪姫効果だな」
からかい半分で言ったその言葉に反応して、白田の顔は赤く染まる。
「そんな事無い……、と思うけど」
照れ隠しにストレートティの入ったグラスを手に取り短く一度ストローを吸う。
「もう見た?」
「正直に言うと、見た」
「正直に言わないと?」
白田のフリにわざとらしく首を傾げてみる。
「え?今日だっけ」
俺の答えに白田は口元を隠してクスクスと笑う。
「何でごまかすの」
「自分でもよくわかんねぇ。反射的に嘘をつく癖があるんだろうな」
半分のもう半分くらいは本心だ。最初っから嘘をつこうとは思っていない。何を守る為か、何を隠す為なのか。
「それで、どっ……」
「ど?」
「どうだった?」
「じゃあまた正直に言うな?写真の事とかよくわかんねぇけど……すげぇなって思った」
白雪姫は顔をリンゴの様に染めて、嬉しいやら恥ずかしいやらといった様子で掌を頬に当てて温度を確かめながら口元を緩ませる。
「ありがとう。今回はね、撮りながらすっごい褒められたから正直自信あったんだ。あっ、自分で言うなって感じだよね!?あはは、……恥ずかしいついでに聞くけど、五月くんはどの写真がよかった?」
よほど顔が熱いのか言い終えてパタパタと手で顔を扇ぐ。
「どの写真も……って答えはきっと求められて無いよなぁ。となると――」
腕を組み、考える振りをする。
正直に言うと、本当は考える迄も無く決まっている。『白雪姫は恋をした。だから今夜も眠れない』との文字通り煽情的な煽り文の横で、真っ赤なリンゴを一つ両手で大事そうに抱えてこっちを見る白田の写真だ。
背景には童話に出て来るような古いお城。ほんの少し紅潮した頬で、まるでそのリンゴが自身の命そのものであるかのように大事に大事にリンゴを抱えている。僅かに微笑んだその表情は、困っているのか嬉しいのか、或いはその両方なのか分からない。
この写真が表紙だったのなら、雑誌の売り上げは間違い無く跳ね上がっただろうとさえ思える。
考えている振りをしながらチラリと白田を見る。白田はまるで最後の審判を待つかのようにジッと俺の言葉を待っている。一目にして心臓の鼓動がこっちに伝わって来そうだ。
どう答えるか少し考えてしまう。
「あー……、じゃあやっぱりアレかな。あのへそのやつ」
「えっ!?あのね、違うの!アレわたし反対したんだよ!?でも何だかいつの間にかうまい事乗せられて……、あーもうっ!暑いね、あはははっ」
笑いながら顔を扇ぎ、アイスティーをもう一杯頼む。
「でも、良いって思ってくれたなら頑張った甲斐があったってもんだね、うん」
氷だけが入ったグラスをストローでかき回しながら満足気な表情を浮かべる。
「あっ、やっぱ今の無し。本当はあのリンゴのやつ」
嬉しそうな白田を見て罪悪感がチクりと胸を刺したので、掌を白田に向けて前言を撤回する。我ながら何と難儀な性格かと思う。
「……本当?」
白田は、リンゴを手に持ったあの写真と同じ顔で俺を見た。
恐らく意図したものではないだろうと思う。再会してから日は浅いが、そんなに器用なやつでは無いと思う。
「あぁ、こっちは本当」
「そっか。もう、何でいつも一回嘘つくの」
苦情を口にしながらもどこか嬉しそうに白田は言う。
「わたしもね、あれが一番好き」
答え合わせに正解したみたいで何だか嬉しい。
「ところであれってどこなの?まさかの海外ロケって事はないよな?」
「あはは、まさか。あれは群馬県。車で二時間半くらいだったかなぁ。大変だったんだよ~、朝早かったんだから」
「マジか。まさかの関東かよ」
巻頭グラビアが関東のお城。思いついただけで口にはしなかった自分を褒めたい。
「写真見る?」
そう言って白田はスマホを操作して、撮影の合間に撮った城や風景の写真を見せてくれる。色々な機材や、何人かのスタッフも写真に収まりピースやらポーズやらをしている。スタッフの人に撮ってもらったのか、白田自身が映っている写真もあるし、自撮りの写真もある。
「すげぇなぁ。庭園といい城といいマジで外国みたいだな。出不精の身とは言えちょっとここは行ってみたくなるな~」
「じゃあ、こっ――」
言葉が止まったので、スマホから顔を上げて白田を見る。グラビアの笑顔とは真逆の引きつった笑顔を浮かべて言葉を続ける。
「こっ……今度行く?」
「あー……、うん。まぁ、検討しとく」
思わぬ言葉に安請け合いをしてしまう。車で二時間半。その距離を甘く見ていた事を知るのはもう少し後の事だった。