二人の小学11年生
◇◇◇
「おじゃましまー……す」
キョロキョロと玄関付近を見渡しながら制服姿の白田桐香は室内に入る。室内に入ると、脱いだ靴を綺麗に揃えて玄関に並べる。
「一応先に宣言しておくけど、母ちゃん六時迄仕事だから。それまでに帰れよな」
「え?何で?ちゃんとおばさんにも挨拶したいのに」
「あのな。八年前とは違うところもちゃんと認識しろ。茶化されるんだよ。おばさんはそう言うのが好きなんだよ」
「あっ、その言い方ひどい」
「ひどくない。嫌なら今帰れ」
「もうっ」
口を膨らませながらも渋々納得の様子で、五月に続いて廊下を進む。築二十二年、3LDKの賃貸マンション。廊下と言う程の物では無いが、分類するなら廊下だろう。
「ちょっと失礼な事言っていい?」
八年振りの雨野家訪問。少し楽しそうに白田が言う。
「ん?駄目。失礼って分かってんなら控えろ」
「想像より狭くなってた」
五月に制されたにも関わらず白田は楽しそうに言い放ち、五月の左手は玄関を促す。
「はいはい、お帰りはそちら」
「ごめんってば!だって、久し振りなんだもん」
「久し振りだからって何でも許される訳じゃ無いからな。そりゃ白雪姫様のお城と比べればうちは狭いウサギ小屋みたいなもんさ。是非隣の部屋のご家族にも言ってあげて欲しいね」
「そう言うつもりじゃないんだってば。ただ、懐かしいな~……って思って」
自室でなくリビングに移動し、手近な椅子を指し示す。
「適当にその辺座って」
「五月くんの部屋じゃないの?」
冷蔵庫を開けて麦茶を取り出しつつ呆れ顔でチラリと白田に目を向ける。
「ガキの頃みたいにって言ったってガキの頃と何でもかんでも同じ訳じゃ無いだろ。高校生の男女が狭い部屋に二人……となればどんな誤解を招くかって話だよ」
グラスをいくつか手に取って、灯りに透かしてみては首を傾げる。どれもこれも使い古してくすんだグラスだ。
「へぇ。狭い部屋でわたしと一緒だと何か起こるって事?」
「そうは言ってない。一般論だよ。大体白田はグラビアとかやってるんだから一応芸能人になるんじゃないのか?某週刊誌キャノンとか喰らったらまずいだろ」
「芸能人……では無いと思うんだよねぇ。別に有名でも無いし。あっ、グラスそれでいいよ。ふふ、昔からあるよねそのグラス」
「よく覚えてんな、そんなの」
然程特徴があるとは思えぬ透明なグラスを手に持ち改めて首を傾げてみる。
白田が食べるかはわからないが適当な茶菓子を探ってテーブルに置き、スマホのアラームをかけてそれもよく見える様にテーブルの上に置く。
「よし、それじゃあと一時間二十三分な」
「あっ、カウントダウンやだ」
五月母の帰宅迄の残り一時間と二十三分、小学十一年生たちの久方振りの放課後の雑談タイム。罪悪感も、劣等感も、そんなにすぐには消えはしない。それでも互いに歩み寄ろうと宣言をして、小さな一歩を踏み出した一時間と二十三分だ。
「そういえば、家近い割に一度も会わなかったな」
「あー、……うん。避けてたからね。ちなみにわたしは何度も見てるよ」
グラスを両手で持ちながら、照れ隠しの様に口元に運ぶ。
「悪い。そうだよな。つーか元々俺の方が散々避けてたんだし」
「あっ!違う!違うの!そうじゃなくって、ごめん。……わたしが勝手に自信が無かっただけだから」
五月もバツの悪さに麦茶のグラスを口に運ぶ。
そしてそのままグイっと一気に飲み干すと勢いよく氷をガリガリ齧りながら空のグラスをテーブルにタンと置く。
「よし、今日『ごめん』禁止な」
白田桐香はクスリと笑う。
「じゃあ『悪い』もね」
「オッケー、じゃあ言った方麦茶一気飲みな」
「え、やだ」
五月は少し何かを考えたかと思うと、首を傾げつつ口を開く。
「そう言えばさ、こないだ中学の数学おさらいしてたんだけどさ」
唐突な話題転換。
「へぇ、偉いね」
「正多面体?あれって四と……六と八と……。五は違うんだっけ?」
「うん。五面体だと四角錘とか三角柱になっちゃうから――」
白田の言葉の途中で五月はグラスに麦茶を注ぎ、手で促す。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
「や、じゃなくて一気飲み。今『ごめん』って言ったもんな」
そこまで言われて漸く五月の策略に気が付く。
「あっ、ズルい!五面体の話しただけじゃん!」
「麦茶もう一杯入りまーす」
「もうっ!じゃあね、えーっと……問題です。良いお爺さんと悪いお爺さんがいました」
「お前麦茶好きだなぁ」
「あっ!」
「まぁ麦茶は冗談だ。勿論無理に飲まなくていいよ」
「……五月くんの意地悪」
頬を膨らませつつジッと五月に抗議の視線を送り、五月は楽しそうに笑う。話が進まないので禁止はすぐに終了の運びとなったが、場を和ますのには一役買ったと言えるだろう。
楽しい時間は過ぎるのが早く、時の流れはだるまさんが転んだがお好き。時計を見なければ進みが早いもの。と言う訳であっという間に一時間と二十三分は経ち、時の終わりを告げるアラームが無情に鳴り響く。
「鳴っちゃった」
残念そうに白田桐香が呟く。
「よし、撤収だ。急げ」
「忙しないなぁ。別にいいのに」
玄関の扉をゆっくりと開けて、辺りに誰もいない事を確認してから白田に合図を送る。まるでステルスゲームの様な動きだが、ふざけてやっている様でも無く五月は真剣そのものだ。
「そんなに見られたらまずい?」
「俺個人としてはそうでもないんだけど、……白田の活動に影響出ちゃったりしたら申し訳ないからなぁ」
「ふふっ、お気遣いありがと。ところで来週は何冊買ってくれるの?」
「あぁ?一冊だよ一冊。決まってるだろ」
「そっかぁ。一日一冊かぁ。ありがと~」
「一日一善みたいなノリで言うな。図々しい」
――もういつ辞めてもいいのになぁ。
思いながらも、応援してくれることが嬉しくてその言葉は胸の奥へと飲み込んだ。