おとぎ話
かつて白ブタと呼ばれていたクラスメイトが何年か見ない間に白雪姫とか呼ばれて雑誌のグラビアを飾っていた、――最終話
◇◇◇
「お前はどうするんだ?五月」
加熱式喫煙具の煙を揺らして社長は俺に問う。いつかの様に威圧的でも高圧的でもない。ただ、俺の判断を問う一言。
情けなくも俺は白田をチラリと見てしまう。そしてそれは社長に気取られる。
「何だ。嫁の顔色窺わねぇと何にも決められねぇのか、この金魚のフンが」
「社長!」
「お前は黙ってろ。俺は今五月と喋ってんだよ。お前が怒って?俺が黙って、はいオッケー?馬鹿野郎、過保護にすりゃいいってもんじゃねぇだろうが。お前に守られなきゃ生きられない様にしたいのか?」
社長の言葉を受けて白田は言葉を飲み込み、ぐっと歯を食いしばりながら社長を睨む。
だが、俺は黙っていてもしょうがない。問われているのは俺の意思なのだから。
白田がどう思うか、やはり一瞬考えてしまったが今だけは一度目を瞑る。ゴクリと唾を飲み口を開く。
「俺は、……この仕事を続けてみたいです」
自分一人では誰にも何にも与えられないかもしれないけれど、与えられる人の手助けをしたい。仮にそこに白田がいなくても、挑戦してみたいと思った。
「言っとくがな、お前が経験したのは普通のマネージャー業務じゃねぇからな?もう売れてる女に忖度バリバリで下駄履かせてもらった、お坊ちゃんの接待みたいな仕事だから。誰もが皆売れるわけじゃない。十人いたら九人は消えるんだ。普通は靴すり減らして営業して、バッタみたいにへーこら頭下げるんだ。それでも努力は実らず皆消えていくんだよ。それでもできんの?お前に」
俺はコクリと頷く。
「やりたいです」
真っすぐと社長の目を見ると、社長がチラリと白田を見た。
「だとさ。お前はいいの?」
白田は間を置かずにコクリと頷く。
「もちろんです。五月くんがやりたいなら、何だって応援します」
「……五月くんがヤりたいなら……、何だってします……だと?」
社長は険しい顔で喫煙具をくわえつつ、ゴクリと唾を飲む。
「違います!ちょっと……、いや大分違うから!」
「わはは、大分違うとさ。残念だったなぁ、五月」
「えーっと、返答に困るんでそういういじりやめてくれません?」
社長は一度長く煙を吸い、吐く。ニコチンもタールも入っていない、ただのメンソールの煙。
「ま、うちは万年人手不足だ。若き最賃労働者は非常に助かるなぁ。だから――」
社長は親指を畳んで四本指を俺に向けるとニッと笑う。
「四年待て。他の世界を見て、大学を出て、選択肢が広がって、それでも本当に来たければまた来い。その時は最低賃金から少し色を付けてやってもいいぞ」
「あの、俺今年浪人したんで五年なんですが。知ってて言ってるでしょ」
「おっと、そうだったか。悪い悪い。五年な、五年。わかったか?」
「……はい!」
チラリと隣の白田を見ると、白田も満足げな笑みを浮かべつつコクリと頷いた。
「お前の担当用に巨乳で口の固~いグラドル用意しとくから、楽しみに五年待ってろよな」
「え」
「最後まで何なんですか、もうっ!」
珍しく本当に楽しそうに社長は笑った。
◇◇◇
「それじゃ、達者でな。ガキども」
最後くらい、と社長は家まで送ってくれた。都内某所の雑居ビルから東京都下の俺たちの家まで車で約一時間。時刻は十一時半を少し過ぎる位。正確には十一時四十分。
「ありがとうございました!」
深夜なので声を控えめに頭を下げる。『またね』と助手席から沢入さんが手を振る。笑顔だが、目からは既に涙がこぼれていて、俺たちも泣きそうになる。そして、何かを言う間も余韻も与えずに社長は車を出発させる。
俺と白田はそのままそこに立ち、二人を乗せた車のテールランプが見えなくなるまで見送った。
辺りはシンと静まり返る。
「あ――」
「あのさ!」
同じ言葉を発しようとしたが一瞬白田に軍配が上がる。
「あっ、五月くんからどうぞ」
「いやいや、白田こそどうぞ」
「ううん、五月くんから!」
遠慮は一度まで。俺は口を開く。
「あのさ、お願いがあるんだ」
白田は少し驚いた顔をした後でニコリと笑う。
「もちろん、なんでも。実はわたしも今そう言おうと思ったの」
「へぇ、もちろん俺もなんでもオッケーだよ」
「本当?……あのね、前にわたしの夢の話の覚えてる?」
「二つある、ってやつだろ?結局一つしか教えてもらってないやつ」
一つ目は俺と家族になることだと言った。白田はチラリと俺を見て、少し言い淀みながらも言葉を続ける。
「……えっとね、五月くんに写真を撮って欲しいなって」
さすがに驚いて言葉を発せずにいると、白田は慌てながら身振りを交えて説明を加えてくれる。
「だってさ、五月くんほとんどわたしの写真撮ってくれてないでしょ!?自信過剰かもしれないんだけど、……昔より少しはかわいくなったと思うから、一応芸能人の内にまた撮ってくれたら……嬉しいなぁって」
言い終わる頃には白田の顔は真っ赤だった。将来の夢って言わなかったっけ?と内心クスリとしつつ無言でバッグを開き、中からおもむろにカメラバッグを取り出す。撮られるプロである白田はそれを見て当然中身を察した様子だ。
「えっ……、なんで?」
照れくささを噛み殺しながらカメラを取り出す。
「白田の努力を俺が手軽にスマホでパシャっと済ましていい訳ないだろ。一年間、たまに詩子さんに協力してもらって、特訓したんだ。絶対加賀美さんよりきれいに撮ってみせるから、撮らせて欲しい。……って言うのが、俺のお願い」
白田は目を丸くして、カメラと俺に交互に目をやる。
「借りたの?」
俺は毅然と首を横に振る。
「買った。正直に言えば、コンビニでのバイト代のほぼ全部を使って」
金額にしてうん十万。馬鹿みたいかもしれないけど、俺の決意の表れだ。『勿体ない』とか、『お金出すよ』とか、白田はそんな事は言わずに申し訳無さそうな顔をしながらも嬉しそうに笑う。
「ごめん。……嬉しい」
◇◇◇
公園に場所を変えて、白田桐香にカメラを向ける。あまりの緊張に手が震えていたが、ファインダー越しに白色外灯と細い月灯りに照らされた白田を見たら不思議と震えは止まった。
「どうすればいいかな?」
「普通でいいよ」
「ふふ。そっか」
嬉しそうに笑うと、白田はピースサインをする。
パシャリ。
今度は濱屋さんから貰った花束を持ち、ポーズを取る。
パシャリ。
真夜中の公園。俺はただ白田を撮る。楽しそうに、嬉しそうに、踊るように次々とポーズを取る白田を撮っているうちに、いつの間にか『加賀美さんより』と言う気持ちも消えていた。ただ、白田桐香を撮りたかった。
十数枚撮っただろうか。並んでベンチに座り、写真を確認する。
「どう?かわいい?」
一枚目、ピースサインの自分を見て俺に問いかける。その一言が聞きたくて、白田はグラビアを目指した。だから、最後の今日くらいはまっすぐ答えよう。
「あぁ、勿論かわいい。でも痩せてなくても、太っても、芸能人でもそうじゃなくても。いつだって白田はきっと魅力的だと思うぞ」
白田は俺の肩に頭を乗せて、写真を眺める。気持ち頬が温かい。
「……ふ、ふぅん。本気にしちゃうよ?」
勿論してくれなければ困る。
何枚か写真を見ていると、撮影時刻が零時を回っている事に気が付き、写真を見直す。零時前、零時後。零時前、零時後。
当たり前だけど、どちらの白田も変わらず魅力的だ。零時を過ぎても魔法は解けない。きっと、最初からそんな物は無かったんだ。全ては白田の、想いと、努力と、少しの運の生んだ結果だ。
「日付、変わったね」
顔を上げた白田は期待に満ちた視線を俺に向ける。
三月は終わり、新しい月を迎えた。白田の契約は全て満了。新しい日々が始まる。
「契約、する?」
俺がコクリと頷くと、声を出す間も無く口は塞がれる。
真夜中、空には細い月だけが浮かんでいた。
――クリスマスに白田から貰ったスケジュール帳も遂にその役目を終える。
いつか俺達がおじいさんとおばあさんになったときに読み返すその日まで、大事に取っておこうと思う。俺と白田の、おとぎ話のような夢物語のような一年間の記録。
最後の一文は、こう締めようと決めていた。
『そして二人は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ』
かつて白ブタと呼ばれていたクラスメイトが何年か見ない間に白雪姫とか呼ばれて雑誌のグラビアを飾っていた ――完