囁く影
夜羽は、写魂局のログ室を出た後もしばらく言葉を発せなかった。
妹・澪の死は、偶発的な事故でも、単なる殺人でもなかった。
“未来の死”を誰かが書き換え、それを利用して殺していた。
そして――
自分自身が、その“記録の改変者”だった可能性。
足元が、音もなく崩れていくような感覚。
それは、記憶の奥底から何かが這い上がってくる感覚でもあった。
⸻
局を出た夜羽は、そのまま夜の街を彷徨うように歩いた。
ネオンが瞬く繁華街。誰もがスマートレンズ越しに加工された現実を見て、死についてなど考えもしない。
ふと、古びた路地に足が向いた。
静寂。人気のない薄暗い路地裏。
その先に、黒い影が立っていた。
「……やっと、見つけたよ。“一ノ瀬 夜羽”」
その男は、夜羽と同じくらいの年齢に見えた。
細身で長いコート。目元はマスクで隠されているが、声には不思議な冷たさと熱が混ざっていた。
「誰だ、お前は」
「“同類”だよ。君と同じ、“死を綴る者”だ」
夜羽の心臓が跳ねる。
「俺と同じ……?」
「君はまだ気づいていない。“写魂師”の中には、“観測者”ではなく“創造者”が混じっている。
未来の死を書き換え、運命を導く……そう、君がそうであるように」
夜羽が身構えると、男はゆっくり手を上げた。
「安心しろ。今は敵じゃない。ただ、忠告に来た。
君がこのまま“真実”に近づけば、局は君を抹消しに来る。
なぜなら――君は、彼らにとって“書きすぎた存在”だからだ」
「……“彼ら”?」
「写魂局の奥にいる、本当の書き手たちだよ。
“死の編集者”たち――記録を偽り、歴史を繕う者たちだ」
男は一枚の古びたカードを夜羽に投げた。
そこには、見たことのない団体のロゴと、「ネクローグ編集部」という名が刻まれていた。
「……何だ、これは」
「それが、次の扉の鍵になる。もし君が進む覚悟を決めたなら、そこへ来い」
そう言い残して男は、影の中に溶けるように姿を消した。
⸻
夜羽は、カードを見つめたまま立ち尽くしていた。
“ネクローグ編集部”――
その名は、澪の記録の中に、一度だけ出てきたものだった。
《……お兄ちゃん。私、“あの場所”に触れちゃった……ネクローグって名前の……編集部――》
死を綴る者たち。死の改変。未来の抹消。
すべての鍵が、そこにある――
夜羽は拳を握り、静かに決意を固めた。
「……逃げねえよ。俺は、“死”に書き直される前に――真実を読み切る」