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巫女と魔術師のミステリー事件簿 ~精神病院の怪異  作者: 怠け者は電気羊の夢を見るか
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第2章:患者 その3

 

 その頃、病院スタッフが非難していた他のエリアではさらに深刻な異変が起きていた。


 廊下の壁がじわじわと変化を始め、最初は微かな赤黒い染みが浮かび上がる程度だったものが、次第に広がり、血が滴るような模様を形成していった。天井からは鉄錆のような臭いが漂い、白い塗装が剥がれ落ちて、むき出しになった金属部分は腐食したかのように濁った赤茶色へと変わっていった。


 その変化はゆっくりと、しかし止めようのない力で建物全体を覆っていった。廊下に設置されていた明かりは次々と暗転し、壁一面に錆と血の痕跡を滲ませ、空間全体を歪めていく。


 足元の床は、まるで何かが這い回った痕跡のように滑らかな液体で覆われ始め、患者たちが恐怖に満ちた足取りで通ったかのような不規則な足跡が次々と浮かび上がった。金属製の手すりには血のような赤い線がじわりと染み込み、触れることすらためらわせる不潔感を漂わせていた。


「これは……なんだ……?」

 全ての病院スタッフが立ち止まり、恐怖し息を飲む。その呟きに応じる者はなく、周囲には深い沈黙だけが漂っていた。しかし、その静寂はすぐに破られる。不気味な低音がどこからともなく響き渡り、その音は空気を振動させるような重苦しさを伴っていた。


 いち早く冷静さを取り戻し、音の発生源を探そうとしたスタッフが一歩踏み出すと、廊下の奥から霧が漂い始めた。その霧は青白く光を反射しながらゆっくりと広がり、瞬く間に周囲を覆い尽くした。霧の中には不定形の影がうごめいており、その輪郭が徐々に鮮明になりつつあった。


 影の一つは、巨大で人間のような形をしているが、顔には何もなく、滑らかな面だけが広がっていた。その存在は、見つめる者の背筋を凍らせるほど不気味で、その場にいたスタッフたちは一歩も動けなくなった。


「近づかないほうがいい……!」

 遠くから別のスタッフが叫ぶが、その声は恐怖に支配された空間には届かなかった。霧の中からはさらに異様な存在が現れる。金属の檻を思わせる形状の影が、ギシギシと不快な音を立てながら進んできた。その内部には、何かがもがいているような影が見え隠れしていた。

「地獄だ」


「世界の終わりだ・・・」


「神様」


「何が起きているんだ……」

 呆然とつぶやくスタッフたちを尻目に、影は次々とその異様な姿を現していく。中には、無数の涙が体表を流れているかのような光を纏うものもあった。その存在が歩むたびに、周囲の空間が歪むような錯覚に陥り、温度が急激に下がっていった。


 この異常事態に、一部の患者たちは歓喜の声を上げた。「偉大なるものが降臨する!」と叫びながら祈りのような仕草を見せる彼らに対し、他の患者たちは恐怖に駆られ、混乱の中で逃げ惑っていた。


 突如として現れた怪物たちの出現により、病院内は混沌そのものと化した。その場を離れることができないスタッフたちは、ただ恐怖に震えながら異形の存在を見つめることしかできなかった。


 その時、鋭い掛け声と共に、青白い閃光が闇を裂いた。


「ここは私に任せろ!」


 神宮寺遥が、怪物の群れを両断するように剣を振るいながら現れた。剣の一閃と共に、不定形の影が霧散し、周囲の空気が一瞬にして澄んだように感じられる。遥の長いポニーテールが勢いよく揺れ、白を基調とした退魔師の装束が霊力に満ちた光を放っていた。その鮮やかな赤い模様は、異界の力に立ち向かう覚悟を示しているかのようだった。


 鋭い目で怪物たちを見据えた遥は、さらに一歩前に出ると、手にした退魔の剣を再び振り抜いた。青白い刃が無貌の怪物の体を切り裂き、その形を再構築させる暇を与えなかった。


「逃げろ!今のうちに患者たちを安全な場所へ!」

 遥の力強い声に、職員たちは我に返り、混乱する患者たちを誘導し始めた。その背中に守られる形で、彼らは急いでその場を離れる。


 その瞬間、遥は左手で符を取り出し、空中に放り投げた。符が青白い光を放ちながら回転し、空中で静止すると、そこから現れたのは武人型の式神「剣神・八咫やた」だった。

 全身を甲冑で覆い、手には巨大な双剣を構えた八咫の姿は、堂々たる武人そのものだった。その瞳には鋭い光が宿り、静かに頭を下げて遥の命令を待っている。


「八咫、スタッフと患者たちを護衛し、彼らを安全な場所へ導け!」

「御意。」

 八咫の声は低く響き、次の瞬間、彼は素早く動き出した。巨大な剣を片手で軽々と振り回しながら怪物たちを退け、職員たちの盾となるように立ち回る。八咫の一太刀は、怪物たちを二つに裂き、その動きを完全に封じた。


「早く!八咫が護ってくれる!」

 遥の声を受け、職員たちは恐怖を振り払うように必死で患者を引き連れ、廊下の奥へと走り出した。八咫はその後ろを守るように付き従い、追いすがる怪物たちを次々と斬り捨てていく。その姿は、遥の霊力を具現化した武神そのものであり、職員たちに安堵と希望をもたらした。


 その間にも、次々と怪物たちが現れる。歪んだ形の鉄の檻のような怪物がガチガチと不気味な音を立てながら近づいてきた。檻の中には、何かがもがいている影が見え隠れしており、見る者の心をじわじわと蝕むような存在感を放っていた。


「鬱陶しい!」


 遥は叫ぶと同時に剣を振りかざし、檻の怪物を一閃で斬り裂いた。檻が音を立てて崩れると、中から影が漏れ出すように霧散した。その瞬間、彼女の目の前に現れたのは、体中から涙のような光る液体を流す怪物だった。液体が床に落ちるたびに黒い染みを作り、その周囲に不気味な波紋を広げていく。


 遥は一瞬も怯むことなく、剣を強く握り直す。その表情には、ただの一歩も引かない強い意志が込められていた。


「ここで終わらせる!」


 彼女は足元を蹴り上げ、力強く前へと踏み込むと、涙を流し続ける怪物に向けて渾身の一撃を放った。青白い光が刃から放たれ、怪物の体を正確に切り裂く。その断末魔の音は低く、周囲の空気に震えをもたらしたが、怪物は二度と動くことはなかった。


 遥は剣を構え直し、周囲を見渡した。怪物たちは。次々と霧の中から現れてくる。


「しぶとい……どんだけいるんだ。キリがないな」

 神宮寺はさらに力を込め、手にしたお札を空中に放つ。それらが輝きながら怪物の周囲に展開されると、次第に霧の中の影たちも動きを鈍らせていった。


 怪物は低い呻き声を発しながら抵抗するが、神宮寺の霊力に押され、後退を余儀なくされた。その様子を見届けながら、神宮寺は鋭い目で状況を観察していた。


「これで時間を稼げる……!」

 神宮寺は深呼吸をしながら、再び剣を構えた。彼女の後ろ姿は毅然としており、その場に残された者たちにわずかな安心感をもたらした。


 しかし、霧の中ではまだ新たな影がうごめいていた。次なる戦いを前に、神宮寺は静かに自らの霊力を高め、さらに強力な一撃を繰り出す準備を整えたのだった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 異変を察知した田村一真と石田明は、即座に動いた。


「結界を張るぞ!」田村が叫ぶと、呪符が空中を舞い、不規則に光を放ちながら廊下を覆う結界を形成した。結界は霊的なエネルギーで満ち、怪物たちの進行をわずかに遅らせた。


「ここは俺に任せろ……焔狐エンコ、出ろ!」


 田村の声とともに、彼の呪符が炎をまとい、赤く燃え立つ巨大な白い狐へと姿を変えた。狐の瞳は炎のように輝き、その尾がゆっくりと揺れるたびに空気が熱を帯びた。狐は鋭い爪を振り上げ、不定形の怪物に向かって突進した。


岩鬼ガンキ、前へ!」


 石田の呪符からは地響きとともに巨大な岩の巨人が現れた。岩鬼の体は硬質で、岩の裂け目から青い光が漏れていた。その巨人は無言のまま拳を振り下ろし、近づいてきた怪物を粉砕しようとする。


 廊下の奥から迫りくる怪物は、どれも人の形をしていながら、まるで顔が溶けたかのように何もない無貌の存在だった。彼らの動きは異様で、時折、体が不自然に歪みながら迫ってきた。顔のない怪物は低い唸り声を上げるたびに、その周囲の空間が歪むように揺れた。


 さらに別の怪物が現れた。それはまるで檻そのものが生きているように、無数の鉄の棒が絡み合い、内側から無数の手が伸びている。檻の中からは断続的に耳をつんざくような叫び声が響き、その音が聞こえるたびに退魔師たちの集中を乱すかのようだった。


「これは……なんなんだ!」石田が思わず叫ぶ。


「考えている暇はない!抑え込む!」田村が叫び、白い狐に指示を出す。狐は鋭い爪で無貌の怪物を切り裂こうとしたが、切り裂かれた部分がすぐに再構築され、怪物は勢いを増して突進してきた。岩の巨人がその間に拳を振り下ろし、檻のような怪物を叩き潰そうとするも、鉄の棒のような触手が巨人の腕に絡みつき、動きを封じ込めようとしてきた。


「まずいぞ、このままじゃ……」田村が苦々しく呟いた。


 その時、さらに異様な存在が現れた。それは人型をしているものの、顔の部分が涙のように光る液体で覆われていた。液体は滴り落ちるたびに地面にシミを作り、その場所からはじわじわと黒い影が広がっていった。涙を流し続ける怪物は、悲しげな音を低く発しながらゆっくりと近づいてきた。その音は不気味に共鳴し、空気そのものを震わせるかのようだった。


「なんだ、この奴らの気持ち悪さは……」

 石田が言葉を失いかけた。


「時間を稼ぐしかない!」田村が叫び、さらに呪符を次々に投げる。結界が一瞬だけ強化されたが、怪物たちの数は増え続け、結界が徐々に押し負け始めていた。

「限界だ!どこまで持つかわからないぞ!」石田が声を荒げる。


 しかし、田村は歯を食いしばり、白い狐に向けて指示を続けた。「全力でやれ!」


 怪物たちが次々と迫る中、病院全体が異界そのものへと変貌を遂げつつあった。


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