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巫女と魔術師のミステリー事件簿 ~精神病院の怪異  作者: 怠け者は電気羊の夢を見るか
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第5章:静けさの中で

 病院の異様な静寂が戻りつつあった。異界の門が閉じられ、周囲に漂っていた不気味な黒い霧も次第に薄れていく。夜空には満天の星々が輝き、冷たい風が屋上を吹き抜けた。あれほど荒れ狂っていた空気が嘘のように澄んでいる。

 神宮寺遥は刀を収め、肩で息をしながらその場に立ち尽くしていた。白竜の力を使い切った疲労が全身を襲っていたが、彼女の顔には満足げな表情が浮かんでいた。

「これで、終わったのね……」

 一方、田村一真は短剣を腰に収めながら辺りを見回していた。

「全く、派手にやってくれたもんだ。俺たちが生きてるのが奇跡みたいだな。」


 夜空には満天の星が輝き、異界の残滓が完全に消え去ったことを告げていた。風が冷たく頬を撫で、戦いの傷跡が残る病院全体を包み込む。神宮寺遥は屋上の端に立ち、病院の敷地を見下ろしていた。地面には遅れて到着した神社勢力の救援隊が、急いで被害状況を確認していた。

 その光景を見つめながら、彼女は深いため息をついた。


「こんな形で終わるなんて……」神宮寺が呟くように言った。その瞳には後悔の色が浮かんでいた。「守りきれなかった人たちが多すぎる……」

 田村は静かに短剣を鞘に収め、彼女の肩に手を置いた。「お前がいなければ、もっと酷いことになっていたさ。これで救われた命も多い。」

「でも……」神宮寺は俯き、手に握った刀を見つめた。「もっと早く動けていれば……犠牲を減らせたかもしれない。」


 明松は腕時計型端末を操作しながら、冷静な声で言葉を紡いだ。「遥さん、あなた一人では到底守りきれない規模の事件でした。それでも、あなたがこの場を押さえたおかげで、世界が異界に飲み込まれずに済んだ。それは誰にも否定できない事実です。」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 しばらくして、彼らは屋上に残る瓦礫の上で一息ついていた。崩れた魔法陣の痕跡や、消滅したアスタロトの痕跡がかすかに残る光景は、まだ戦いが終わったばかりであることを物語っていた。

 田村が腰を下ろし、明松に向き直る。「で、聞かせてもらおうか。あの槍――イシュタルの槍ってやつ、あれは一体なんなんだ?俺たちの知識にない代物だぞ。」

 明松は軽く息を整え、彼の視線を受け止めた。「イシュタルの槍は、古代の神話に登場する女神イシュタル――後に悪魔アスタロトに変容された存在――の力を宿す武具です。」

「イシュタルとアスタロトが……同一人物?」田村が眉をひそめる。


 明松は頷き、説明を続けた。「もともとイシュタルはバビロニア神話の豊穣と愛と戦いの女神でした。アテナやアフロディーテの原型になるほど彼女は強大な力を持ち、崇拝される存在だったのですが、後の宗教改革や文化的な変遷によって、キリスト教の教義に組み込まれた際に男性の悪魔として再定義されました。それがアスタロトです。」

「だが、どうしてその槍がアスタロトに効いたんだ?」

田村がさらに問い詰める。

「それは、イシュタルが悪魔化する以前の力が宿っているからです。」明松は冷静に言葉を選びながら続けた。「槍は、イシュタル神殿に祀られていた女神像の銅製の一部を元に作られています。中東の古代遺跡から発掘されたもので、悪魔アスタロトに対抗するために、魔術師たちが長年研究して完成させた武具なのです。」


「まさかそんなものが運よく日本に存在するなんてな……」

田村は驚きを隠せなかった。

「いいえ、対アスタロト用に中東に準備されていたものです。」明松が静かに告げた。「神代さんがナベリウスの召喚を察知した時点で、すぐに手配したそうです。」

「ちゅっとまて。中東まで何千キロもあるだろ。どうやってて短時間で運んだんだ?あんな大層な物を……」田村の質問に、明松は小さく笑った。

「ICBMです。」

「……は?」田村は一瞬言葉を失った。

「大陸間弾弾道ミサイルに載せて運びました。」明松はさらりと言った。「特注の輸送用弾頭に載せ、中東から20分でここまで届けられたんです。」

「そんな……ミサイルで槍を運ぶなんて……!」田村は呆然とした表情を浮かべた。「魔術師たちは、どれだけ手の込んだことをやってるんだ……」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 瓦礫の上での短い休息を終え、三人は夜明け前の冷たい空気に包まれた病院を見渡していた。事件は一応の終結を迎えたが、解決すべき課題や疑問は山積みのままだった。


 田村は明松を睨むように見ながら口を開いた。「おい、魔晶石をあんなに大量に持ち込んでいたのは普通じゃないだろう。明松、お前、最初からこれはただ事じゃないって知ってたんじゃないのか?」

 明松は微かに笑いながら答えた。「まあ、いくつかの点から予測はしていました。例えば、病院のセキュリティが異常に厳重だったこと。普通の精神病院にはないレベルの防護策が施されていました。それに、看護師のスマホに残されていたデータ……ヘブライ語の文書や儀式の記録が決定的でした。」


 神宮寺が腕を組みながら問うた。

「その情報、どうやって手に入れたの?」

「患者や職員の端末にセキュリティホールがいくつかあったんです。調査の過程で得られた情報を解析して、召喚儀式が既に進行している可能性に辿り着きました。まぁ、神代さんが全部やったんですけどね」明松はさらりと言った。

「神代、相変わらず恐ろしい奴だな……」田村は頭を掻きながら呟いた。

 神宮寺は静かに話を聞いていたが、ふと顔を上げて明松を見た。

「ヘブライ語や紋様について、あなたたちには何か心当たりがあるの?」

「正直に言うと、まだ全てを解明したわけではありません。」明松は苦笑しながら答えた。「ただ、この儀式が中東地域の古代魔術をベースにしているのは確かです。アスタロトの召喚は、80年ぶりの世界的な大事件ですからね。」

「80年ぶり……」田村は眉をひそめた。「そんなものが過去にもあったのか?」

 明松は端末を閉じ、真剣な表情で頷いた。「はい。1940年代にもアスタロトの召喚が試みられた記録があります。結果的には未遂に終わりましたが、その影響で世界中の魔術師や宗教勢力が対策を強化したと聞いています。」

 神宮寺は刀を握り直しながら、冷静な声で言った。「80年と言ったら、第2次大戦の頃ね。その影響が今でも続いているのね……明松。80年前の召還って、もしかしてナチスが関係しているの」

「気が付いちゃいましたか」


 病院の屋上に、冷たい風が吹き抜けた。異界の門が閉じられたことで静けさを取り戻しつつある空間には、どこか張り詰めた緊張感が漂っていた。瓦礫の隙間からは崩壊した魔法陣の痕跡が見え、空には満天の星が広がっている。戦いは終わったはずだが、神宮寺遥の表情にはまだ消えない重い陰りがあった。


「田村さん、ひとつお尋ねしたいのですが……今回の事件において、あなたは本当にこの霊実験について何も知らなかったのですか?」

 神宮寺遥の声は、相変わらず穏やかで丁寧だったが、その瞳には鋭い光が宿っていた。

 田村一真はその問いに軽く笑いながら答えた。

「何度も言ってるだろう。俺が知ってたのは噂程度の話だ。実際にこんな大規模な儀式が進んでたなんて、思いもしなかった。」

 神宮寺は短く息をつき、俯いた。「ですが、80年前の出来事――ナチスが試みたアスタロトの召喚――その手法が今回の事件にも利用されている可能性があるのでは? もし神社勢力がその技術を受け継いでいたのだとしたら……」

「待て、遥さん。」田村は手を挙げて彼女の言葉を制した。「確かにナチスのオカルト技術が戦後にいろんな国に流れたって話は聞いてる。でもな、それが直接、俺たち神社勢力に渡った証拠なんてどこにもないだろう。」

「証拠はなくも、疑念が持たれるのは避けられませんよ。ナチスが中東や欧州で研究した召喚術の一部は日本に持ち込まれていたのは事実です。例えば、今回の儀式に使われた魔法陣や触媒は、明らかに中東由来のものです。それに、80年前の日本もナチスの同盟国だったことを考えれば……」

 神宮寺は少し間を置いて言葉を紡いだ。

「たとえ、どんな背景があったとしても、私たち退魔師は人々を守ることが使命です。その使命を果たすためには、内部の不正や過ちに対しても目を瞑るわけにはいきません。」


 田村は肩をすくめ、ため息をついた。「あんたらの言いたいことは分かる。けどな、俺が実験の全貌を知ってたら、こんな大事になる前に止めてたさ。」

 神宮寺はじっと田村を見つめ、その瞳にわずかな怒りを込めて言った。「田村さん、あなたは退魔師として現場で多くの経験を積んできたはずです。その中で、こうした危険な試みに無関心でいられたとは思えません。」

 田村は苦笑いを浮かべながら視線を外した。「無関心だったわけじゃないさ。ただ、俺は現場の人間だ。上層部が何を企んでるのか、全部を知る立場じゃない。」


 その時、明松が神宮寺に向けて静かに言葉を挟んだ。「神宮寺さん、田村さんの言葉を信用するかどうかは別として、いま必要なのは、この事態がどう収束するかを見極めることです。アスタロトの召喚は世界的な大事件です。バチカンや魔術師協会だけでなく、他の霊能力勢力からも追及されるでしょう。神社勢力が責任を問われるのは間違いありません。」

「その通りです。」神宮寺は頷きながら、田村を見つめた。「田村さん、私はあなたを責めるためにこの話をしているわけではありません。ただ、真実を隠したままでは、また同じような事件が起きてしまいます。」


 田村は一瞬だけ口をつぐんだが、やがて軽く笑った。「……神宮寺、あんたのその正義感には感心するよ。でも、組織ってのは、そんな単純なもんじゃないんだ。上層部はこれを隠蔽しようとするだろうし、俺たち現場の人間にできることは限られてる。」


 その時、神代蒼からのメッセージが神宮寺と明松の端末に届いた。

「状況確認完了。アスタロト召喚の痕跡を回収。神社勢力の関与が世界中の勢力に露見するのは時間の問題。田村の処遇については慎重に判断を。」

 神宮寺は画面を見つめ、深いため息をついた。「田村さん、いまはこれ以上詮索するつもりはありません。ただ、神社勢力として今回の事件をどう収束させるのか、その動きが私たち退魔師にとっても重要な問題です。」

 田村はその言葉を聞くと、少しだけ口元を歪めた。「分かったよ。俺にできる限りのことはする。だが、これ以上深入りするなら、あんたたちも危険を覚悟した方がいい。」

 夜明けが近づく中、神宮寺と明松、田村の三人はそれぞれの思惑を胸に抱きながら、崩壊した病院を後にした。


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