第4章:儀式 その2
「あなたが全ての元凶ね。」神宮寺は声を低く抑え、髪に触り一本抜くと、髪を一本矢に変えた。
倉田は余裕を見せながら言葉を返す。「そうよ。私こそが新しい世界の創造者――アスタロト様とナベリウス様のおかげで、世界は真の愛に満ちるわ。」
その言葉に、神宮寺の目が鋭さを増した。「そんな歪んだ愛、この世に存在する価値もないわ。」
神宮寺は光の矢を放ち、倉田の心臓を正確に狙った。その一撃は寸分違わぬ速度で倉田の胸に向かって進む――だが、矢が命中する直前、無数の怪物が倉田を取り囲むように飛び出した。
矢は怪物たちの身体を貫き、次々黒い霧と共に消滅させたが、倉田までには届かなかった。倉田は冷たい笑みを浮かべながら、手を軽く振り上げる。
「ナベリウス様と私の下僕たちが、あなたごときに手を出させると思う?」
その声と同時に、新たな怪物の群れが門から湧き出し、神宮寺と田村の周囲を取り囲んだ。
「こんなの、ただの小手調べよ。」神宮寺の声には余裕さえ感じられたが、その目は敵の隙を見逃さない鋭さを帯びていた。
「外だから手加減抜きで大暴れするわよ!」
神宮寺遥は短く言い放ち、鋭い視線を前方に向けた。風にたなびくポニーテールが月明かりを反射し、一瞬だけ屋上に浮かび上がるように見えた。彼女の手には神社から授かった妖刀が握られており、その刃先が怪物たちに向けられると、空気が震えるような異様な緊張感が漂った。
「行くわよ」
神宮寺遥が鋭い声で言い放つと同時に、刀を握り直し、疾風のごとく敵陣へと駆け込んだ。その姿は、戦場に舞い降りた神そのもののようだった。
田村一真はその言葉に苦笑しながらも短剣を構え、彼女の後を追う。「まったく、アンタにはついていけないよ……!好きにやれ、俺は援護に回る!」田村が短剣を掲げ、魔力を注ぎ込む。周囲に渦巻く黒い霧の中から、禍々しい存在が姿を現していく。
怪物たちはどれも異形の姿をしていた。細長い体に無数の腕が生えたもの、異常に膨れ上がった身体を引きずりながら動くもの、顔のない頭部が空虚な笑みを浮かべているようなもの――それらは全て、病院の負の感情と血塗られた儀式の産物だった。それぞれが異界の力を纏い、屋上全体に不気味な気配を放っていた。
一体の怪物が神宮寺に向かって疾走してきた。その動きは速く、鋭い爪が風を切る音が響く。だが神宮寺は微動だにせず、寸前のところで刀を振り抜いた。その一撃は無駄がなく、怪物の身体を一瞬で二つに裂いた。裂けた身体は黒い霧となって消え、周囲に漂う闇の濃度を一瞬だけ薄めた。
「いいぞ!その調子だ!」田村が叫びながらさらに式神を送り込み、怪物の動きを封じ込める。
「どんどん来なさい。全部斬り伏せてあげるわ!」神宮寺は声を張り上げながら、さらに前進した。
別の怪物が飛びかかってきた。その巨大な口は鋭い牙で満たされ、血のような液体が滴り落ちている。田村が咄嗟に式神を放った。召喚された炎の狐が怪物の動きを封じ、その隙に神宮寺が刃を振るった。鋭い斬撃が怪物の体を貫き、炎と共に消し去った。
「調子に乗るなよ、俺もいるんだからな!」田村は短剣を握り直し、さらに式神を召喚する。次に現れたのは、青白い光を纏う巨大な狼だった。その狼は低く唸り声を上げながら怪物の群れに突進し、牙で切り裂き、爪で引き裂く。
「やるな、田村!」神宮寺が短く声をかける。
ナベリウスは静かにその光景を見下ろしていた。まるで、戦いそのものを楽しむように冷たい笑みを浮かべている。
「面白い。だが、それでどこまで耐えられるか見せてもらおうか。」ナベリウスが再び手を振ると、新たな怪物が霧の中から現れた。
一方、神宮寺は刀を握りしめ、素早い斬撃で次々と怪物たちを切り落としていった。彼女の動きには無駄がなく、一撃ごとに確実に敵を仕留めていく。その姿はまさに「戦巫女」の名にふさわしいものだった。
しかし、怪物たちの数は一向に減らない。それどころか、門から湧き出るように次々と新たな怪物が現れる。その圧倒的な数に一瞬の焦りを覚える田村だったが、神宮寺の声がそれを打ち消した。
「これならどうだ!」田村が式神を召喚すると、燃え上がる火の玉が空中を飛び、怪物の群れを包み込んだ。火が黒い霧を焼き払い、怪物たちが一瞬ひるむ。しかし、霧が再び巻き戻るようにして怪物の体を修復させ、なおも攻撃を続ける。
「こいつら、倒しても再生するのか!」田村が短剣で近づく怪物を防ぎながら叫んだ。
神宮寺は冷静に状況を見極め、素早く地面に護符を叩きつけた。護符が赤く光を放ち、その範囲内に入った怪物が急に動きを止めた。
「再生させない方法もあるわ。」神宮寺が冷たい声で告げる。「護符の結界内なら、こいつらの力は弱まる。」
その言葉通り、結界の中で動きが鈍った怪物たちを、彼女は次々と斬り伏せていった。一撃ごとに黒い霧が消え去り、残骸すら残さず怪物が消滅していく。
「すごい……」田村が呟いた。「これほどの力を持つ退魔師が本当に存在するなんて。」
神宮寺は言葉を返さず、さらに怪物の群れに向かって駆け出す。その目には一切の迷いがなく、刀が閃くたびに敵が浄化されていく。彼女の動きはまるで舞踊のように美しく、流れるような動きで敵の攻撃をかわしながら、的確に急所を狙い続けていた。
「私はこっちで片付ける。あなたは後方で援護に徹して。」神宮寺が短く指示を飛ばした。
「わかった!」田村は頷き、再び短剣を構え直した。彼は炎の式神を次々と送り込み、遠くから迫る怪物を足止めする役割を担った。
だが、怪物たちは次々と湧き出てくるかのように数を増やし、二人を包囲しようと動きを変え始めた。その場の空気がさらに重たくなり、異界の力が屋上全体を覆っていくのが感じられた。
「負ける気がしないわ!」神宮寺は自信に満ちた表情を浮かべながら、再び、自らの髪を一本抜いた。その髪に念を込めると、それは瞬時に鋭い矢のように変化した。彼女はそれを放ち、矢は光の軌跡を描いて怪物たちの群れを貫いていった。
「なるほどな。お前が本気を出すとこうなるのか。」田村が苦笑しながら呟く。
「なら、次は……これよ!」神宮寺は刀を構え直し、静かに念を込めた。その瞬間、彼女の背後に巨大な影が現れた。それは白銀の鱗を纏った神獣「白竜」だった。竜は威風堂々とした姿で現れ、鋭い瞳で怪物たちを睨みつけた。
「白竜、行きなさい!」
神宮寺の鋭い声が屋上の異様な静寂を破った。白銀の鱗をまとった巨大な神獣が一声咆哮を上げ、その瞬間、空間が震えるような感覚が広がった。白竜の目は敵を見据え、その鋭い爪が地面を引き裂きながら疾走する。
周囲に広がる怪物たちは、白竜の咆哮に一瞬ひるんだが、それでも本能に突き動かされるように神宮寺と田村に向かって押し寄せる。その姿はまさに地獄絵図そのものだった。異形の怪物たちは、黒い霧を纏い、歪んだ腕や鋭い牙を剥き出しにしながら襲いかかってくる。
神宮寺は白竜に指示を送りながら、刀を握り直し前進した。「ここで足止めされるわけにはいかない!」その言葉と同時に、彼女の刀が一閃し、最前線の怪物の頭部を切り裂いた。怪物は断末魔の声を上げる間もなく、黒い霧となって消えた。
「まだまだいけるわね!」神宮寺は笑みを浮かべながら、白竜と共に敵の群れをさらに押し返していった。その姿はまさに圧倒的で、田村も内心では驚きを隠せなかった。
「こんな化け物じみた奴が同僚にいるとはな……俺もまだまだだな。」田村は息を整えながら、再び次の式神の準備を始めた。
田村も式神を駆使しながら、後方支援を続けていた。彼が召喚した狼のような式神が、猛然と怪物の群れに突進し、その牙で怪物を切り裂いていく。だが、怪物たちは尽きることなく次々と現れる。
「こいつら、どこから湧いてくるんだ……!」田村が汗を拭いながら呟く。
「関係ないわよ!」神宮寺が叫びながら、次の怪物を一刀両断した。「全部斬ればいいだけ!」その姿は、まるで無数の敵を前にしても揺るがない剣の女神のようだった。
白竜はその巨体を生かし、敵の群れを押しつぶすようにして前進していく。口から放たれる白光のブレスは、怪物たちを一掃し、異界の霧を瞬時に払っていった。周囲の光景が一瞬だけ清浄さを取り戻すたび、神宮寺と田村はわずかな隙を見逃さず、さらに次の動きを繰り出した。
「こいつら、神宮寺がいなかったら絶対に突破できないな……」田村が苦笑しながら言った。
「だったら黙って援護してなさい!」神宮寺が振り返ることなく叫ぶ。その声には全幅の信頼が滲んでいた。
白竜がさらに吠え、その鳴き声が周囲の空気を震わせる。
「私の周りに集まって!これで終わりにする!」 神宮寺が叫び、束ねていた髪を一気に切り落とすと、その束を破魔矢として天空に向けて放った。矢束は空中で炸裂し、無数の小さな光の粒となって広がり、天空を覆った。その光の粒は、降り注ぐたびに無数の矢となり、怪物たちを射抜き、怪物たちは浄化されるように消滅していく。
その光景はまるで星の雨が降り注ぐかのようだった。怪物たちは一つまた一つと浄化され、消滅していく。
「これほどとは!」田村が驚きの声を上げた。「こんな技を持ってるとはな!」
「当然でしょ。」神宮寺は冷静に答えた。
光の矢がすべて落ちきると、屋上には短い静寂が訪れた。神宮寺はゆっくりと息を整え、視線を門の方へ向けた。門はまだ異様な力を放っており、その周囲で倉田美緒が不気味な笑みを浮かべていた。彼女の黒い司祭服は月光を浴びて微かに光り、その姿は儀式の司祭というよりも異界そのものの具現のようだった。
「どうやら、ひとまずは片付いたようだな。」田村が息を切らしながら白竜に目をやる。
神獣は主人である神宮寺に軽く頷き、次の指示を待っているようだった。
「ありがとう、白竜。」神宮寺は刀を鞘に収めながら言った。「でも、まだ終わりじゃないわ。この先にもっと厄介なものがいる。」
「まだ抵抗するつもり?」倉田が冷たく笑った。「私たちの世界が完成するのはもう間近よ。あなたたちにそれを止める力があるとでも?」
「あなたの言う世界なんて、ただの悪夢よ。」神宮寺は倉田を睨みつけながら冷静に返した。その手には刀が握られており、その刃先が倉田の胸元を正確に捉えていた。
倉田は顔を歪めながら嘲るように続けた。「何を言っても無駄よ。門はもう開かれるわ。ナベリウス様も、アスタロト様も、あなたのような虫けらに手を煩わせることはないわ。」
その言葉と共に、門の周囲が不気味に震え始めた。異界の力が溢れ出し、屋上全体に重く澱んだ空気が漂い始める。倉田は両手を広げると、黒い霧の中から新たな怪物が湧き出すように現れた。
「また増えるのか……!」田村が汗を拭いながら短剣を構え直す。
「時間を稼ぐのが目的ね。」神宮寺は冷静に状況を見極め、再び刀を握り直した。「私がナベリウスの相手をする。それ以外は任せたわ」
彼女は一瞬目を閉じ、自らの内にある力を解放するように深呼吸をした。そして、刀を持つ手を高く掲げる。
「白竜、もう一度力を貸して。あなたの力を私の刃に宿し、すべてを断つ力に変える!」神宮寺の言葉に応じて、白竜はその巨大な体を収縮させるように輝きながら縮み、神宮寺の刀に吸い込まれていった。刀が白銀の光を放ち始め、その刃先には竜の紋様が浮かび上がる。
田村がその光景に驚きの声を上げた。「そんな技まで使えるのかよ……!」
「これで怪物も、あの門も、一気に叩き壊す。」神宮寺は力強く言い放つと、その刀を倉田に向けた。「あんたの幕もここまでよ。」
その先に待つのは、異界の門を守る最強の存在――ナベリウスの姿だった。
倉田の笑みが一瞬歪んだ。目の前で力を増す神宮寺の姿に、確かな脅威を感じたのだろう。
屋上の空間は一瞬だけ静寂に包まれたが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。倉田美緒が焦りを隠せない様子で異界の門を振り返る。「こんなはずでは……ナベリウス様、彼らを止めてください!」
倉田の呼びかけに応じるように、ナベリウスが一歩前に進み、冷ややかな笑みを浮かべた。「人間の力でここまで到達するとはな……だが、この門を守るという我が使命に揺らぎはない。」
神宮寺はその言葉を受け流すように刀を構え直し、次の戦いに備えた。「門を守るですって?そんなもの、私が叩き壊してやるわ!」
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ナベリウスが屋上の異界の門の前に立ちはだかり、その中性的な美しい顔に冷ややかな笑みを浮かべた。その姿は、まるで天使が降臨したかのような荘厳さをまといながらも、どこか不穏な気配を漂わせていた。その背後には、異界の門が不気味な光を放ちながら脈動しており、屋上全体が異様な空気に包まれている。
「人間ごときが、この領域に踏み込むとは愚かなことだ。だが、お前たちも祭りの終焉に華を添える存在に過ぎない。」ナベリウスの声は、深い響きを持ちながらもどこか冷徹だった。
「愚かなのは、あなたよ。」神宮寺遥は鋭い視線をナベリウスに向けた。神宮寺は鋭い声で言い放ち、刀を掲げた。その刃は白竜の宿った力によって眩い光を放っていた。「あなたの言葉には力がある。でも、私はそんなものには惑わされない。」
彼女の宣言に、ナベリウスの微笑みがさらに深まった。「お前のその傲慢、いかにも人間らしい。だが、その程度で私を倒せると思うのか?」
「試してみればいいわ。」神宮寺は静かに刀を構え、地を蹴って一気にナベリウスとの間合いを詰めた。
神宮寺の動きは閃光のようだった。刀が一閃し、空気を切り裂く音が響く。だが、その一撃をナベリウスは軽やかにかわし、薄い笑みを浮かべたまま手を振り上げた。その動作に呼応するように、異界の門から黒い霧が吹き出し、周囲の空間を覆い始める。
「私の領域に足を踏み入れた以上、逃れることはできない。」ナベリウスは冷たい声で告げると、その右手に黒い槍のような光が形作られた。それを神宮寺に向けて投げ放つ。
「田村!」神宮寺が叫ぶと、田村はすぐに護符を投げ、結界を張って槍の軌道を反らした。黒い槍は結界にぶつかり、屋上の端に突き刺さって消滅する。
「やるじゃないか、人間。」ナベリウスは興味深そうに田村を見やった。「だが、お前に興味はない。邪魔をするなら、消すまでだ。」
田村は汗を拭いながら短剣を構え直し、冷静に言葉を返した。「そっちの美男ぶった悪魔に興味はないが、神宮寺のサポートなら喜んでやらせてもらうぜ。」
神宮寺は田村の言葉に応じることなく、ナベリウスを睨みつけた。「私は一人でも十分。あなたはその門を守りたいみたいだけど……それを壊せば、あなたも無力になるのかしら?」
「面白い。」ナベリウスは一歩前に出て、手のひらを広げた。その瞬間、黒い雷が空中を走り、神宮寺を襲う。だが、彼女は素早く回避し、刀を振るって雷を斬り裂いた。
「その程度じゃ私には効かない!」神宮寺の声が響く。
両者の攻防は激しさを増していった。神宮寺の刀が白銀の輝きを放ちながら何度もナベリウスに向かって振るわれるが、ナベリウスはその動きを軽々といなし、時折反撃を加える。異界の門から吹き出す黒い霧が神宮寺の動きを妨げるように広がり、視界を遮る。
「神宮寺!後ろだ!」田村が警告の声を上げると、彼女は素早く振り返り、背後から迫る黒い光の槍を斬り裂いた。
「ありがとう、田村!」神宮寺が短く礼を述べる。
彼女は再び刀を構え直し、今度はナベリウスの中心を狙って突進する。その一撃は、白竜の力が宿った刀の輝きと共にナベリウスの胸元に迫った。しかし、ナベリウスは手を振るうだけでその衝撃をいなし、冷笑を浮かべた。
「その力、悪くはないが、まだ足りない。」
ナベリウスが手をかざし、新たな黒い雷を放とうとした瞬間、神宮寺の目が鋭く輝いた。「それなら……次はどうかしら!」
神宮寺は刀を掲げ、一気に周囲の霧を斬り払うように振るった。その衝撃波がナベリウスに届き、彼の足元の黒い霧をかき消す。
「ほう……少しは本気を見せたか。」ナベリウスは初めて表情を引き締めた。
だが、その瞬間、異界の門の脇で倉田美緒が崩れるように座り込んだ。彼女は明らかに魔力を使い果たした様子で、震える手を伸ばしながら門を見上げていた。
「ナベリウス様……!どうか……この者たちを滅ぼしてください……!」倉田の声はもはや力を失っていた。
ナベリウスは振り返り、倉田に冷たい視線を向けた。「お前の役目は終わった。これ以上は私が引き受ける。」
その言葉を聞いた神宮寺は静かに刀を構え直し、田村に短く指示を飛ばした。「倉田を制圧する準備を。あの門を閉じるのが先決よ。」
「了解!」田村が結界の準備を始める中、神宮寺はナベリウスに向かって最後の一撃を狙った。
神宮寺は刀を輝かせながら、疾風のようにナベリウスに迫った。その目には迷いがなく、白竜の力を宿した一閃が空気を切り裂き、異界の闇を照らし出す。ナベリウスはその刃を見定めるように視線を動かし、わずかに手を動かしただけで防御の体勢を取る。
刹那、二つの力がぶつかり合い、衝撃波が屋上全体に響き渡る。風が巻き起こり、異界の門から黒い霧が激しく渦巻いた。
「この程度の力で私を打ち倒せると思うか?」ナベリウスが冷笑しながら言う。
「倒せるわけがないでしょう?」神宮寺が冷静に答える。「でも、あなたがここにいる以上、門の破壊は不可能じゃないわ。」
彼女は一瞬だけ視線を倉田に移す。倉田は明らかに力を失い、異界の門のそばで身を震わせていた。その目は焦燥感に満ち、神宮寺の一挙手一投足を見つめている。
「ナベリウス様!お守りください!私はまだ……!」倉田が必死に叫ぶ。
だが、ナベリウスは冷ややかな視線を向けるだけだった。「お前は既に役割を果たした。それ以上のものを望むな。」
神宮寺はこの隙を逃さなかった。白竜の力をさらに刀に注ぎ込み、跳躍してナベリウスの頭上を取る。一閃が光となり、ナベリウスの肩にかすかな傷をつけた。
「ほう……」ナベリウスは傷口を指で撫で、不敵な笑みを浮かべた。「人間にしてはやるな。しかし、それではまだ足りない。」
ナベリウスは右手を掲げ、異界の門から黒い雷を呼び出す。その雷は蛇のように空中を這い回り、神宮寺に向かって放たれた。だが、彼女はその一撃を刀で弾き返し、なおも前進する。
「もう終わりにするわ!」神宮寺が叫びながらナベリウスに斬りかかる。その刀は一瞬だけ輝きを増し、彼女の全力を込めた一撃となった。
一方、田村は倉田を制圧するべく、短剣を構えて接近する。「覚悟しろ」彼は炎の式神を召喚し、その炎が倉田の周囲を囲むように燃え上がった。
「やめて……やめて!」倉田が恐怖に震えながら叫ぶ。「ナベリウス様!助けてください!」
その声に応じるように、ナベリウスは刀を受け止めながら神宮寺に冷たく告げた。「人間よ、ここで消えるがいい。」
だが、その瞬間、神宮寺の刀が再び光を増し、彼女の全力の一撃が放たれた。刀がナベリウスの防御を突破し、深い一太刀を刻む。その衝撃により、ナベリウスが初めて膝をつく。
「この私が……!」ナベリウスが呟き、初めて動揺を見せた。
その隙を逃さず、神宮寺は田村に指示を飛ばした。「倉田を抑えて!今がチャンスよ!」
「了解!」田村は短剣を構え直し、倉田のすぐ近くで結界を発動させた。炎が彼女の動きを封じ、異界の門をさらに閉じ込めるように力が集まった。
倉田はその光景を見て、明らかに顔を歪めた。「こんなはずでは……!」
彼女は魔力が尽きかけていることを悟り、焦燥感と絶望が入り混じった表情を浮かべながら、異界の門を見上げた。その目にはすがるような光が残されていたが、それすらも薄れていく。
「ナベリウス様……!」倉田の声はもはや頼りないものとなっていた。
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戦況がますます不利になる中、倉田美緒の冷静な表情が徐々に焦燥に染まっていった。屋上の異界の門を守るナベリウスは、神宮寺の猛攻を受けて膝をつき、その黄金の瞳にわずかな動揺が浮かんでいた。
「ナベリウス様!なぜ……なぜあの程度の人間に追い詰められているのです!」倉田は声を震わせながら叫んだ。その顔には理性の欠片もなく、儀式の崩壊に対する恐怖が色濃く現れていた。
ナベリウスは冷たく笑みを浮かべながら、かすかな声で応じる。「所詮、お前たちごとに召喚された影のごとき存在だ……」
倉田はナベリウスの言葉に耳を貸さず、異界の門を振り返った。目に映るのは、未だ完全に開き切らない門と、湧き出す黒い霧だけだ。「門が……まだ完全ではない……!」
その瞬間、倉田の顔がゆがみ、全てを捨て去る覚悟を決めたように不気味な笑みを浮かべた。「ならば……ナベリウス様、あなたをもこの儀式の糧にさせていただきます!」
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倉田は異様な声で呪文を唱え始めた。その声は周囲の空気を震わせ、門の光が激しく点滅を繰り返した。驚愕の表情を浮かべるナベリウスに、倉田は儀式の刃を突きつけた。「私のために力を尽くしてくれたあなたには感謝しています……さようなら。」
倉田の手から放たれた刃はナベリウスの胸に深く突き刺さり、異界の力が彼の体から引き剥がされるように放出された。
「何を……している……?」ナベリウスが苦悶の表情を浮かべる。
「あなたを生贄に捧げるのよ、ナベリウス様。」倉田は冷たく微笑んだ。「新しい力を手に入れるためにね。」
倉田が力を注ぎ込むと、ナベリウスの体が裂け、黒い霧と共に生命エネルギーが吸い上げられていく。その光景に田村は目を見張り、神宮寺は刀を構え直しながら事態を見守った。
「これは……!」神宮寺が低く呟いた。
ナベリウスが断末魔の叫びを上げながら霧となり、そのエネルギーが倉田の体内へと流れ込む。同時に、倉田の腹部から裂け目が現れ、異様な力が渦を巻き始めた。
「これで……すべてが変わる……!」倉田の体が異様な光に包まれ、彼女自身が異界の門と化していく。その裂け目の中から、腐敗した巨大な手が這い出てきた。
「これが……アスタロト……」倉田が歪んだ笑みを浮かべながら呟く。「私の勝利よ……!」
門の中から現れたのは、腐敗した巨大な存在――アスタロトだった。その姿は異常なほど歪んでおり、未完成な肉体が腐敗した黒い霧を放っていた。しかし、その眼差しには圧倒的な威圧感があり、異界の力を存分に振るう存在であることは明らかだった。
「これが……アスタロト様……!」倉田は上半身だけとなった姿で高揚し、笑みを浮かべた。「これで私の夢が叶う……!」
アスタロトは不完全な身体を震わせながらも低く呟いた。「人間どもよ……これが滅びの序章だ……」
神宮寺遥は目の前の異常な光景を見つめながら、刀を握り直した。「絶対にここで終わらせる……こんなものを世界に出すわけにはいかない!」
田村は短剣を握りながら神宮寺に声をかけた。「援護は任せろ!お前はあいつを叩き潰せ!」
神宮寺は白竜の力を再び刀に注ぎ込み、その刃を輝かせた。「全力で行くわよ!」
そのとき、月光の下に明松が現れた。彼は息を切らしながらも静かに宣言した。「ここからは、僕も加わる。終わらせよう、彼女の歪んだ夢を。」
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アスタロトの降臨と共に、屋上の空間は一変した。異界の門から現れたその姿は、不完全な召喚の影響で全身が腐敗しており、肉体は爛れた瘢痕に覆われていた。しかし、その圧倒的な存在感は一目で異常な力を持つことを物語っていた。彼の周囲には黒い霧が渦巻き、周囲の空間が圧迫されるような感覚が広がっていた。
「これがアスタロト……」田村が短剣を構えながら呟いた。その手が微かに震えているのは、目の前の悪魔が放つ威圧感に抗えないからだった。
「私が降臨した以上、お前たちに未来はない。」アスタロトの声が低く響き渡り、空気そのものが震えた。
その声は地響きのように重く、響くだけで体に圧力を感じるほどだった。神宮寺はその威圧感に眉ひとつ動かさず、静かに剣を握り直す。彼女の背後に宿る白竜の力が、刀に淡い光をまとわせている。
「不完全な召喚ね。」神宮寺が冷ややかに言い放つ。「でも、その力が充分危険だというのは分かるわ。」
アスタロトは腐敗した腕をゆっくりと上げ、指を鳴らすと、空間全体が震えた。その合図と共に地面が裂け、足元から黒い触手のようなものが這い出してくる。触手は鋭い爪や口を持ち、神宮寺たちに襲いかかった。
「下がって!」神宮寺が鋭く声を上げると同時に、刀を振り抜き、触手を切り裂く。しかし、その動きは明らかにこれまでの戦いよりも重かった。
「さすがに……これは厄介ね。」神宮寺遥が冷静に刀を握り直しながら言った。その目には一切の迷いは見えないが、その奥に潜む緊張が感じられる。
倉田美緒はその場で狂気じみた笑みを浮かべ、地面に崩れ落ちながらも勝利を確信していた。「これが……我が神の力……アスタロト様の栄光よ……!」
アスタロトは彼女には目もくれず、冷ややかな視線を神宮寺に向けた。「そなたが、ここまで私の召喚を妨害した者か……些細な存在だな。しかし、汝の力には興味がある。」
アスタロトが一歩足を踏み出すと、その一歩で屋上全体が揺れ動き、瓦礫が崩れ落ちた。彼が手を軽く振るだけで、黒い波動が空間を裂き、霧となって四方へと広がった。その波動はあらゆるものを呑み込み、破壊しながら進んでいく。
「避けて!」神宮寺が叫び、田村と共に即座に身を引いた。波動が地面を抉り、石畳を粉々に砕いた。
「私の一撃すら避けるとは……少々驚いた。」アスタロトが冷静に呟く。その声には、まるで遊戯を楽しむような余裕が滲んでいた。
神宮寺は白竜を宿した刀を高く掲げた。「あなたが何であれ、私たちはここで止まるわけにはいかない。」その声に宿る力は、不屈の意志を感じさせた。
「ならば試すがいい。」アスタロトが手を掲げると、空から無数の槍のような黒い光が降り注いだ。それは異界の力そのものであり、触れたもの全てを焼き尽くす力を持っていた。
神宮寺は即座に防御の結界を展開し、降り注ぐ槍を防いだが、その力の余波だけでも結界が軋む音が聞こえた。「なんて力……!」
アスタロトはさらに笑みを深め、腐敗した腕を大きく振り上げる。その動きに呼応して、空間全体が歪み、屋上の床が一部崩れ落ちた。その衝撃で倉田はバランスを崩し、叫び声を上げた。
「アスタロト様!私は――」倉田が必死に声を上げたが、次の瞬間、アスタロトの攻撃が放たれる。腐敗した黒い衝撃波が周囲を薙ぎ払い、その巻き添えを受けた倉田の体が吹き飛ばされた。
「ぐあっ!」倉田の悲鳴が響き、彼女の体は屋上の端へと叩きつけられた。その場には血だまりが広がり、彼女の動きは止まった。
「皮肉ね……自分が呼んだ神に殺されるなんて……」神宮寺が低く呟いた。
アスタロトは倉田に一瞥もくれず、ただ神宮寺たちを見据えていた。「この肉体は未完成だが、それでも十分だ。お前たち人間など、一瞬で消し去る力がある。」
神宮寺は呼吸を整え、白竜の力が宿る剣を再び握り直した。その手にはわずかな震えも見られない。「その力、見せてもらおうじゃない。」
彼女は一歩前に踏み出し、鋭い目でアスタロトを睨みつける。その視線には、一切の迷いも恐怖もなかった。
「田村、支援を頼む。」神宮寺が短く言い放つ。
「神宮寺!」田村が式神を召喚し、光の盾を追加で展開する。「無茶するな!この化け物に勝つのは無理だ!」
「勝つのよ!」神宮寺は叫び、刀を振り抜いた。その刃は白竜の力を帯び、光の閃光がアスタロトに向かって一直線に放たれた。閃光はアスタロトの胸に命中し、一瞬だけその動きを鈍らせた。
「おお……!」田村が歓声を上げるが、次の瞬間、アスタロトは何事もなかったかのように歩みを進めた。
「これが全力か?」アスタロトは冷笑を浮かべる。「弱き者よ、汝の命はただの無駄だ。」
神宮寺は全力で斬撃を放ち続けるも、アスタロトの硬い身体に傷を付けることすらできない。白竜の力を込めた攻撃も、彼の肉体にはかすり傷を与えるに留まっていた。
「困ったわね……!」神宮寺は息を切らしながら言った。その声には焦りが隠せない。
アスタロトは手を振り下ろし、その一撃で地面が砕け散った。その衝撃で神宮寺と田村は吹き飛ばされ、瓦礫の上に倒れ込む。
「これ以上、無駄な抵抗を続ける必要があるのか?」アスタロトが冷酷に言い放つ。「汝らは敗北を受け入れるがいい。」
田村が短剣を杖のように使って立ち上がり、血を拭いながら言った。「くそ……どうする、神宮寺……!」
「まだ終わってない。」神宮寺は立ち上がり、刀を強く握り直した。「私は……絶対に負けない!」
田村は顔を歪めながらも、短剣を握りしめた。その震える手に、疲労と恐怖が見て取れる。「神宮寺……本当に勝てるのか?あいつはただの化け物じゃない……こんな力、俺たちでどうにかなるのか?」
アスタロトはその言葉を聞き取り、唇を歪めて笑った。「そうだ、絶望は正しい感情だ。我が前では抗うほどに無意味さを思い知っただろう。どうだ。お前たちほどの能力者を失うのは惜しい。私の僕にならないか」
その威圧的な声に、田村の表情はさらに硬くなった。しかし、神宮寺は一歩も引かず、アスタロトの瞳をまっすぐに見据えた。
「希望がある限り、勝利は諦めない。それが退魔師の役目よ。」彼女の声には揺るぎない決意が込められていた。
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アスタロトは興味深げに首を傾げた。「ほう……面白い。では、私の力を存分に見せてやろう。その希望を粉々に打ち砕いてやる。」
再びアスタロトが攻撃の構えを取ったその瞬間、空に一筋の光が走り、屋上に新たな気配が現れた。その時だった。屋上の階段の扉が轟音を立てて開き、一人の少年が現れた。
「そうとも限らないさ。」明松真也が息を切らしながらも、冷静な声で言い放った。
空中に無数のドローンが現れ始めた。それらは彼の腕時計型の端末に呼応しながら飛び交い、夜空に巨大な魔法陣を描き始める。
「満月を利用した儀式?それはこっちも同じだ。」明松は冷たい笑みを浮かべながら、操作を続けた。「これは古代ソロモンの悪魔封印術に基づいた結界だ。俺たちにはこれがある。」
夜空には無数の光が交差し、幾何学模様を描いていった。それは、神秘的でありながらも威圧的な美しさを持つ巨大な魔法陣だった。青白い光の線が星空を切り裂き、緻密な紋様を形作る。その光景は、退魔師たちが知るどの技法とも異なる西洋魔術の成果だった。
アスタロトはその光景を見上げた。「これは……何だ……?」その低く響く声には苛立ちと困惑が混ざっていた。彼の腐敗した体が一瞬だけ鈍り、その威圧感が少しだけ弱まったように感じられる。
「何をしている……!」アスタロトが怒りの声を上げた。
「君をここで倒す準備だよ。」明松が静かに告げる。
アスタロトはその言葉を聞くや否や、目を見開き、憤怒の表情を浮かべた。「小賢しい……人間風情が、我が力を封じようなどと……!」彼の声が響き渡ると同時に、屋上全体が震えた。しかし、その力は魔法陣によって確実に抑え込まれているようだった。
夜空に展開された美しい魔法陣が、異界の空間に不思議な変化をもたらした。赤黒く染まり、裂け目が走るような異様な空が次第に浄化され、満天の星空が広がり始める。魔法陣が放つ青白い光は、星々の輝きと相まって屋上全体を包み込み、戦場の雰囲気を一変させた。
神宮寺はその変化に目を見張り、槍を握りしめながら静かに呟いた。「美しい……」
田村も周囲を見渡しながら感嘆の声を漏らした。「信じられない……これが明松の魔術なのか?」
明松は腕時計型端末を操作しながら冷静に答える。「満月の力を利用しているだけです。あの魔法陣がアスタロトの異界の力を抑制する一方で、現実の空を取り戻しているんですよ。」
アスタロトはその光景を見上げ、不快感を露わにした。「これは……何だ……?私の力が削がれていく……!」
その声は、かつての威圧感が薄れ、苛立ちが滲んでいた。腐敗した巨大な体がゆっくりと動き、黒い霧を撒き散らしながらも、その濃度は次第に薄まっていく。
「どうやら効いているみたいね。」神宮寺が槍を構え直し、低く構えた。
「どうやら、間に合ったみたいですね。」明松が短く笑みを浮かべ、「さて、神宮寺さん、あなたの出番です。これで仕留めてください。」と言い、端末に最後の指示を入力した。
ドローンの一機が神宮寺の頭上を飛び、黄金の槍が彼女の手に馴染むように落ちてきた。その瞬間、槍が眩いばかりの光を放ち、周囲に温かくも力強い気配を漂わせた。それは異様なほど洗練された形状をしており、柄から刃先にかけて古代文字のような紋様が刻まれていた。
神宮寺はその槍を受け取り、その異様な力を感じ取った。「これ……何?」
明松はその問いに冷静に答えた。「イシュタルの槍――魔術師たちが作り出したと神聖な武具です。これなら、不完全とはいえアスタロトに対抗する力がたぶんあります。」
田村が驚きの声を上げた。「そんなものが存在するなんて……!」
「イシュタルの槍……」神宮寺はその力を感じ取り、決意を新たにした。「これで……終わらせる!」
アスタロトはその光景を見て、不完全な体を震わせながらも冷笑を浮かべた。「その槍で我を討つつもりか……?愚か者め、人間の武器など――」
「黙りなさい!」神宮寺の鋭い声がアスタロトの言葉を遮り、彼女は槍を構えた。その瞬間、槍が青白い閃光をまとい、まるで神話の一幕のような光景が広がる。
「行くわよ!」神宮寺は全力を込めて槍を投げ放った。その一撃は、星空の下で一筋の流星のように輝きながらアスタロトに迫った。
アスタロトは再び威圧的なオーラを放ち、腐敗した腕を振り上げた。「人間の分際で、我に刃向かうか……!」
その瞬間、神宮寺が全ての力を込めて槍を投げ放った。イシュタルの槍は一筋の閃光となり、アスタロトの胸を正確に貫いた。
「グアアアアッ!」アスタロトは断末魔の叫びを上げ、その身体が激しく揺れた。腐敗した部分が次々と崩れ落ち、異界の霧と共に消えていく。
アスタロトの影が完全に消えたとき、屋上には静寂が訪れた。儀式の魔法陣も徐々に消え、夜空にただ満月だけが残された。
「これで……終わりね。」神宮寺が静かに呟き、槍を下ろした。
空には再び美しい満月が浮かび、静けさが屋上を包んでいた。明松が操作を止め、満天の星空を見上げながら深く息を吐いた。「これで一件落着ですね。」
田村は白竜が光に還るのを見届けながら、「やれやれ、大変な夜だったな。」と苦笑した。
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アスタロトが完全に消滅した後、屋上は静寂に包まれた。異界の力が払われ、病院を覆っていた不気味な気配は徐々に薄れ、現実の空気が戻ってきた。しかし、その静けさの中にも戦いの余韻が残り、彼らの心には深い疲労が漂っていた。
神宮寺は槍を見つめながら、ゆっくりと息を整えた。その手の中で「イシュタルの槍」は輝きを徐々に失い、やがて冷たく無機質な感触だけを残して静かに消えていった。
「終わったのか……本当に。」田村が短剣を腰に収めながら、呆然とした表情で呟いた。
「終わらせたのよ。」神宮寺が冷静に答えた。彼女の声には疲労が滲んでいたが、その目はまだ戦闘の緊張感を失っていなかった。「ただ、これが全てではない。」
明松が一歩前に出て、屋上の端から病院の敷地を見下ろした。夜空は完全に美しい星空を取り戻し、冷たい風が吹き抜けている。彼は端末を操作しながら静かに言った。「異界の浸食は止まりました。ドローンの結界と魔法陣がうまく作用して、病院周囲の空間も安定しています。」
田村は彼の言葉を聞きながら肩をすくめた。「あんたのその西洋魔術ってやつ、俺たちには全く理解できないが……助かったのは確かだ。サンキューな。」
「どういたしまして。」明松は軽く頷いた。「ですが、忘れないでください。これは単なる一つの戦いに過ぎません。本当に守りたいものを守るためには、まだ多くのことを明らかにしなければなりません。」
その言葉に神宮寺も同意するように頷き、病院全体に目を向けた。「この病院で起きたこと……そして、ここに関わった人々の秘密を突き止める必要があるわ。」
「まずは休むべきだ。」田村が溜息をつきながら言った。「これ以上無理をすれば、俺たちが倒れるだけだ。」
神宮寺は短く笑いながら答えた。「それもそうね。でも、ここで立ち止まってはいられない。」
「そうだな。」明松が端末を操作しながら言葉を続けた。「帰還したら、今回の戦いのデータを分析し、次に備えます。そして……」
彼は一瞬間を置き、二人に視線を向けた。「もっと多くの情報を集める必要があります。この病院の背後に何が隠されているのか、そしてこれが本当に終わりなのかを確かめなければ。」
「分かっている。」神宮寺が刀を鞘に納めながら、静かに歩き出した。「でも、今はとにかく、生きて帰ることを優先しましょう。」
三人は無言のまま屋上を後にし、階段を下り始めた。その背中には、異界との戦いを終えた戦士たちの疲労と覚悟が滲み出ていた。
夜空は静かに輝きを放ち、星々が見守る中で、彼らは次なる戦いへの一歩を踏み出した――その胸には、守るべきものへの強い意志を抱きながら。




