公爵令嬢と第一王子は婚約破棄に恐れ戦く
トライゼル王国、テブルマナ公爵家令嬢、シャルテリア・テブルマナ。
丁寧にカールされた輝くような金髪、そして、その下から覗かせる美しい顔立ちは、まさに社交界の花と呼ばれるにふさわしく、加えて、彼女は容姿だけではなく、教養に溢れた聡明な女性であった。
その若さで、父である公爵の仕事を手伝っており、その政治手腕もまた確かなものだ。
さらに、彼女は相手が誰であれ礼節を忘れず、加えてその人を見る目の高さから、彼女の口利きで取り立てられ、大成した平民・下級貴族出身の騎士や文官は多い。
そんな才媛と名高い彼女は、王国の第一王子、ダニエル・トライゼルと親しい仲を築いており、正式な婚約発表も間近と言われている。
彼女が王家に嫁ぐのなら、今代の王国も安泰だ。
巷では、そう言われていたのだが――。
「はわわわわわわわわわ!」
件のシャルテリア公爵令嬢は己の部屋の隅で体育座りで縮こまり、顔面を蒼白にしながらガクブルと震えていた。
「……どうしたのですか、お嬢様」
そんな彼女に、お付きの侍女であるウルミが声をかける。
シャルテリアは虚ろな表情でギギギと首だけをウルミの方へと向ける。
新人メイドなら、恐怖で顔を引きつらせる姿である。
「ウルミ! ああ、ウルミィ! 私の話を聞いてちょうだい!」
シャルテリアはウルミの両肩をガシリと掴みかかり、ガックンガックンと揺さぶる。
「はいはい。お嬢様、少し落ち着いてください。私、気分が悪くなってきました」
「あ、ごめんなさい」
我に返ったシャルテリアは慌てて手を離す。
軽く目を回していたウルミは気を整えると、この程度慣れっこだと言わんばかりに、主へと話すように無言で促した。
「私、見てしまったの……」
「――と、言いますと?」
小さく呟いたシャルテリア、話が見えてこないウルミは首を傾げる。
「私は見てしまったの……!」
「だから何をですか?」
思わず叫ぶシャルテリアに、特に動じた様子も見せないウルミは内容を再度尋ねる。
「見てしまったのよ! ダニエル殿下が聖女様と仲睦まじく会話されているのを……!」
「はあ……」
真剣そのもののシャルテリアに対し、ウルミは気の抜けたような返事をする。
かいつまんで話すと、この主、今日の昼頃、王庭で、愛しの婚約者様が聖女と仲良さげに談笑している所を見て、一気に不安になってしまったようだ。
一通り話を聞いたウルミは息をついて、シャルテリアを宥めにかかる。
「落ち着いてください、お嬢様。王族なのですから、教会の権威の象徴でもある聖女様と関わりがあってもおかしくはないでしょう」
「それでも万が一と言うのもあるでしょう!? もしかしたら、明日にでも、私は殿下から婚約破棄されるかもしれないわ……!」
「いくら何でも発想が飛躍し過ぎではないでしょうか?」
「身分違いの恋! そこから目覚める真実の愛! 公衆の面前での婚約破棄! いやあああああ!」
「お嬢様、変な本の読み過ぎですよ……」
見ると、彼女の足元には幾冊もの恋愛小説の本が散らばっていた。
なるほど。どうやら、これらが原因のようだ。
婚約破棄、悪役令嬢、真実の愛、バカ王子。
タイトルを見るだけで、内容が察せられる大衆向けの娯楽小説。
読書は多忙かつ、天然……もとい、どこか市井に疎い所があるシャルテリアの数少ない楽しみであるゆえに、当主様を始めとした家族の方々は勿論、ウルミたち従者らも、特に何も言わなかったが、まさか、ここまで主のメンタルに影響を及ぼすとは思わなかった。
「とにかく落ち着いてください、お嬢様」
とりあえず、ウルミはシャルテリアをそっと優しく抱き締めた。
幼き頃より彼女と接してきたウルミは、何かあると、こうやって彼女を落ち着かせてきたのだ。
「お嬢様のように美しくも聡明な淑女が、そんなふざけた理由で、一方的に切り捨てられるなどありえません」
そうだ。
ウルミは幼き頃より、殿下の隣に立つ女性として努力をし続けてきたシャルテリアを見てきた。
今の彼女は何処に出しても恥ずかしくない立派な淑女である。
もしも、そんな彼女をくだらぬ理由で、尊厳ごと踏み躙り侮辱しようというのならば――。
「そのような事があれば、このウルミが殿下や聖女様を全力で始末して御覧に入れます」
「ちょっ……ウルミ⁉ それは駄目よ!」
王族の弑逆ひいては教会への反逆をさらりと宣言する幼馴染の侍女。
こちらも長い付き合いであるがゆえに、その目がガチであるのがわかったシャルテリアは、さっきとは立場を逆転させて、今度は必死に殺気立つ侍女を宥めすかすのであった。
――その同時刻、王城。
「うううううううううん!」
王族御用達の執務室にて、件のダニエル・トライゼルは机の下で頭を悩ませていた。
「どうした、ダニエル。悩み事か?」
燕尾服を着た偉丈夫が心配そうに声をかける。
彼の名はトニー・レイダン。
騎士団長の息子であり、ダニエルの親友でもある。
「おお、トニー! そこにいるのは、わが友トニーではないか! 私の話を聞いてくれるか?」
「えっ。あっ……うん」
ここぞとばかりに食いついてくるダニエルに、トニーはゲンナリする。
彼がこうして大仰に話を振ってくる時は、大概、面倒くさい時だからである。
「実はな。最近、シャルテリア嬢から距離を取られている気がするのだ」
「ああ、うん……」
案の定である。
トニーは気が抜けたように息を吐く。
彼が婚約者のシャルテリア嬢に心底惚れ込んでいるのは知っている。
普段の二人のやり取りを見てきた身としては、向こうも同じ気持ちで相思相愛のようだし、はっきり言って、さっさと結婚してほしかった。
……そうすれば、この男も、こうして半分惚気のようなクッソどうでもいい悩みを、真剣な面持ちでこちらに振って来るのも減るかもしれない。
「それで距離を取られてるって、具体的にどんな風に?」
「遠巻きにこちらを見ていると思ったら、私が声をかけようとすると、どこか憂いを帯びた表情でそそくさと立ち去ってしまう……。もしや、私は嫌われてしまったのだろうか?」
「さあな。本人に聞いてみてはどうだ?」
「そ、そんな恐れ多い事できない!」
――ヘタレが。
首をブンブンと横に振るダニエルに、トニーは内心で毒づく。
普段の王族としての自負と責任感から来る、自信に満ちた挙動が嘘のようである。
……いや、普段ああだからこそ、反動でこうなるのかもしれない。
「最近、市井で流行っている娯楽小説のように婚約が破棄にされてしまったらどうしよう⁉」
「それだと破棄するのは、むしろお前の方だろうが」
「なにぃ⁉ 私が彼女との婚約を破棄するわけがないだろう!」
冷静に突っ込みを入れたら、逆ギレされた。
理不尽である。
「ああ、こうしている内に、彼女が交流している隣国の帝国の皇子や共和国の議員の下へと行ってしまったら……!」
「そうなったら、普通に国際問題になると思うんだが」
王族との婚約を一方的に破棄して、近隣国の重鎮の所へと亡命。
大スキャンダル、下手をすれば戦争勃発である。
やがて、一人オロオロしているダニエルを見ていたトニーはふと思いついた事を聞いてみる。
「なあ、ダニエル。そう不安になるという事は、実はお前、彼女に愛想を尽かされる心当たりがあるんじゃないのか?」
「え?」
普段、散々振り回されている鬱憤も溜まっていたからか、少しだけ意地悪をしてみたくなった。
「例えば……そうだ。お前、聖女様と仲良さそうじゃないか。傍から見れば浮気していると邪推されてもおかしくはないぞ」
「は? 何を言ってるんだ。彼女には、それこそ誕生日が近いシャルテリアへのプレゼントについて、相談に乗ってもらっただけだ。お前こそ、そういう邪推は聖女様に失礼だぞ」
「……そうかい。悪かったな」
ダニエルに嗜めるような物言いで返され、トニーは若干イラっとしながらも、それを抑え込んだ。
その光景を何も知らない第三者が見たらどう思うのか、この王子はそれがわからないらしい。
こういう図太さが誤解やスレ違いを生むのだと、トニーは実感する。
「大体トニーよ。ずっと思っていたのだが、いつもお前は無神経というか、気配りというものが足りないぞ。この前だって――イダッ!」
とりあえず、数分前の己の狼狽振りを棚に上げて、一丁前に自分に説教をしようとするバカ王子をデコピンで黙らせる。
なんにせよ、最近巷で流行っている舞台や小説のような婚約破棄にならないようでなによりである。
ならば、後は簡単だ。
目の前のこの男に全ての己の勘違いで考えすぎだ、とストレートにそう教えてやればいいだけの事だ。
「ダニエル。それはな……」
「お待ちなさい! 話は聞かせてもらいましたわ!」
そんな声と共に、バンと勢いよくドアが開くと、鮮やかな桜色の髪を持つ美少女が入ってきた。
「な……」
「聖女殿⁉」
二人は思わず目を見開く。
なぜなら彼女こそ件の話の最後の当事者、聖女なのだから。
「お二人のコイバ……悩み。壁の向こうから、しかと盗ちょ……聞かせていただきましたわ! この国の未来を担ううら若き男女の恋路の手助けをさせてくださいまし!」
原因の一つであり、さっきまでドアの向こうで盗み聞きしていたという行為を特に意に介さない面の皮の厚さで、聖女は強引に話に加わってきた。
――その一週間後。
王宮の庭。
シャルテリアとダニエルの二人は、テーブルに腰掛け、緊張した面持ちで向かい合っていた。
「あ、あの……」
最初に口を開いたのはシャルテリア、しかし、彼女はすぐに顔を赤くして口を噤む。
次に動いたのはダニエルだった。
「その……だな。私の話を聞いてもらえないだろうか?」
言いながら、彼は懐から取り出した小箱を渡す。
入っていたのは、紫の花を模したペンダント。
それはダニエルが聖女やトニーたちと相談した結果、選んだ贈り物であった。
「……昔、一緒に庭園を歩いた時、君が好きだと言っていただろう」
「覚えてくださったのですね……」
「当然だ」
ダニエルの言葉に、シャルテリアは瞳を潤ませる。
そんな彼女を見て、意を決したようにダニエルは言葉を続ける。
「シャルテリア嬢、どうか私と結婚してほしい」
緊張で汗が止まらない。発した言葉が僅かに震えていた。
だが、構わない。
既に家同士で取り決められた婚約者同士だが、それでも彼は自分の言葉で伝えたかったのだ。
紛れもなく己の意思でもある、と。
「はい。喜んで」
そして、そんな彼のプロポーズに、シャルテリアは感極まったように、涙を流しながら頷いた。
「上手くいったようでなによりです」
一方で、そんな二人の様子を、物陰から見守っていたウルミが胸を撫で下ろす。
……いや、彼女だけではない。
その物陰には、ウルミら、テブルマナ家の侍女たち、さらにはトニーを始めとした学園での二人の学友たちも揃っていた。
彼らもまた、一様に顔を見合わせて、ドヤ顔でガッツポーズをしたり、これにて一段落だとばかりに安堵の息をついたりしている。
「ああ……。やはり初々しい男女のラブロマンスは良いですね。心が潤っていきますわ」
「……」
その中で、肌を艶々させている聖女をウルミとトニーはジト目で見ている。
「なあ、俺はアンタが無駄に話をややこしくしていただけのような気がするんだが」
「失礼な事を言わないでくださいな。私は全ての愛を見守り慈しんでいるだけですわ」
恍惚の表情を浮かべながら語る聖女に、トニーはふと思いついたことを聞いてみる。
「なあ。もしかして、この光景が見たくて、わざと殿下と距離を詰めていたなんてことはないよな?」
「え……? ……いいえ。まさか、そんな……はは」
「おい。こっちを見ろ」
追及するトニーへ、嫌な汗をかいていた聖女は、やがて誤魔化すように、閃きましたと言わんばかりに手をポンと叩く。
「あ、ほら! でも、こうして皆様で集まって、ああでもない、こうでもない、と意見を出し合うのも実に楽しかったですわよね? そうですわ! あなた方の誰かが今後付き合う予定とかありませんか? 良ければ、今後も相談に乗りますわよ?」
全く反省していない、とばかりに好き勝手言う聖女。
隣のウルミがトニーに手だけで『シメますか?』とジェスチャーを送るも、トニーは首を横に振る。
ようやく面倒事が一段落した所なのだ。
これ以上のゴタゴタは、少なくとも今日は勘弁願いたい。
――それはそれとして、この迷惑聖女にはいずれ灸をすえさせてもらうが。
密かにそう誓ったトニーは大きく息を吐いて、夜空を見上げる。
満天の星々は、腹が立つほどに瞬いていた。