惨劇
あいつ、女にしては足が速いな。
アルディアスはすぐにフェンネの後を追ったはずだが、村へ続く道のずいぶん先を少女が走っているのが見えた。
「ネオラ」
「うん」
全てを言われるまでもなく、アルディアスの後ろを走っていたネオラは、その姿をキツネに変えた。
その大きさは馬よりやや小さい程度だが、普通のキツネに比べれば何倍も大きい。
人間の時の髪色と同じ毛色のキツネは、アルディアスの隣を走る。その背にアルディアスは飛び乗った。
彼が乗った途端、ネオラは速度を上げてフェンネを追う。
大人の男性を乗せていても、普通の獣ではないネオラの速度は人間が走るよりずっと上だ。すぐにフェンネを抜かし、立ちはだかるようにして彼女の前へ出る。
突然現れたかに見える大きな獣の姿に、フェンネは小さく声を上げて立ち止まった。
彼女の脳裏に、喰い殺されるかも、という恐怖がよぎったことだろう。
「フェンネ、村へは戻るな。これはただの火事じゃない」
「え……アルディアス?」
現れたのがアルディアスとわかると、フェンネは息を切らしながら一瞬ほっとした表情になる。
「だ、だけど、村はもうすぐそこなの」
フェンネが指差す方には、木の柵のような門がある。人間なら多少離れているように感じるが、今のネオラなら一呼吸でたどり着ける距離だ。あれが村の入口だろう。
その場からでも、燃えている家が見えた。かすかに尋常じゃない悲鳴も聞こえる。
「火を消す手伝いをしなきゃ。あたしの家だって燃えてるかも」
「ダメだ、フェンネ。ここまで来たらはっきりわかる。血の臭いがしてるんだ」
「え……血って」
巨大なキツネがしゃべるのを聞き、その状況と内容にフェンネが驚いている間に、アルディアスはネオラから降りた。
突っ立ったままの彼女を抱き寄せ、村へと続く道からそばの茂みへと走る。ネオラは子ギツネの姿になって、その後を追った。
「恐らく、盗賊が来てる。このまま村へ戻ったら、殺されるぞ」
それを聞いて、フェンネは息をのむ。
「だけど、まだ明るいのに」
まだ昼間なのに。陽が落ちるまでの時間はそう長くないものの、盗賊というものは夜に来るものではないのか。
フェンネは今までにそんな経験はないが、そういうものだと思っていた。
「こんな田舎の村なら、奴らは時間なんて気にしない。役人や兵は滅多にこの辺りへは来ないだろうからな」
盗賊が夜に来るのは、人目につかないようにするため。目撃者に呼ばれてやって来た役人に捕まらないよう、暗い中で動くため。
役人がいないなら、わざわざ夜に仕事をする必要はない。相手はどうせ素人ばかりだ。
「ど、どうしたら……」
「もう、俺達にはどうしようもない。奴らが村から出て行くのを待つだけだ」
「そんな」
盗賊が来ている、とわかっているのに。村の人達が襲われている、とわかっているのに。
何もできず、隠れているだけしかできないなんて。
「相手の人数もわからないし、俺達は捕縛に慣れた役人じゃない。下手に出て行っても、ケガするだけだ」
フェンネにも予想はできるだろうが、最悪だと殺される、という言葉は口にしないでおく。
アルディアスがそう話している間にも、村の方から悲鳴が聞こえた。
フェンネはアルディアスに言われるまで、それが火事のせいだと思っていた。大火事か、どこかに飛び火したために、騒ぎになっているのだろう、と。
それも原因の一つだが、それだけではない。村人が盗賊に襲われているからだ。
そんな状態の中で、笑い声が聞こえる。盗賊が笑いながら襲っているのだろうか。抵抗する村人のものか、怒声もする。
内容はわからない。だが、そういった声がわかるのだ。
その声を聞く度に、フェンネはびくっと肩を震わせた。
「しばらく音をたてるな」
木を背に、アルディアスはフェンネを抱きしめるようにして立つ。その足下で、ネオラは伏せていた。
ここから離れようと下手に動くことで、気付かれることもある。あの門からこちらを見ていた誰かがいれば、手を出そうとやって来るかも知れない。
さっき盗賊達に見られなかったことを、今はひたすら祈るばかりだ。
盗賊がどれだけ村について下調べをしていたか、アルディアス達には知る由もない。だが、ここには村人が何人いて、そのうちの一人が村の外へ出ている、といった細かいことまでは考えていないだろう。
盗賊が人身売買をするために子どもをさらいに来た、というならともかく、ああして村人の悲鳴を聞く限りだと、ほぼ皆殺しに近い。
それなら、いちいち人数を数えていることはないだろう。
すぐだったようにも思うし、ひどく長いものだったようにも思われる時間が過ぎた。
アルディアスの読み通り、盗賊達は村にいなかったフェンネの存在を探し回る様子もなく、彼らがいるのとは反対の方向から村を出て行った。
「アル、もう何も聞こえない。盗賊はみんな出て行ったみたいだ」
耳をぴくぴくさせながら、ネオラが伝える。
足音が完全になくなったから、この近くで歩いている人間はいないはずだ。
小さく息を吐き、アルディアスはフェンネを抱きしめていた腕を下ろした。だが、フェンネはアルディアスにすがりつき、まだ震えている。
「もう大丈夫だ」
アルディアスは、少女の震える肩を軽く叩いた。
「どうして……こんな……」
「収穫が終わった村が襲われるというのは、よくある話だ。食料や、それを売った金があるのを狙ってな。腕のたつ奴らが自警団でも結成していれば多少の被害は抑えられるが、こんな田舎の村では自力で完全に守り切るのは難しい」
「村のみんなは……」
「声は全然聞こえないよ」
苦しむ声すらも、ネオラの耳には届かない。
その耳がぴくっと動いた。足音が聞こえたのだ。
「何だ、ゼルジーか」
足音の主を知って、ネオラが息を吐く。座員の一人ゼルジーが走って来たのだ。
「何だって何だ、ネオラ。アル、何ともないか」
「ああ、どうやら引き上げたらしい」
「そうか。やばければ、と思って来たんだが」
座員であり、用心棒の一面もあるゼルジーは、ボルブから「この先の村がやばい」と聞いて、助太刀に来たのだ。
ゼルジーの腰には、剣が差してある。芝居用の剣、ということになっているが、実は本物が仕込まれたものだ。
血の臭いだけなら獣が現れたということもあるが、獣は火を使わない。だとすれば、人間の仕業だ。
人間なら、相手が魔法使いでなければ、どうにかできる自信がゼルジーにはある。
もちろん、どうにかする必要がない方がいいが、近くまで来てしまっているから一座にも危険が及びかねない。かかる火の粉はさっさと振り払うのが大事……なのだが、今回は振り払わずに終わったようだ。
「フェンネ、どこへ行く」
ふらふらと歩き出したフェンネの肩を、アルディアスが掴む。
「村の様子を……見なきゃ」
「見ない方がいいぞ」
ほぼ間違いなく、凄惨な現場になっている。少女が見ていい光景ではない。
「だけど……確かめたいの」
「お嬢ちゃん、無理はすんな。夢に見ちまうぞ」
ゼルジーに言われたが、フェンネの足は覚束ないまま村へと向かう。
放っておけず、アルディアス達と人の姿に戻ったネオラも、彼女の後についた。
「……!」
悲鳴が出るのを止めるかのように、フェンネは手で口元を押さえた。
アルディアス達の想像通りに全ての家は焼かれ、まだ火が燃えていたり煙が立ち上っている。家畜小屋も全滅だ。村でまともな状態の建物は何もない。
そして、村人達は全員倒れて息絶えていた。彼らの周囲には、赤黒いしみが広がって。
「あたしの……せい……」
青白い顔で、フェンネがつぶやく。
「は? どうしてそうなるんだ」
フェンネの事情を知らないゼルジーは、彼女の言葉に首をかしげる。
「くだらないことを言うな。フェンネは関係ない」
「あたしが……あたしがこの村に来ちゃったから……」
アルディアスの言葉も聞こえないようで、フェンネはそんなことを繰り返しつぶやく。
「フェンネ!」
アルディアスは少し強めに彼女の肩を掴むと、フェンネの頬を軽くぴたぴたと叩いた。
「お前が盗賊を呼んだのか? 村人を全員殺せ、と命令したのか? 火をつけて村を焼け、と指示したのか? 違うだろ。こんなことをする盗賊は、世間のあちこちにいる。お前がどこの誰でも、盗賊にとってはどうでもいい話だ」
アルディアスの言葉に、フェンネはぽろぽろと涙をこぼす。
「あたしのせい……じゃない?」
「どうしてそう思うのか、俺にはわからない。村によそ者が一人いるだけで盗賊が来るなら、よそ者の俺達がここにいることでまた別の盗賊が今の何倍も現れるぞ」
「お嬢ちゃんがとんでもない大金を持ってるなら、その金で盗賊を動かせるだろうがな。もっとも、そんな面倒をするより、お嬢ちゃん一人を襲って金を奪った方が楽か。村を襲ったのは、ついでみたいなもんで」
「ゼルジー、ついでで人を殺しちゃダメだろ」
「だから、例えだ」
真面目なネオラが突っ込み、ゼルジーは苦い顔をする。
「今はここを離れるぞ」
血の臭いが漂う場所は、話をするのにふさわしくない。
アルディアスは、フェンネを連れてブローズ村を出た。全員で、馬車を駐めていた場所まで戻る。
フェンネのことはレイハやリーフィンに任せ、アルディアス達男連中はまた村へ戻った。
義理などどこにもないのだが、こういった光景を目の当たりにしてしまうと、何もなかったことにして通り過ぎるのも後味が悪い。盗賊に襲われた経験のあるアルディアスやボルブにとっても、この状況が他人事とは思えないのだ。
三十人程の村人の遺体を一カ所に集め、火葬する。かろうじて全焼しなかった建物もあったが、放っておいても誰もいなくなった後で風化していくだろう。
結局、その夜は馬車を駐めた場所で野宿となった。
食料はある程度余裕を持って積んでいたし、水は川がすぐそばにあるので困らない。
「フェンネの家がどれかはわからないが、どの家も焼かれてほとんど何も残ってなかった。途中の村や街でよければ、連れて行ってやるが」
夕食が終わると、アルディアスはそう切り出した。
かわいそうだが、あんな状態の村に残ることはできないし、すぐに身の振り方を考えなくてはならない。
アルディアスは、フェンネの意向を尋ねた。
「……さっきの話、有効?」
フェンネがつぶやくように尋ねる。
「さっき?」
「あ、一座に入れって言ったやつか?」
ボルブの言葉に、フェンネがうなずく。
村がこんなことになり、もう村に住めないことは冷静でない頭でもわかる。だが、今日の今日で、身の振り方をすぐに考えられるはずもなかった。
よその村や街へ行って、自分に何ができるだろう。お金はもちろん、服や生活用品は何一つない。生活が安定するまで食べ物は、住む所は、仕事はどうすればいいのか。
でも、目の前に一条の光が見えている。完全な闇の中で、その光はフェンネにとってたった一つの希望だ。
今までも一人だったようなものだが、本当の一人にはなりたくない。
「あら、私達の知らないところで、お嬢さんを勧誘していたの?」
「わかっているだろう。言い出したのは、ボルブだ」
レイハに笑いながら言われ、アルディアスはしっかり訂正しておく。
「だけど、最終的な決定権は、座長のあなたにあるでしょう?」
わざとらしく確認され、アルディアスは軽くため息をつく。
自分が言い出したことではないにしても、話の流れる先が見えるような気がするアルディアスだった。こういう状況は、初めてじゃない。
「人前に出られなければ、意味がない。ものになるまで、練習は厳しいぞ」
「はい」
座長と新入りの声を聞き、座員達の喜びの声が上がった。