素人に
春明の二十九日。昼下がりとはいえさすがは帝都。賑やかなものだ。記憶を取り戻した当初は無機質で冷たい印象があったけど、慣れてみれば東京とそんなに変わらない。実家のような安心感。実家は東京じゃないけど。
そうして辿り着いたのは、ケネット商店。アレンくんとお話しする機会が欲しかったからだ。アーサーを勧誘した件についても聞いておかなければならない。このくらいの時間なら、彼も売り場を離れられるだろう。
「こんにち……アレンくんどうしたのその顔?」
「え? ああリオ……あは、全然寝てなくて……」
商品の陳列をしているアレンくんは言葉の通り、寝不足極まっているようだった。足元も覚束ない、顔に血の気がない、どこか上の空。生前の私を彷彿とさせる。
徹夜で仕事でもしてたのかな、それとも棚卸? 少しタイミングが悪かったかもしれない。そのとき、カウンターの内側にいたバーバラさんが笑う。
「徹夜明けはそっちにもいるよ」
「そっち? だ、旦那様……?」
「ははは……いやあ、この歳になると徹夜は堪えるねぇ……」
アレンくんだけじゃなかったのか。バーバラさんの逆鱗に触れでもしたのかな。でも機嫌が悪いわけでもないし……いったいなにがあったんだろう。
「それで、今日はどうしたんだい? アレンに用事?」
「あ、はい。ちょっと今後のことについてお話ししたくて」
「なるほどねぇ。それなら上で話しな。アレン、もう上がっていいよ」
「うぇ……? うん、わかった……行こっか、リオ」
階段を登っていくアレンくんだが、その足取りはひどく不安定だ。はらはらしながら彼を追い、リビングへ。そのままお茶を淹れようとするアレンくん。
この子、こんなに余裕がないのにおもてなしの精神を失っていない……心配になってくるな。
「アレンくん、お気遣い要らないよ」
「うん? 砂糖はそこに置いてあるよ?」
「……うん、ちょっと休もっか……」
会話が成立しないほど疲れているのはよくわかった。昔の自分を見ているみたいだなぁ、本当に……。
それでも彼は「大丈夫」と言って、コーヒーも入れ始めた。日本人はカフェインに強いって話を聞いたことあるけど、この世界の人ってどうなんだろう。眠れなくなったりするのかな。
そうして、私の目の前にカップが差し出される。相変わらずいい香り。ギルさんが出してくれたものよりもほんのり甘くて、うとうとしちゃいそう。アレンくんはコーヒーを一気に飲み干している。
私もこんな感じだったのかな、見かけた同僚が心配してくれたのも頷ける。本人は大丈夫って言えるんだけどね、傍目には信憑性皆無だね。
「で、オレに話?」
「あ……うん。この間ね、街でアーサーとたまたま会ったの。そのとき、アレンくんと話したって聞いた。それで、もしかしてなんだけど……アーサーをアイドルに勧誘したりした?」
「……あっ、そうだ連絡してなかった……勝手なことしてごめんなさい」
アーサーとちゃんと話せたのが相当久し振りだっただろうし、舞い上がってたのかな。次から気を付けてくれればいい。問題はそこじゃないから。
「いいの、今度からちゃんと連絡してね」
「うん、わかった……」
「それでね、そのアーサーなんだけど……アレンくんの夢が叶うのを、傍で見ていたいって」
表情を晴らすアレンくん。喜ぶ気持ちもわかる。でも、ここからが本題だ。
「だけど、迷ってるみたいだった。自分の立場と、やりたいことを秤にかけてる感じ」
「……そっか」
声が萎んでいるけど、わかっていたのだと思う。アレンくん自身も無茶なお願いという自覚はあるはずだ。根は優しい子だから。我儘を押し付けるようなことはしなかったはず。
それでも、きちんと説明してあげないといけない。夢を見るのは若者の特権。でも、現実に知らんぷりしていいわけじゃない。
「やる気になったとしても、私からランドルフ伯爵にご挨拶に行かなきゃいけないの。許可を貰えるかもわからない。勿論、アレンくんの意志もアーサーの意志も汲んだ上で全力は尽くす。でも、確約できないことだけは理解してほしいな」
「うん……わかった」
「厳しいことを言ってごめんね」
「ううん。無茶なお願いって言ってあるから。どうするかはあいつが決めること」
それさえわかってくれてるなら大丈夫か。となると、次はアーサーと話さないとね。あれからそこまで時間が経っていないし、まだ腹は決まっていないと思うけど。
とりあえずアレンくんには休んでもらおう。なんていうか、一見普通に見えるけど背後がどんよりしてる。あれは睡魔、あるいは疲労だ。私にはわかる。かつて苦楽を共にし……嘘だ、楽は共有してない。こいつらは苦を押し付けてきただけだ。
「じゃあ、話は済んだし帰るね。ちゃんと休むこと。アイドルは体が資本だよ」
「あ……ごめん。ちょっとだけ待ってほしい」
「ん? どうしたの?」
なにやら神妙な面持ちのアレンくん。なにか気になることでもあるのかな、アーサーのこと? お互いにお互いの顔色が気になるんだろうな。初恋か。
アレンくんは俯く。あれ、これってもしかして真面目な話なのかな。微笑ましいな、なんて思える空気じゃない。待っていると、彼は顔を上げた。明らかに無理をした笑顔だった。
「ごめん、なんでもないや」
「……そっか。それじゃあ、私行くね」
「うん、行ってらっしゃい」
笑顔で手を振ってはくれる。なにかを隠しているのが明白なのに、それを明かそうとしない。どうしてアレンくんは私を頼ってくれないんだろう。年下だから? それとも女の子だから?
――抱え込んだり、しないかな。
心配にはなるけど、いまの私にできることはない。彼もギルさんと同じで、悪い方に表面化しそうになったら対処しよう。予防できるならそれに越したことはないけれど……後手になるのも仕方がない、のかなぁ。
歌もダンスも、プロデュースも、マネジメントも素人。そんな私にできることって、なにがあるんだろう。