“私”を知るために
事務所の扉が開かれたと同時、のんきなあくびが聞こえてきた。デスクから顔を上げると、イアンさんがこちらを見ている。どこか驚いたような表情をしていた。
「おはようございます、イアンさん」
「おう、おはよう。朝からなにやってんだ?」
「資料作りです。今後のことや、各々をどうプロデュースするか……強みやトレーニングが必要な箇所を個人的にまとめていました」
勿論、正確なものは作れない。だって私は素人だから。
“スキャン”で適性を確認できたのはエリオットくんだけだ、近いうちに他の三人も集めてもう一度適性を見なければならない。
アレンくんとオルフェさんは踊りながら歌えるだけの体作り、エリオットくんとギルさんは並行して、かな? 二人は強みを活かすのに経験値……というか、場数を踏む必要があるとは思う。
イアンさんは資料を覗き込み、ほう、と声を漏らした。
「結構しっかり考えてんだな」
「ありがとうございます。とはいえ、実際にアイドルを育てた経験がないので試行錯誤ですが……」
「試行錯誤ってのは本気じゃなきゃできねぇことだ。俺も協力するからなんでも言ってくれ。できることはやるからよ」
なんでも……なんでも言っていいのか。無責任なことを言うものじゃありませんよ、ビジネスの世界だったら理不尽な契約結ばれてますからね。その辺りは私が管理してあげなければ……。
でも、なんでもか。できることならやってくれるみたいだし、打診だけしておこう。
「でしたら、お願いが一つあります」
「おう、なんだ?」
「煙草をやめてほしいです」
こら、露骨に顔を歪めるんじゃない。やっぱり愛煙家には難しい注文なのかな。煙草の魅力がわからなかった人間だから、軽率に言えてしまう部分があるのかもしれない。
それにしたって、そんな顔します? 生前でもそこまで嫌そうな顔みたことないですよ。
「あー……ちなみに、理由は?」
「理由って、体に良くないですし。それに、私はまだ十六歳の子供なんですけど……エリオットくんもいますし、悪影響ですから。においもきついですし」
「うっ……それは……」
調べてみたが、飲酒と喫煙は日本と同じく二十歳から解禁されるそうだ。エリオットくんの年齢は正確には知らないが、私とそう変わらないはず。子供の傍で煙草を吸うのは悪影響、というのは地球だけの概念なのだろうか。
イアンさんはなんとかして言い訳を考えているようだ。必死に言葉を選び、なんとか私を言いくるめようとしているのがわかる。試行錯誤してるようですが、そんなところに本気を出さなくていいです。
「決まりですね」
「わ、わかった……善処する……」
「それ、信憑性のないワード堂々の一位ですので使わない方がいいですよ」
ぎくりと肩が跳ねるイアンさん。図星か。まあ、禁煙をお願いした理由はそれだけじゃないけど……なんとかして断ってもらいたいものだ。
そんな折、事務所の扉が叩かれる。わざわざここを訪れるような人は、エリオットくん以外いない。呼び込むと、案の定――と、言いたいところだったが、まるで予想外の来客だった。
表情が消える。客人と同じ顔になった。そう、ネイトさんだった。イアンさんも同様、彼が訪れることは予想していなかったらしい。
「お、おはようございます……どうしたんですか、こんな朝早くに」
「お二方、おはようございます。エリオット様はいらっしゃらないのですね」
「エリオットに用か? お前から出向くなんて正直驚いたぞ……」
イアンさんの言葉に同意しかない。本当にどうしたんだろう。それに、エリオットくんに用があるなんて。ここだけの話、迷惑じゃないか心配だった。
騎士としての務めもあるだろうし、本人も騎士で在ろうとしていたから。人として接点を持とうとするエリオットくんには困っていたかもしれないと。
でも、そのエリオットくんに用があるってことは……なにかあったんだろう。レッドフォード帝国の剣としてではなく、人間としての自分に関するなにかが。
ネイトさんは俯く。そんな些細な仕草にすら人間らしさを感じた。確実になにかが違う。変わっているのがわかる。緊張しながら、彼の言葉を待った。
「……私は、幼い頃、普通の子供でした」
「え……」
「笑い、泣き、わがままを言うような、普通の子供だったのです」
正直まったく想像できない。でも、妄想とも考えにくい。
この声音も、伏せた目も本物だ。一片の疑いもなく、そういう子供だったと思い込めるような器用さはきっとない。だとしたら役者を勧めるレベルだ。
「昔の“私”を知る者に、話を、聞きました。そうして、いまの“私”が生まれた経緯も、知りました」
普段の凛々しさはなりを潜め、子供のようにたどたどしく語るネイトさん。人間としての自分を認知して戸惑っているんだろう。自分の知らない自分がいた、その事実は心を揺れ動かすのに十分だろうから。
「……私は、知りたい。騎士でも剣でもない、私自身を。エリオット様は、それを教えてくれるかもしれないと、そう思って、こちらに……」
「事情はわかった。エリオットはまだ眠ってるだろうから、時間を改めて来い」
「エリオットくんが起きたらまたご連絡しますね」
「かしこまりました。お手数おかけしますが、よろしくお願い致します」
ネイトさんは頭を下げ、踵を返す。するとそのとき、突然扉が開いた。運がいいのかなんなのか、エリオットくんだった。パジャマ姿もかわいいね。でも完全に寝惚けてるね、あれ。
「おはよう……んー……? あれ……ねえさん、すごくおおきくなったね……?」
きみがお姉さんだと思っている人、ネイトさんだよ。固まっちゃってる。姉さんなんて呼ばれたことないだろうし仕方ないね。
「エリオット様、おはようございます。私はお姉さんではありませんよ」
「うーん……? あれ、本当だ……ネイトさんだ、おはようございます。なんでここに……?」
ものすごくほのぼのするやり取りだ。イアンさんを見ても、心なしか表情が柔らかい。柔らかいというか……我が子を見る目をしている。やっぱりあなた、父性がありますね。でも発揮のし過ぎは禁物です、制御しましょうね。
「貴方に用があって来ました」
「ぼくに……? ご用件は……?」
なにを思ったか、エリオットくんの肩を掴むネイトさん。緊迫した空気が走る中、彼は真っ直ぐ目を見て伝えた。
「私と――友人になっていただけませんか」