夢現
「うっそぉ……ほんと……?」
文化開発庁に戻った私は放心状態にあった。予想……というか、期待していた顔が二人分並んでいる。夢でも見てるみたい。夢かもしれない。
間抜けな顔をする私に、ギルさんが頬杖をついて苦笑する。
「可愛い顔してんだからもうちょい表情気をつけな?」
「ハァイ……」
返事も気が抜けている。やっぱり夢かな、意識が遠くにある気がするもの。夢ですね。
オルフェさんは相変わらず殺傷力の高い微笑を湛えている。夢かどうか判別できないなこの顔。
「この状況、そんなに現実味がないかい?」
「ハァイ……」
「リオちゃん、これ話通じなさそうじゃね……」
呆れたようなギルさん。オルフェさんも困っているのか、曖昧な笑みを浮かべるばかり。うーん、現実? もうわっかんなーい。
『いい加減戻ってこい』
「ふわっ!? 耳元から男の声!? あ、イアンさんか……」
「俺じゃ不満か、ええ?」
「めめめ滅相もございません……」
社畜時代に鍛えた直角の謝罪。反復の速度も磨きに磨いた。誠意が伝わるかはわからない。
イアンさんはやれやれとため息を一つ。そうよ、リオ。ここは現実。ギルさんもオルフェさんも幻覚じゃないのよ。
「えっと、お二人がここに来たということは……」
「アイドルやるよって意味。リオちゃんのお眼鏡に敵うかはわかんねーけどさ」
「僕も同じ。アイドルがどういうものかはわからないけれど、お手伝いさせてもらうよ」
うーん、ありがたいけど現実味は全くない。もっと準備が要ると思っていたけど、二人ともどういう心境の変化なんだろう。聞くのも野暮かな?
なにかを企んでいる……とも考えにくいか。二人とも、私を陥れる人じゃないだろうし、そんなことをする理由がない。となれば、素直に迎え入れるのが私の務めだ。
「わかりました。オルフェさん、ギル・ミラーさん。お二方を迎えます、これからよろしくお願いします」
「はい、よろしくね。誠心誠意務めさせてもらうよ」
「やるだけやってみっから、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
返事から推測するに、遊び半分とも思いにくい。頑張る意志はあるはずだ。あれだけ渋っていた二人が、よろしくと返してくれた。それだけで信用に値する。
なんにせよ、これでメンバーは四人。あと一人いればアレンくんをセンターに据えるプランは達成できる。しかし、問題がその一人なのだ。思い描いてはいる。しかし、声をかけるのが非常に怖い。
どうしたものかと頭を抱えたくなる。そんな折、ドアが開かれた。呼び込むと、顔を見せたのはエリオットくんだった。先程仕事があるからと別れたばかりだけど、どうしたんだろう?
「リオさん、イアンさん、失礼します。あれ、お客様もいた……! こんにちは!」
「どーも、元気な坊ちゃんだな」
「こんにちは。見違えるくらい明るくなったね、エリオット」
「うん……? エルフのお兄さん、ぼくのこと知って……って、あっ! もしかして孤児院で励ましてくれたお兄さん!?」
どうやらエリオットくんは覚えていたみたいだ。オルフェさんの言葉があったから、彼はいま肉体を得てここにいる。私やネイトさんとは違った意味で、命の恩人みたいなものだろう。オルフェさんの元に駆け寄り、手を握った。
「あのときはお世話になりました! お兄さんのおかげで頑張れたんですよ!」
「僕は背中を押しただけさ。感謝されて悪い気はしないけどね」
エリオットくんの背後に手を回し、そのまま抱き寄せるオルフェさん。なんだろう、すごく慣れた動きに見えた。エリオットくんも一切抵抗することなく彼の腕に抱かれる。微笑ましい光景だけど、一抹の不安が生まれる。
アイドルとして本格的に活動し始めたら、オルフェさんには特に釘を刺しておこう。念のためね。極太の釘を三か所くらいに……。
「失礼だね、むやみやたらに女性を抱いたりしないさ」
「ヘェッ!? 読まれてる!?」
「わかりやすい顔をしていたから。僕のことなんだと思ってるの?」
いけない、気が抜けていた。規制されるべき顔面兵器だと思っているのがばれてしまう。いずれアイドルになる人にこの印象は駄目よ、リオ。払拭できるように私がしっかり監視しておかないと……監視ってなに? 管理ね。
「つーか、アレンにも声掛けてたんだよな? 知らなかったわ」
不意にギルさんが尋ねてくる。そうだ、詳細を語れずにいたんだ。オルフェさんもギルさんも、検討する素振りすら見せなかったから。それがどうしてこうなった。もう考えなくていい。
「それ言ってませんでしたね。アレンくんにはセンターに立ってもらおうと思ってます」
「センター……っつーと、ど真ん中か。めっちゃ目立つじゃん」
「目立ってほしいんです。彼の歌声は世界中に届けたいと思わせる力があります」
言葉の力が強すぎるとも思ったが、ここまで言ってようやく妥当だ。アレンくんの歌は、それくらい魅力的なものだから。絶対に真ん中に立たせたい。グループの象徴ともいえる存在感は、きっと彼が一番だ。
ギルさんは「へぇ」と興味深そうな声を漏らす。微かに笑っているようだが、意地の悪いものには見えなかった。
「隠し持ってるもんなんだな、とびっきり切れ味のいいナイフ」
「そうですね、私もびっくりしちゃいました」
能ある鷹は爪を隠す、ということだろう。アレンくんの歌唱力は知る人ぞ知るものだろう。彼の才能を知っているのは、現状アーサーと私だけだ。アレンくんが人目を避けて歌っていたから当然ではある。
一方、ギルさんの才能は他の手品師を観察しなければわからない。観客の視線や関心を誘導する力は大したものだ。いずれは自身で観客を沸かせるパフォーマンスができるはず。ギルさんもまた輝きを秘めた人物だ、もっと知ってほしい。
「念のため言っておきますけど、ギルさんに対しても思ってますからね。才能があるって、輝けるって」
「どーも、勿体ない言葉だよ。ちゃんと貰うけどさ」
「……えっ?」
幻聴か? いまギルさんは「貰う」と言った? 褒め言葉を? 貰う?
どういう風の吹き回しだろう、いやこの言い方は失礼だ。でも、本当にどうしてしまったんだろう。私の中のギルさんは、褒め言葉を懐に収めたりしない。誰がギルさんを変えたんだ? なんで変われたんだ?
混乱で言葉を失う私に、ギルさんは笑う。今度は意地の悪い笑顔だった。
「なに、貰っちゃいけなかったわけ? へぇ、そう。おべっか使ったんだ? リオちゃん性格悪いねぇ」
「ちちち違っ、違います! その、ちゃんと受け取ってくれたことに驚いてしまって……」
「まあそうだよな。あの日のギル・ミラーはもう死んだんだよ、ここにいるのは二人目のギル」
「へ……?」
意味がわからない。私の知ってるギルさんじゃないということ? 影武者? あれ、でも待って。影武者って身代わりみたいな存在だよね? ってことは、いままで接してきたギルさんが影武者? 駄目だ、頭がまともに動かない。何語で喋ってるの? 日本語でいいですよ。無理だ、ここ日本じゃない。
ますます言葉が引っ込んでいく私。オルフェさんが愉快そうに笑っていた。
「すっかり別人だね、ギル。一人目は誰に殺されたんだろう」
「さてね。美形の老害にでも殺されたんじゃねーの」
「そうかい。美形の老害はいい仕事をしたね、お酒でもご馳走してあげるといい」
「はいはい、そーね。一等美味い酒を贈ってやるよ」
どことなくギルさんの表情はばつが悪そうだ。オルフェさんとなにかあったのかな? なんにせよ、ギルさんがいい方向に変わったのは事実だ。喜ばしい傾向には間違いない。
オルフェさんはまだ掴めないけれど、協力してくれる以上疑うのも失礼だ。二人の加入は素直に喜ぶべきだろう。となれば、あと一人……そこが最大の問題だ。
「話もまとまったことだし俺は煙草吸ってくる」
イアンさんはそのまま部屋を出て行ってしまう。残された私たちはどうしたものか。不意にオルフェさんが立ち上がる。
「それじゃあ僕もお暇しようかな。連絡があれば“スイート・トリック”の稽古場に来てほしい。警備員には僕から話を通しておこう」
「なら俺もここで帰るかね。住所書いとくわ、そこに手紙送って。迎えに来てもいいし」
ギルさんはメモ用紙に住所を記す。そのままオルフェさんを追うように駆け出した。残された私はエリオットくんを一瞥する。うずうずと、落ち着かない様子だった。
「オルフェさんも一緒……! ぼく、頑張れそうです……!」
「ギルさんも凄い人だよ、今度手品を見せてもらおっか」
「手品できるんですか!? 今度ギルさんにおねだりしてみます!」
おねだりって言っちゃったよこの子。意外と小悪魔路線も一考の余地ありか……? ああ、お姉さんと連絡がつくなら確認を取りたい……あなたの弟を年上キラーに育ててもいいですかって聞きたい……うん、止めておこう……命が惜しい……。
ひとまず最後の一人については、もう少し準備が必要そうだ。なにか、代わりになるものがあればいいんだけど。