★夢叶うとき
夜も更け、日付を跨ごうとする頃。自室の窓を開けた。春明の夜は肌寒く、冷気は容赦なく部屋に侵入してくる。
だが――聞こえる。今夜も歌っているのだ、アレンは。ミカエリアの港で一人。
手紙は読んでくれただろうか。僕の想いを綴りはしたが、ケネット商店には愚かなことをしてきた。許されるとは思っていないし、僕を侮蔑しているとも思う。それでも、手紙を読んでくれたなら。少しは伝わっていると信じたい。
「……僕も大概子供だな」
窓を閉め、クローゼットにしまっていたコートを羽織る。部屋の扉をゆっくりと開け、人気がないことを確認する。そのまま忍び足で玄関へ向かった。
途中で侍女に出くわす分にはいい、父上に見つかってはただで済まない。慎重に、こっそりと足を運ぶ。
そうして、人に見つからず玄関まで辿り着く。鍵をかけて港へ駆け出した。ランドルフ邸は港からそう遠くない。足が急ぐ、早くあいつに会いたい。その気持ちが、港に近づくにつれてどんどん大きくなる。
話したい、アレンと。ちゃんと向き合って話したい。
ようやくわかった。僕がどうなりたいのか。アレンとぶつかりたかったんだ。ちゃんと話さずいがみ合ってなにが生まれる。誤解と諍いしかない。
殴り合いになったっていい、僕は伝えたいし、伝えてほしかった。それだけだったんだ。
港に辿り着き、乱れる呼吸を必死に整えようとする。しかし冷気が急速に肺を満たしてむせてしまった。
歌声が止まる。思わず身を隠してしまった。話に来たのに、どうして逃げようとした? まだ怖がっているんだ。情けない。
足音が近づいてくる。鼓動が加速していく。顔を見せたアレンは、怒っているような、呆れたような顔をしていた。
「……こそこそするなよ」
「あ……すまない、反射で……」
アレンの顔をまともに見れない。自分の臆病さに辟易する。
「……とりあえず話そ。あっちで」
アレンは先んじて係船柱に腰掛ける。僕も続いて、隣のものに腰を下ろした。
潮騒が耳朶を打つ。時間の流れが緩慢に感じた。僕はなにをしている、話をしに来たんだろう。どうして黙っているんだ。なにか、なにか話さなければ――。
「……手紙、読んだ」
「え……」
話を切り出したのはアレンだった。手紙は読んでくれたようだ。
どう感じただろう、今更なにを言ってるんだと怒りを買ったかもしれない。罵られたっていい、それだけのことを僕はしてきたんだ。仕方がない、だから――。
「嬉しかったよ」
「は……?」
「……聞こえなかった? 嬉しかったよ、って言ったんだ」
ようやくアレンの顔が見れた。ひどく機嫌が悪い。なんだ、僕がなにをした? アレンはいったいなにに対して怒っている? それが嬉しいときにする顔か。
「でも、読むのは怖かった。また嫌がらせなんじゃないかって。オレからはなにも言えないのに、どうしてここまでオレに関わってくるんだって」
そう語るアレンの顔は、相変わらず機嫌を損ねたまま。自分のやってきたことを省りみれば当然のことか。つい目を伏せた。そんな顔を見たかったわけではなかったから。
「いきなりオレの前からいなくなって、また姿を現したと思ったらうちに嫌がらせし始めて……なにがしたいんだって、ずっと思ってた」
「……その件に関しては、本当にすまなかったと思う」
「いいよ、もう。リオが止めてくれたから。父さんと母さんは許さないだろうけど、オレにとっては終わったことだよ」
「そうか……」
重苦しい沈黙。僕の浅ましさが招いた結果だ。それでも、ある程度理性的に話ができるのはリオのおかげか。
アレンは海の方を見たまま「だから」と続けた。
「手紙読んで、嬉しかった。あの日、一緒に夢を見たお前はいなくなってなかったって。違う道を歩いても、同じ夢を見てくれてるんだって、安心した」
「……それならよかった」
また沈黙が訪れる。しかし、今度はそう悪いものとも思わなかった。
しばらく二人で海を見ていた。アレンの歌声は、あの水平線の向こうーー世界の果てまで届いてほしい。僕にできることはしたい。
そう言えばいいのに、胸がつかえて言葉にならなかった。情けない、やはり僕は臆病者だと自嘲する。
「アーサー、聞いてほしいことがあるんだ」
不意に沈黙を破るアレン。僕を真っ直ぐ見ている。ここで目を逸らしてはいけない。聞いてほしいなら、真剣に聞かなければならない。
僕と視線を交わったのを確かめて、アレンは語った。
「リオが、オレの歌を世界中に聞かせたいって言ってくれた。アイドル? っていう、歌って踊る音楽グループに誘われたんだ」
「アイドル……? 歌って踊るのか、お前が?」
「うん。まだ確定じゃないけど、オレをセンター……真ん中に立たせてくれるんだって」
「そうか。リオは見る目があるな」
「なんだよそれ、ムカつく顔だな」
「……? 僕、どんな顔をしていた?」
「偉そうな顔。でも、嬉しそう」
苦笑するアレン。偉そうな顔……確かにそんな顔にもなる。
アレンの歌声に目をつけて、あまつさえ真ん中で歌わせる。それだけの価値があるものだと、僕以外の奴が気づけたことが誇らしく感じた。
どうだ、すごい歌声だろう。心惹かれるだろう。得意げに、胸を張って自慢したい。そう感じるのも僕の幼さか。釣られて笑う。
「で、ここからが本題。無茶なお願いなんだけど」
「ああ、聞くだけ聞こう」
アレンの顔に真剣さが戻ってくる。本題、無茶なお願い……僕にとっては難しいことなのだろう。断るにしても、話は聞かなければならない。胸の内を明かしてくれるなら、誠意を持って応じるべきだから。
「……オレ、昔夢見た道を歩こうとしてる。お前と一緒に見た夢。その続きを一人で歩くのは嫌だ。だから……」
「こら! そこの少年! こんな時間になにをしている?」
背後から聞こえた声に、二人で振り返る。一条の光。どうやら巡回中の騎士のようだ。
夜も遅いのに、子供が二人で港にいれば心配もされるだろう。これ以上は話す時間もなさそうだ。
「アレン、すまない。続きはいずれ」
「……うん。また話せるよな?」
「ああ、会いに来る。約束だ」
「わかった、約束。気をつけて帰れよ」
力なく手を振るアレン。僕は騎士に連れられて帰路を辿る。平静を装ってはいたが、鼓動は激しさを増すばかりだった。
ーー昔、僕と共に見た夢。一人で行くのは嫌、か。
アレンがなにを望むのか、わかった気がした。けれどそれは叶わない。僕は貴族、いずれは家を継がねばならない。同じ夢を見れど、共に行くことはできない。
頭ではわかっている。しかし心は声を上げて抗議した。どれだけ頭を働かせても、衝動を抑えつけることなどできなかった。
わがままな自分を恥じる傍ら、わがままを通せない自分を恨む。僕は伯爵子息、そんな安っぽい理屈で納得できるほど大人ではない。
だとしても――願わくば、アレンの夢が叶うときは隣に立っていたい。
この想いは、胸に秘めたままでいい。声に出しても叶わないなら、アレンの成功を願うだけでいいんだ。いまの僕にできることは、それしかないから。