アイドルと笑顔
「二人とも、おかえりなさい……それと、いらっしゃいませ……?」
引きつった笑顔で迎えるのはイアンさんとエリオットくん、そしてネイトさん。成果はあったのだろうか、経緯はさっぱりわからないがエリオットくんは満足げだ。
もう夕飯時であり、イアンさんが袋を抱えている。ネイトさんは相変わらずの無表情だが、どことなく困っているようにも見える。見えるだけ。
「これはいったいどういうことでしょうか……?」
「一緒にご飯を食べたら、仲良しになれると思って!」
「エリオットがこう言って聞かなくてな……」
同じ釜の飯を食う、ということか。イアンさんはどうしたもんかと頭を掻いているし、肝心のネイトさんも光のない目でエリオットくんを見下ろしている。
ひとまずは事務所に移り、みんなで食卓を囲う。どうしよう、この空気。楽しそうなのはエリオットくんだけだ。難しい顔のイアンさん、理解が追いついていないネイトさん、そして気まずさ全開の私。大変よろしくない。
「え、えっと……それじゃあ、食べよっか……いただきます」
「いただきます!」
エリオットくんが手を合わせたのを見て、ネイトさんは不思議そうな顔をする。やっぱりこの世界にいただきますの文化はないんだ。私が説明してあげないとね。
「食事の前に、食材と、それを作ってくれた方々に感謝するんですよ」
「ふむ、興味深い文化ですね。感謝の心を忘れずにいられる素晴らしい習慣だと思います。いただきます」
私たちに倣い合掌するネイトさん。ごめんなさい、やっぱり表情がないのは怖いです。この人、笑顔云々より表情筋を鍛えるのが最優先ではなかろうか。
食事の間、私とイアンさんはなんとなく黙ってしまっていた。様子を窺っている……わけでもないのだが、なにかあったときにフォローに回れるように一歩引いている。打ち合わせをせずとも通じ合っていた。
エリオットくんは無邪気な笑顔でネイトさんと会話している。微笑ましいには微笑ましいけど、ネイトさんはもう少し笑顔ください。
「エリオット様は楽しそうにお話しされますね」
「みんなでご飯食べるの、楽しいので!」
「そういうものですか?」
「そうです! ネイトさんもご両親とご飯食べたりしたでしょう?」
「いえ、両親は多忙だったもので家族で食卓を囲うということはありませんでした」
「あ……ごめんなさい」
俯くエリオットくん。動くならいまだ!
「ネイトさんのご両親ってどんな方なんですか!?」
不自然に大きな声が出てしまったが関係ない。このままエリオットくんと会話させてはいけない気がした。ネイトさんはきっとナチュラルにエリオットくんを抉る発言をしてそう。
イアンさんも身を乗り出してはいたが、私が先に動いたのもあってそっと姿勢を戻していた。やはり考えていることは同じだったようだ。ネイトさんは特に不思議がることもなく、淡々と語り始めた。
「父は元フィンマ騎士団の団長であり、現在は士官学校の教官をしています。『騎士たるもの文武両道で在れ』と語っており、騎士団内外、国内外問わず恐れられていたと聞きました」
「ちょこっとしか話したことねーが、高潔な騎士を地で行く人だった。表情も険しいし、剣の腕も大したもんで、恐れられてるってのは納得だったわ」
話を聞く限り、イアンさんとは相性が悪そうだものね。あなたは騎士道というより極道の方が合う風貌をしていますもの。絶対に言えないけど。
「母はイザード家に迎えられた一般の方でした。父の言葉や教育方針に異を唱えることもなく、騎士団内の事務仕事にも精を出していたそうで、良き妻だったと聞きました」
「どうして過去形なんですか?」
「故人ですので」
……そんなことをどうして無感情に言えるんだろう。ネイトさんの顔にはなにも映っていない。悲しくないのだろうか。言葉を失う私の代わりに、エリオットくんが呟いた。
「……寂しくなかったんですか?」
「寂しい?」
「お母さんに会えなくなって、会いたいなぁって思わなかったんですか?」
エリオットくんの切実な声。彼はきっと、お姉さんと離別したことを思い出している。また私がフォローに入るべきか、話を逸らすべきか否か――迷っている間に、ネイトさんが口を開く。その顔に、違和感を覚えた。
「……よく、覚えていません。会いたいと喚いたのかも、涙を流したのかも、記憶にありません」
「……そう、ですか」
再び下を向くエリオットくん。ものすごく居た堪れない。空気が鉛のように重い。この状況、どう打破すればいいんだろう。イアンさんをちらりと見ると、彼も私と同じ顔をしていた。
困り果てていると、ネイトさんは不意に立ち上がる。
「私はこれにて失礼致します。お招きいただき、ありがとうございました」
一礼して、きびきびとした足取りで去っていくネイトさん。残された私たちはなにを言うでもなく、黙って食事を続けた。
=====
「……寂しかったか覚えてない、かぁ」
重苦しい食卓を離れ、自室のベッドに転がる私。ネイトさんの言葉が引っかかっていた。正確には、あのときの表情だ。
確かにいつも通りの鉄仮面ではあった。けれど、彼はあの一瞬だけ目を伏せた。いつものネイトさんなら、真っ直ぐにエリオットくんを見ていたと思う。覚えていないと語る声音も、どこか戸惑いが滲んでいた気がした。気のせいと言われればそれまでだけど。
エリオットくんも思うようにいかず凹んでいたようだし、ネイトさんを笑顔にするのは骨が折れそうだ。聞きそびれたけど、そもそも彼は昔から無表情だったのかな?
あのときのネイトさん、自分に対して違和感を抱いているようだった。彼自身も、自分の中に湧いた感情を整理しきれずにいたのかもしれない。
もし仮に、子供の頃のネイトさんがエリオットくんのような表情豊かな子だったとしたら? 表情が消えたきっかけがあったとしたら? それはきっと――いや、考えても仕方がないし、わざわざ告げる必要はない。彼自身が認知しないと、私がなにを言っても無駄だ。
そのとき、扉がノックされる。控えめな音だったから、きっとエリオットくんだと思う。返事をすると、やっぱりだ。表情は暗いままのエリオットくんがいた。
「どうしたの?」
「……今日は、ありがとうございました」
「うん? なんの話?」
「いろいろ、気遣ってくれましたよね」
気づいてたんだ。察しがいい子だなぁ、お礼まで言いに来て。可愛い子だ。心がほんわかしてしまうが、彼は至って真剣。表情を緩めてはいけない。
「ううん、気にしないで。イアンさんたちと一緒にお出掛けできて楽しかった?」
「ぼくは楽しかったです。イアンさんもパパみたいで、あったかかった。ネイトさんは……」
言い淀んでいる辺り、案の定無表情だったんだろうな。予想の範疇ではあったけど。言い切らせる前に話を変えようか。
「エリオットくん、アイドルってどんな人だと思う?」
「アイドル、って……それは……」
「笑顔で在る人、そして笑顔にさせる人」
エリオットくんは首を傾げる。少し抽象的だったかな。上手く表現するにはどうしたらいいか。沈黙が続くのもまずいし、口を動かす。
「私ね、エリオットくんが笑ってるとすごく嬉しいの。私も釣られて笑顔になっちゃうんだ」
「え……? あ、ありがとうございます」
「エリオットくんは、私が笑顔になるの、嫌? 悲しい?」
「そんなことないです。リオさんが笑ってたら、ぼくも嬉しいですよ」
「それがアイドルなの。笑顔をあげたら笑顔が返ってくる、それが嬉しくて笑顔になって、また笑顔が返ってくる。その繰り返しができる人」
私にとってのアイドル。それは、笑顔を分かち合える人。アイドルの笑顔で、私たちが笑顔になる。私たちの笑顔で、彼らも笑顔になる。幸福の連鎖を作り出せる存在、それがアイドルだと思っている。
まだしっくり来ていない様子のエリオットくん。難しいよね、ドルオタ十年以上続けてようやく描けた理想像だもん。アイドルの文化がないこの世界じゃ、浸透するのに何十年かかるやら。
「だからね、アイドルになるエリオットくんには笑っていてほしい。そうしたらいつか、ネイトさんも笑顔を見せてくれるよ」
「……笑顔をあげ続けたら、返ってくるでしょうか」
伏し目がちに呟くエリオットくん。自信はないよね、そりゃそうだ。いきなりアイドルの在り方を説いたってわかりっこない。経験するしかないんだ。幸福の連鎖を。
「絶対に返ってくるよ。ネイトさんは人間だから。笑顔のエリオットくんが傍にいれば、きっと笑顔を見せてくれる」
気休めにしか聞こえないかもしれないけれど、エリオットくんは素直な子だ。私の言葉を突っ撥ねることはしない。自分なりに考えて、試していける。挑戦する才能があるはずなのだ。
エリオットくんは黙り込む。彼の言葉を待っていると、不意に顔を上げた。まだ戸惑いが映っているけど、安心した。やってみる、その意志は眼差しから伝わった。
「ぼく、頑張ります」
「きみをスカウトしてよかった、って思ったよ。応援させてもらうね」
「はい! それじゃあ、失礼します! 夜遅くにごめんなさい、おやすみなさい!」
駆け足で部屋を飛び出すエリオットくん。ネイトさんのことは彼に任せて大丈夫だろう。迷っても、間違っても、立ち止まっても、成功するまで諦めない。子供ならではの頑固さを感じるから。
疲れてはいるみたいで、呑気なあくびが漏れた。明日はケネット商店に顔を出すつもりだし、そろそろ眠るとしよう。いい笑顔も貰えたしね。