旅人が恐れるもの
「さすが世界一有名な旅芸人一座……」
ミランダさんにアポを取るため“スイート・トリック”専用の稽古場に赴いた私。出てきた感想はたったそれだけ。呆然と立ち尽くす私の前には、東京ドーム並みに巨大な施設。これが“スイート・トリック”のためだけに建てられたものだというのだから驚きだ。“データベース”では稽古場と指定して探したものの、ここはミカエリアにおける公演会場でもあるそうだ。
それにしても、専用の施設であるのにこの大きさ……いったい何人……何百人収容する想定なんだ……それでも埋まるんだろうなぁ……さすが世界一有名な旅芸人一座……。
なにはともあれ、気圧されていても仕方がない。受付の人とかいるんだろうか、ひとまずは玄関を潜ってみる。ロビーは広いが、稽古中のようだ。がらんどうとしている。しかし受付の人――というか、警備員さんはいた。私を見るなり、ずんずんと威圧的な歩みで近づいてくる。
「なにか御用ですか?」
「あ、えっと……ミランダ・キャピュレット様に……」
「申し訳ございませんが団員への私的な用件でしたらお引き取り頂きます」
当然の門前払い。なんとかご縁があれば話くらいはできると思ったが……それも慢心か。ミランダさんはきっと私のこと忘れてるだろうし、稽古に集中しているなら邪魔になる。だとしたら、オルフェさんのことは自分で調べたりなんとか接触して彼自身を知るしかなさそうか。
「かしこまりました。失礼致します」
警備員さんに一礼する。なぜか驚いたような顔を見せた。なんとなくわかりますけどもね。こういう、芸能人の本拠地に一般人が乗り込んで来たら、そりゃあ嫌な予感しかしませんよね。凸待ちとかもあったんだろうな、だから警備員さんを配置しているんだ。“スイート・トリック”はタレントの保護も手厚い、いいプロダクションだ。
踵を返した矢先、頬にひんやりとした金属質のものが触れた。突然のことに、奇抜な悲鳴を上げてしまう。その上尻餅をつく大惨事。もうちょっと女の子らしくなりたい。呆然としていると、活発な女性の笑い声が響いた。待ち人は来るものだ、ミランダさんだった。その手には缶飲料。意外と茶目っ気もあるのかもしれない。
「こないだの嬢ちゃんじゃん、なんか用?」
「あ、え? 覚えてらっしゃる? どうも、こないだのお嬢さんです……」
「そりゃ覚えてるよ、出会いも出会いだったしさ。んで、どうした? オルフェに用か?」
綺麗な女は話が早い。でも、違うんです。用があるのはあなたなんです。オルフェさんのことには変わりないんですけども。警備員さんにも大丈夫だと声をかけるミランダさん。多少警戒はしているようだが、元の位置に戻ってくれた。これで少しは緊張せずに話せる。
「実はミランダさんに相談……というか、質問、というか……」
「うん? なんだ、プライベートなことは勘弁な?」
「その……オルフェさんのことなんですけど……」
「ははーん、なるほど? やっぱ女の子だな」
皆まで言うな、と笑うミランダさん。それも違うんです、私は女の子だけどヒロインじゃないんです。
「オルフェさんについて知ってること、教えていただけませんか」
「そりゃどういう意味で?」
「彼のことを知って、私にしか言えない言葉で伝えたいんです。あなたが欲しいって」
「見かけによらず大胆なこと言うなぁ」
「確かに……」
我に返ると急に恥ずかしい。俺様系は柄じゃないわよ、リオ。
困ったように眉間にしわを寄せるミランダさんだったが、ロビーの隅にある椅子を指差した。腰を据えて話そう、という意味だろう。場所を移すと、彼女はため息を一つ。
「あんま面白い話は知らねーけど……」
「聞かせてください」
「あいつには内緒な?」
「勿論」
「……そんじゃ、一番古い話から」
そうして、ミランダさんは語り出す。
オルフェさんはエルフの里で暮らしていたようだが、異端児として故郷を追われたという。自然物を好むエルフの中で、人工物にも興味を示していたことが原因だったらしい。規律や習わしを重んじるエルフの里において、自由な感性を持つオルフェさんは異質だったのだろうと語る。
それからは楽器を片手に吟遊詩人として世界を旅して回ったようだ。エルフならではの顔の良さから、各地で女性と関係を持っていた時期もあったという。それでも親密な仲には至らなかったらしい。理由は、オルフェさん自身の気質もあったのだとミランダさんは推測していた。
そうして、とある街に辿り着いたオルフェさん。あまり裕福な国ではなかったらしいが、そこで出会った女性と関係を深めていったという。
「これが確か……四五年前とかなんとか言ってたな」
「四五年……へ? 四五年!?」
あんな麗しいナリをしてそれだけの年季が入ってるのか!? 下手をすれば還暦前後では!? そんな馬鹿な話があるか! エルフの血ってファンタジー! あんな麗しい還暦がいたら海外の俳優だってたじたじじゃない!
驚く私を見て、ミランダさんは鏡のように同じ表情をした。
「エルフなんだからそれくらい生きるだろ」
「あ、あ、そっか……そうですね……失礼、取り乱してしまいました……」
「おう。じゃ、続けるぞ」
ミランダさんは飲み物を口に含んで、続けた。
貧しい国だったために、病が流行っても治療が行き届かなかったそうだ。医師の手も回らず、薬の流通も滞っていたから。その女性も例外ではなく、オルフェさんは献身的な介護も虚しく、程なくして亡くなったという。
――人の死を目の当たりにして、初めて涙を流した。
「その話をしてたとき、あいつは見たことない顔してた」
「……それが、根を下ろさない理由……?」
「そう考えるのが妥当だろ。あたしが話せるのはここまで。参考になったか?」
「はい、ありがとうございます。私なりの言葉……見つけられるように頑張ります」
「おう、頑張りな。あいつは一筋縄じゃいかねーぞ」
「そんな気がしてます。でも、絶対口説き落とします」
もうこの際だ、どう聞こえてもいい。そんな気にさせられた。
オルフェさんはきっと、怖がってるんだ。心を通わせても、いずれ別れは来てしまう。健やかに天寿を全うしたって共に逝くことはできない。エルフの血を恨みもしたのかもしれない。
となれば、私にできること――オルフェさんを安心させてあげること? どうすればいいだろう。安い言葉で納得させられるとも思えない。その女性を愛していたのなら、悲しみも深いはずだ。私に彼を救える言葉が紡げるのか?
違う。救うんだ。私だから言える言葉は必ずある。そのヒントはきっと、日記にある。“リオ”は旅人だったのだ、彼との共通点が見つかれば、私だけの言葉を伝えられる。そんな気がした。
ミランダさんに一礼して、駆け出す。今日の調査はこれで終わり。部屋に籠って日記を読み返そう。これからは私が“リオ”と向き合う時間に充てる。
社畜は簡単に諦めない。契約を取らねば生きられない。こういう意地汚さは、残ったままでよかったと思えた。