あなたが欲しい
「――ギル・ミラーのショーはこれにてお終い。最高の夢をお見せできたのなら身に余る光栄です。またの機会をお楽しみに、ってな」
夢の時間が終わりを告げると同時に“ギルさん”が戻ってくる。拍手喝采を浴びる彼は慎ましい。悦に入るわけでもなく、ただ純粋に喜びを受け取っているように見えた。
イアンさんをちらりと見れば、感心したように口を開けていた。わかりますよ、現実に戻ってくるのに時間かかりますよね。肘で小突いてようやく終わりを実感したのか、拍手を届けていた。
子供たちが夕飯のために一階へ降りたところを見計らって、ギルさんを労う。宰相閣下みたいな大物がいるのに、前回以上に引き込まれるパフォーマンスだった。努力もできる、熱量の高い人だ。スカウトに応じてくれれば、きっと最高のエンターテイナーになってくれるはず。
「お疲れ様です、ギルさん」
「サンキュ。しっかし宰相閣下がお見えになられていたとは露知らず……だいぶ緊張しちまったよ」
恥ずかしそうに笑うギルさん。いったいどの口が言っているのか、鏡を見せてあげても納得してはくれなさそう。
そう思ったのはイアンさんも同じだっただろう、にやりと笑みを浮かべた。なんて邪悪な笑みなんだ、顔がいいだけに勿体ない。
「緊張してたようには見えなかったがな、なかなか肝の据わった奴だってことの証明になったんじゃねぇか?」
「はっはっは……恐れ多いですけど、ありがたく頂戴します。楽しんでいただけたのなら幸いです。つーかリオちゃん、いろいろ聞きたいことあんだけど」
ですよね。旅人の私が宰相閣下と並んで立っているこの状況、控えめに言ってクレイジーだと思います。ひとまず、酒場での一件から語り始めた方が良さそうだ。
クーデター鎮圧のため、私とエリオットくんが囮になったこと。そこにたまたまギルさんとオルフェさんが居合わせたこと。陛下からパーティに招待されたこと。レッドフォード帝国の印象を変えるためのプランを提案したこと。イアンさんが宰相の役職を解かれ、そのプロジェクトの責任者になったこと。ついでに私も補佐に任命されたこと……ギルさんの顔がどんどん引きつっていく。そりゃそうなりますよね。
「波乱万丈な人生送ってんな……」
「いえ……私はもうレッドフォード帝国に骨を埋める覚悟を決めたので……」
「若い身空で腹括り過ぎだろ……んじゃ、ここに来た理由は?」
「ハッ! そう! ここに来た理由はですね! ギルさん! あなたです!」
「ん? ショーを見に来たってことだよな?」
「それもあります! ですが一番の目的はあなたです! 私は! あなたが欲しい!」
「はあ?」
「へ? アッ……」
間の抜けた声のギルさん。ぽかんと呆けた顔を見て、気づいた。俺様系ドS男子の告白みたいなことしてしまった。
イアンさんを見やれば、なんだその顔は。私をそんな目で見るんじゃない。恥ずかしいことを言った自覚はちゃんとしましたよ。だからそんな顔しないで、あなたの冷たい目の奥に煉獄が見えるよ。その眼差しは最早火刑。死にたい。浄化されたら心根の綺麗な女の子として生まれ変わりたい。
膝から崩れ落ちる私。話が進まないと判断しただろう、イアンさんが本題を提示する。
「まあ、要するにだ。ギル・ミラー。お前、アイドルになる気はねぇか? リオの推薦なんだが……」
「……なんだって俺なんかを……?」
「『俺なんか』なんて言わないでください! 前にも言いました! ギルさんは人を楽しませる才能がある! あなたは観客を楽しませることに情熱的だ! 絶対に適正がある! 私は信じている!」
聞き捨てならない台詞に声が大きくなる。人を楽しませたい、その気持ちは本物だ。卑下するようなものでは絶対にない。
アイドルの魅力について熱く語ってやりたい気持ちではあるが、いまはそういう場面じゃない。ビジネスシーンで私的な感情を出してもろくなことがないと、社畜時代から知っている。
……知っているのに、どうして陛下に私欲丸出しで商談を持ちかけてしまったのか……愚か者め……。
ギルさんは困ったように笑うばかり。その顔はどこか訝しげで、言葉の裏になにかが隠されているようにも見えた。それがなにかはわからないけれど。
「ははっ、どーも。けど、俺はリオちゃんのお眼鏡に敵うような奴じゃねーよ」
「……だってよ。リオ、どーすんだ?」
「どうするって……私は……」
諦めたくない。けれど、ギルさんは押した程度じゃ倒れてくれない。たぶん、私のやり方が問題だ。あんな抽象的な口説き文句じゃなびくはずがない。
ーーでも、それだけじゃない気がする。
ギルさんは貰った言葉に真摯的だ。けれど、彼は選んでいる。上手く言い表せないけれど、素直に受け取るか否かの判断をしている……気がする。
私の言葉は受け取ってくれなかった。どうしてだろう。なにが原因だ? さっぱりわからない。
ギルさんは喉の奥で小さく笑い、ひらりと手を振った。まともに取り合う気はない、そう告げられた気がした。
「ま、悪ィけど諦めてくれ。俺より才能ある奴なんてその辺にいるからさ。そんじゃな」
蜃気楼のように定まらず、掴めない。ギルさんの持つ魅力が、この瞬間だけは忌々しく思える。
去ろうとするギルさんの背中に向けて、声を絞り出す。
「……少しでいいです。検討、してください……」
私の言葉にも、気持ちにも、ギルさんは返事をしなかった。
「おい、ギル」
しかし、イアンさんの言葉に足を止めた。振り向くギルさんの表情には、微かに敵意が窺えた。
「……まだなにかご用で?」
「どうして信じない」
鋭い眼差しで問い詰めるイアンさん。その言葉の意図は読めない。ギルさんはなにを信じていないんだろう。これまでのやり取りで考えると私の言葉しかないが……。
ギルさんは笑う。そこにはあの夜に見た、知らないギルさんがいた。
「どうしてもなにも、信じるに値しないからですよ。俺に才能なんてない。それだけの話です」
「……お前、俺たちの言葉をなんだと思ってやがる」
「供物です。これ以上話すことはありません。それでは」
「ああ……?」
ギルさんは言葉通りそれ以上なにも言わず、背を向けて去っていく。微かに見えたその顔には、深い影が差しているような気がした。
「供物だと……? わけわかんねぇことほざきやがってクソガキ……」
怒りに声を震わせるイアンさん。私はただ、彼の言葉の意味を必死に考えていた。
供物って、どういう意味だろう。誰に、なにを供えるんだろう。ギルさんにかけた言葉なのに。謎は深まるばかりで、一向に解けやしない。
ーーギルさんが、どこかへ行ってしまいそうな気がした。暗くて、遠いどこかへ。
胸を掻き毟るような、得体の知れない予感。自然と、手が震えていた。