ビッグゲスト
「ひ、ひとまずおかえり……大変だったね……」
「ありがと……」
「閣下もどうぞ、お疲れ様です……」
「悪いな……もう宰相じゃねぇけど……」
リビングで放心状態の私にアレンくんがお茶を淹れてくれる。ついでにイアンさんの分も。優しい子だなぁ。
結局、ケネット商店に帰り着いたのは十八時を過ぎた頃。お店もそろそろ閉めようか、という頃合いだったらしい。
バーバラさんは売り場をアレンくんと旦那様に任せ、私とイアンさんに愛の鞭を振るってくれた。彼女の怒り方はそりゃあもう、台風なんて目じゃないくらい。ケネット商店が吹き飛ばなかったのが奇跡に思える。
そんな彼女は、いま売り場で棚卸に精を出していた。自分の気持ちを落ち着けるためでもあるらしい。旦那様も手伝っているが、きっとバーバラさんのケアも兼ねているのだろう。夫婦はいいものだ。
呆けたままの私たち、その妙な空気に耐え兼ねたのか、アレンくんが「それで」と口を開く。
「なにがあったの? 母さんがあんなに怒ったの初めて見たよ……」
「えーっと……なにから話せばいいのやら……?」
とりあえず、順を追って話してみる。パーティ会場で陛下と話したこと、相談されたこと、提案したこと、文化開発庁の役員に任命されたこと。その場で気絶して、一晩明かしたこと。
アレンくんはうんうんと聞いていたが、次第に表情が苦く重たいものになっていく。わかる、わかるよ。私もそんな気持ち。
「……なんていうか、お疲れ様……? それで、アイドルってなに?」
「歌って踊るパフォーマンスグループのこと……私の故郷で人気で……って! そう! アレンくん!」
「は、はい?」
突然大きな声を上げた私に肩を跳ねさせるアレンくん。ごめんね、好きなことの話になると声が大きくなるの、オタクの性なんです。
「きみをアイドルにしたい! 真ん中で歌ってほしい! です!」
「え……あ、え? オレ? オレが真ん中でいいの?」
「いいに決まってる! きみの歌を全世界に届けたい! きみがいなきゃ始まらないんだから! 自信持ってください!」
「あ、えっと……ありがとう……」
困ったような、驚いたような、喜びよりも前に出てきた感情を垣間見て気づく。勢いが良すぎた。これ、引いてるよね? ごめんね、気持ち悪かったと思う。
一応、勧誘には成功した。ひとまずは安心……できると思ったが、イアンさんが「しかし……」と呟いた。
「両親の許可がいるだろ、こいつの場合」
「アッ……」
「まあ、そうですね……」
苦笑いのアレンくん。そうだ、最大の関門はそこだ。旦那様はともかく、バーバラさんが許してくれるかどうかが怪しい。
他人の私のことをあれだけ心配するのだ。可愛い我が子を、よくわからないプロジェクトに加担させるとなったら、それこそケネット商店が爆発するほど怒る可能性がある。
となると、アレンくんを正式に加入させるのは最後の方がいいか……? いざというときのことも考えた方がいい。ひとまずは提案してみよう。
「……この話は、保留でもいいかな……?」
「うん、大丈夫だよ。いま、母さんかなり余裕ないから落ち着いてからでも。他のメンバー候補はいるの?」
「ありがとうね……他の候補は、ギルさんかなって。彼、人を楽しませるの得意だし、いてくれたら嬉しいなって」
「あ、わかる。いたら面白そう」
アレンくんは少しおかしそうに笑う。やっぱりそういう認識だよね、ギルさんって。
いまどこにいるかはわからないが、話をしたとして、その場でオーケーを貰えなくてもいい。検討してもらえれば充分だ。強気で押せば揺らぐはず。
気がかりなのは“スイート・トリック”の話をしたときの表情。どことなく触れられたくないような気持ちが見えた気がしたから。
そんな折、アレンくんが思い出したように声を上げた。
「それなら孤児院に行ってみたら? 昨日店に来たんだ。手品ショーしに行くって言ってたよ」
「本当? わかった、ちょっと行ってみるね。ありがとう、アレンくん。イアンさん、行きますよ」
「あ? おい、待てコラ!」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
私たちに手を振って見送るアレンくん。一瞬だけ、その顔に影が差していたように見えた。気のせいだといいけれど。
=====
ケネット商店を発った私たちは、シヴィリア孤児院に向かっていた。エリオットくんのために通っていたから道は覚えている。
が、イアンさんは私より前を歩く。この人、孤児院までの道のりを知っているのだろうか? 宰相が寄り付くような場所でもないと思うけど……迷った挙句、ギルさんが帰ってしまっていたら困る。速足で歩く彼の背中に声をかけた。
「イアンさん、孤児院までは私がご案内します」
「大丈夫だ、場所はわかる」
「……意外でした。孤児院とか、興味がないと思っていました」
「馬鹿にすんなよ。これでも宰相だったんだ、国全体とは言わねぇが、ミカエリアの事情くらいしっかり把握してるわ」
振る舞いからは感じられないが、やっぱり一国の宰相だったんだなぁと感じた。レッドフォード帝国の代表として、やるべきことはやっていたのだろう。粗野な印象があるけど、根っこは真面目な人なんだろうな。
だからこそ、経歴が気になる。宰相になる前、いったいどこでなにをしていたのだろう? ただの一般市民が負えるような重責ではないはずだ。どこかで然るべき教育を受けていた、と考えるのが妥当か。
それからは特に会話もなく孤児院に到着した。中庭の子供たちの姿はない、夕飯の時間なのかな? 何気なく中を覗いてみるが、リビングに人の気配はない。となれば、ショーはもう始まっているかもしれない。
しかしイアンさんは神妙な面持ちで顎に手を当てている。
「ここまで人の気配がないってのも妙だな……なにか事件でもあったのか?」
「いえ、たぶん上です。えーっと、呼び鈴はあるかな……?」
ドア付近を探してみると、インターホンのようなものは見つかった。ショーの最中ならば押さない方がいいのかもしれないけど……と思っていたら、職員のお姉さんが上から降りてきた。私の顔を見るなり、柔らかく微笑む。
「いらっしゃい、ギルくんが待ってるわよ」
「え? なんでここに来てるの知ってるんですか?」
「まだ始まる前だったの。窓の外から見えたんですって。いらっしゃい、子供たちも待ちかねてるから。宰相閣下もどうぞ、楽しんでいってくださいね」
「あ……? お、おう……」
なんにせよ好都合だ。ギルさんのショーが終わったら打診できる。イアンさんだけがこの状況についてこれていないが、百聞は一見に如かず。彼のパフォーマンスを見ればわかるはずだ。彼の技術が、才能が、人を楽しませることに特化していることは。
――ギルさん、受けてくれるといいな。
会場に向かうと、子供たちとギルさんが私たちを迎えてくれた。空気はいつも通り、賑やかなもの。ギルさんだけが、どこか異質だった。ショーの前だから気を張っているのか、エンターテイナーに“なろう”としているのか。その二面性もまた、彼の魅力である。
彼は私たちを見て、少しぎょっとした顔を見せた。そりゃあそうだよね、隣にいるの、宰相だもんね。元だけど。
「はっはっは……こりゃあとんだビッグゲストがお越しになられたことで……」
「あはは、すみません……でも、いつも通りでお願いします。また幸せな夢を見させて」
「難しい注文だねぇ……ま、やるだけやりますよ。宰相閣下が現実を忘れられるほど、幸せな時間を提供させていただきます」
「おう……ま、固くならずに気楽にやってくれ」
「ははっ……お手柔らかに」
困ったように笑うギルさん。しかし、深い吐息を一つすれば、彼はエンターテイナーになる。表情は余裕綽々、大胆不敵。口の端を微かに吊り上げ、仰々しく一礼した。
「――さあ、本日もお楽しみください。不肖ギル・ミラー、皆様を幸せな夢へ招待させていただきます」