世の中を渡るということ
「策があるのかい?」
陛下の瞳に興味が映る。しかし、それも微かなもの。私を見つめる陛下の瞳には疑念の膜が張り付いている。そういうものだ、企業相手の営業だとこういう反応も多かった。懐かしい気持ちになる。
そう、私はあなたに――ひいては、この国にアイドルのプロデュースをバックアップしていただきたいと思っている。
正直、私だって自信はない。ここまで大きなプロジェクトは動かしたことも提案したこともない。けれど、空を隠す分厚い雲を吹き飛ばし、その向こうにある青空すら霞むほど輝く宝石を知っている。大博打なのは私も同じだ。落ち着いて、一つ一つ話し始める。
「軍事大国というイメージは攻撃的で粗暴な印象を与えるものかと思います。では、真逆に舵取りするなら? この国の新たな武器になり得るものは、ずばり芸能活動だと思います」
「芸能活動か。幸い、ミカエリアを拠点に置く旅芸人一座もあるね。けれど、彼らを支援したとして、それだけでイメージを塗り替えるだけの流れが生まれるかどうか」
「旅芸人一座、“スイート・トリック”を脅かすほど鮮烈なエンタメを生み出すのです。そして、私には一つ、思い当たるものがあります」
淡々と、それでいて不敵に。迷いのない声音をどう受け取っただろうか、陛下は目を細めた。いまはもうその顔も、背後にある国も怖くなかった。その気持ちが伝わっただろう、目を細めたまま、口の端を釣り上げた。
「聞かせてみて」
「はい。鮮烈なエンタメ、芸能活動の花形ーーそれは、アイドルです」
あ、やっぱりアイドルという言葉には馴染みがないんだ。陛下の目が丸くなる。これは上手くごまかさなければならない。取り乱すことのないよう、一呼吸置いて。
「アイドルとは歌唱とダンスを主な表現とするエンターテイナーのグループです。私の故郷では男女問わず、彼らの魅力に熱狂していました」
「アイドル……聞いたことがないな。歌唱とダンスというのは? まさか歌いながら踊るのかい?」
「そのまさかです。歌唱とダンスを通じて、観客の心を掴む者たちです。彼らは一つの光も同然。不安に蝕まれる心を照らし、やりきれない怒りすらも掻き消す魅力的なエンターテイナーです」
言葉を飾ってなんとか理性を保つ。ミチクサさんのときのようにならなければ、きっと心を傾けることはできるはず。
こんなに自信満々に語っておいて、アイドルで流れが変わるかはわからない。けれど、いま動かなければこの世界に生まれ変わった意味を見出せずに死ぬ気がした。それだけは御免だった。
それに、ミカエリアが不安で殺伐とした街にはなってほしくない。アレンくんたちには笑顔でいてほしいから。そして、どこか無機質なこの街を笑顔でいっぱいにしたい。そんな気持ちもある。
陛下はいまだ猜疑心を拭い切れずにいた。旅人の言葉一つで国の在り方を変えてもいいのか、さすがに疑問を持っているのだと思う。
だが、ブラック営業は止まらない。押して駄目なら押し倒す。間髪入れずに言葉を繋ぐ。
「ミカエリアに滞在している間、アイドルの原石となり得る者と出会うことができました。実際にプロジェクトを興すかは、彼らを見てからご判断いただければと思います」
「なるほどね、検討に値する人物だといいな。ときに、リオ。今後の予定は決まっているのかい?」
「いえ、しばらくはミカエリアに滞在するつもりですが……」
「それなら、この街に根を下ろしてはどうだろう?」
「え……?」
「住居はこちらで用意しよう。なんなら王宮の一室を空けてきみを住まわせてもいい」
正直、とてもありがたい提案だ。旅をしていたのは“リオ”であり、私じゃない。“リオ”が旅をしていたのは両親も旅人だったということと、十六歳になり自立の意味も込めて一人で旅を始めたからだ。
私としてはアイドルをプロデュースする上で、事務書を確保しておきたかった。この街でそれができるなら、港もあるし他国への遠征もこなせそうだ。私にとっては益しかない。
が、人生そう上手くいかないことを私は知っている。絶対に裏がある。この皇帝陛下が私の口車にまんまと嵌められるはずがない。
陛下は改めて微笑む。その瞳の奥に、底知れないものを感じた。背筋が粟立つ。こういう予感は得てして当たるもの。
「まさか提案だけして責任を逃れようなんて甘い考えではなかっただろうね? この世の中、そんなに楽に渡れはしないさ」
「……つまり?」
「僕がきみを雇う。役職はそうだな――“文化開発庁長官”なんてどうかな? ミカエリアに新たな風を吹かせるために、きみの力を借りる。いいね?」
いいねもなにも、退路を断つような言い方をしたのはどこのどなたでしょうか。乾いた笑いしか出てこない。今後の人生、何度やり直してもこれ以上のパワハラには出会えないと思う。
しかし、私には意図していなかった後ろ盾がいる。イアンさんが「おい」と、低い声で陛下に詰め寄った。
「リオにそんなでかい責任を押し付ける気か」
「勿論。あれだけ自信満々だったんだ、他人に任せるより彼女自身が舵を取った方がいいだろうし。国の未来を賭けさせるだけ賭けさせてまた旅に出るなんて、無責任も程があると思うけれど」
「だからってなぁ、リオはまだ十六だぞ? ガキに国の未来を担わせる気か」
イアンさんが私を庇ってくれている。それはありがたいんだけど、絵面が完全にヤンキーのカツアゲだ。この会場には似つかわしくない。
しかし陛下も伊達に国の頂点に立ってはいない。イアンさんにどれだけ凄まれても笑みを絶やさない。それがまた怖かった。
一触即発、殺伐とした空気は会場全体に波及した。来賓の視線がこちらに集中している。これ、まずくない……?
陛下は肩を下げてため息を一つ。さすがにこの空気を断ち切らなければならないと判断したのだろう。
しかし解せない。このお方が、ただで引き下がるようなことがあるのか? 陛下は顎に手を当てて呟いた。
「確かに。きみの言い分は尤もだ」
「……気味が悪い。お前がそんな簡単に納得するわけが……」
「さすが、よくわかっているね。そんなきみなら、誰かを庇うことがどういう意味を持つか――きちんとわかっているだろう?」
「……っ」
「え、あの……閣下は……?」
この流れも良くないのでは。私を庇ったイアンさんが、なにかしらの処罰を受ける可能性がある。まさか、死刑? 陛下に楯突いたから? ちょっと待って、それは後味が悪すぎる!
勿論、陛下に私の焦りが通じるはずもない。彼は至極穏やかに、これ以上ない笑顔を向けて告げた。
「イアン・メイナード。きみの役職を解く。その代わり、文化開発庁長官に任命しよう。リオにはその補佐に就いてもらう。これは提案じゃない、勅命だ。拒否権はない」
「なっ……!」
「え……えええええっ!?」
私も、イアンさんも、呆けたように口を開けたまま。陛下はまた愉快そうに笑って、グラスに口をつける。皇帝という人物を甘く見ていた。目先の好機に惑わされて、その先を見ていなかった。その結果がこれだ、私のエゴにイアンさんが巻き込まれる羽目になった。
ケセラセラ、なんて言えない。国の未来を背負っておいて、なんとかなるさが通じるものか。頭が真っ白になる。足から力が抜け、視界も次第に黒くなる。背中を支える逞しい腕の感触を最後に、私の意識は暗闇に溶けていった。