エンノイド
「ふおお……! ゴージャス……!」
お城に到着すると同時、口をついて出てきたのは程度の低い感想だった。
門は私が十人重なって手を伸ばすことでようやく超えそうなほど大きく、お城を囲うような壁も同等の高さ。潜れば華やかな庭園、城内は煌めく装飾で目が痛い。すれ違う人は日本にはいなさそうな清楚なメイド服に身を包んだ妙齢の女性たち。
皇帝ともなれば、こんな環境で日々を過ごしているのか。庶民の感覚なんて未来永劫理解できないのだろうな、と思ってしまった。
「呆けてんなよ、こっちだ」
イアンさんに引きずられるように場内を歩く。庶民の靴でこの廊下を叩いていいのかわからず、ものすごく気を遣う。庶民の靴がつけた汚れを拭くなら私がいなくなってからにしてください、すれ違いざまにされたらさすがに凹みます。
侍女の皆様はイアンさんだけでなく私にも会釈してくれる。すごいな、心の余裕が感じられる。本当の意味で裕福なんだろうな、日本列島に住まう人全員集めてもここの侍女さん以上に心が満たされている人は存在しない気さえしてくる。
そうして案内されたのは城の上階――ミカエリアを見渡せるほど高い階層の部屋だった。階段は螺旋状で、歩いてきた方向から察するに、ここはお城の端にある尖塔なのだろう。こんな場所で一人ベッドに横たわっているなんて、エリオットくんも寂しいだろうな。
「おう、入るぞ」
中からの返事を待たず、イアンさんが扉を開ける。そこには確かにエリオットくんがいた。包帯は腕や頭部に丁寧に巻かれており、点滴スタンドの存在から、いまだ自由に動くことができないことが窺える。
彼は私の姿を見るなり、控えめな笑みを見せた。孤児院で会ったときより表情がわかる。どういう経緯かはわからないが、肉体を得たことで本来の姿に戻りつつあるのかもしれない。
「リオさん、ごめんなさい。ぼくのわがままで呼んじゃって……」
「ううん、大丈夫だよ。心配だったから、顔見れてよかった。それより、体……」
「ぼくは大丈夫です、お医者さんが手当してくれたから。リオさん、イアンさん、ぼくを助けてくれて、本当にありがとうございます」
立ち上がれないエリオットくんは、ベッドに座ったまま頭を下げた。孤児院で見たときとは別人のようだ。素直で、優しい子なのだと思う。やはり弟っぽいところはアレンくんと似ているのかもしれない。
だけどエリオットくんは心に深い傷を負っている。そのせいか、やっぱり影を感じる。失礼な表現だが、可哀想に思えてしまうのだ。
イアンさんは扉を閉めるなり、「さて」と切り出す。
「エリオット、挨拶はもう済んだな? 気になってたことがある。正直に答えろ、いいな」
「……はい、ぼくに答えられることなら」
「お前はエンノイドか?」
それは私も気になっていたことだ。船着き場で男たちはエリオットくんに「エンノイドが無駄になる」と言っていた。アレンくんが言うにはご老人の生活をサポートする人形だと言っていたが……エリオットくんはいまの肉体を持つ前、幽霊だったのだ。どういう経緯でエンノイドになったのかは知りたい。
エリオットくんは俯き、押し黙る。言えないというより、なんと説明すればいいのかがわからないのだろう。私が助け船を出すべきか――そう思った矢先、彼は震える声で語り始めた。
「……よくわからないんです。ぼく、姉さんを探していて、道に迷っちゃったから声のする方へ向かったら、男の人たちがたくさんいて、人形を囲っていました。その人形を蹴っ飛ばした先にぼくがいて、気づいたら、人形がぼくになっていたんです」
「ああ……? どういうことだ?」
顔をしかめるイアンさん。エリオットくんが一瞬たじろいだのを見て、傍観していられない状況であると悟る。エリオットくんがなにをしたのかはわからないけれど、解ける誤解は解いておきたい。
「エリオットくん、こうなる前はシヴィリア孤児院に縛られた幽霊だったんです。信じてもらえないと思いますが……」
「……はーん、なるほどねぇ」
なにか勘づいた様子のイアンさん。いまの私の説明でなにを感じ取ったのか、首を傾げる私とエリオットくんを見て、彼は捕捉した。
「エンノイドは学習機能のある人形だ。言葉を教えりゃ喋る、その過程で疑似的な感情も生まれる。学習ってのは吸収だ。教わったことを吸収して、自分のものにする。人間と同じだ。まっさらな状態のエンノイドはなんでも素直に吸収しちまう。無邪気な子供みてぇにな。幽霊のお前に触れたことで、エンノイドがお前の存在を純粋に吸収しちまったんだろうよ」
理屈としてはわかるが、如何せん内容がファンタジー過ぎてついていけない。けれど確かなのは、エンノイドは最早エリオットくんそのものであるということ。人間に限りなく近づいたエンノイドということだ。
しかし、だとしたら。エンノイドを無駄にするとはどういうこと? その男たちはなにを企んでいた? エリオットくんに暴行を加えるほど大事な計画ならば、それこそ国単位で動いていそうなものだが……。
そのときイアンさんが、私の膨らんだ疑問に針を刺した。
「あの場で拘束した野郎共は、アンジェ騎士団の前身――アベル前皇帝の指揮下にあった騎士だ」
「……それって、つまり」
「最近警戒してたクーデターに関与してる可能性が高い。そして鍵になるのがお前だ、エリオット」
「ぼく……?」
きょとんと、目を丸くするエリオットくん。私は意図に気付いているが、言うのも酷だと思う。しかしイアンさんは立場上、言わなければならないはずだ。案の定、頷いて続けた。
「お前を騎士に保護させて、そこから騎士団内部の情報を盗み取ろうと考えてたんじゃねぇのか。実際、こっちからは奴らの尻尾を掴めなかった。お前がスパイになってたんだろう、どうなんだ」
「……それ、は……」
「どうなんだ、正直に答えろ。嘘さえ吐かなきゃ死罪にはしねぇ」
死罪には、しない。この国の法については詳しく知らないけれど、エリオットくんがやったことは企業のデータを競合に流すようなものだ。許されるはずがない。殺されこそしないだろうけど、重い罰を課されるのは必須に思える。
エリオットくんの目に明らかな動揺が映った。これはもう聞くまでもない、そう判断しただろう。イアンさんは彼を睨む。
「わかった」
「ぼく……ぼくはただ、姉さんに会いたいだけだったんです! あの人たちが、探すの手伝ってくれるって! だから、ちょっと手伝ってくれって、言われて……!」
「それでもお前は許されねぇことをした。それはわかるな? 罪には罰だ」
「……っ、そんな……」
言葉を失うエリオットくん。この子はお姉さんに会いたいだけ、生き別れになったお姉さんを探しに行きたいだけのはずなのだ。悪いことをしたのは事実だとしても、その願いを踏みにじった元騎士たちこそ、私は許せない。
「――少々よろしいでしょうか」
だから、つい手を挙げた。悪事を働いたとしても、エリオットくんだって被害者だ。黙って見過ごせるわけがない。いまの私は“営業の牧野理央”だ。エリオットくんの罪を少しでも軽くするために、社畜、動きます。
……あれ? 営業じゃなくて弁護士みたいなことしようとしてる? この際どっちでもいっか。