すれ違う想い
エリオットくんは泣き疲れたか、眠ってしまった。穏やかな寝息だ、少しは落ち着いてくれたようで一安心である。
しかし問題は山積みだ。少年をいたぶっていた男たちの身柄は騎士様が呼んだ応援の人が連行していったが、騎士様はここに残ったまま。それにエリオットくんのことも放っておけない。
私たち、事情聴取とか受けるのかな。警察みたいな役回りだもんね、仕方ないけど、ちょっと緊張する。っていうか、そもそもここに来たのはアレンくんを探しに来ただけのはずなのに……。
無表情の騎士様は私たちを並べ、冷たい眼差しを向ける。背筋が凍りそうなほど、なにも宿っていない瞳だった。
「アーサー様、そしてお嬢さん。私の質問にお答えください。いいですね?」
「は、はい……その前に、アレンくんを……」
「僕から先に答える、お前はあいつを迎えに行け。……構いませんか?」
「ええ、迎えが済み次第、お嬢さんにも状況を伺せていただきます」
騎士様の声に抑揚はない。けれど、私情を優先させてもらえる程度には配慮ができるようだ。一礼して、アレンくんがいるはずの方へ向かう――が、彼が先に顔を見せた。その顔に、疑問を映しながら。
「……なにしてるの?」
その声は人懐こそうな彼からは想像できないほど低く、嫌悪すら感じさせた。動揺が隠せない、しどろもどろになる私。話が聞けなさそうだと判断しただろう、アレンくんはアーサーに視線をやった。その瞬間、彼の顔には明確な敵意が映った。
「どうしてここにいるんだ、お前が」
「アーサー様への質問はお控えください。事情聴取の最中です」
「貴族の坊ちゃんがこんな時間に出歩くなよな。なんの用があってここに来た? ……オレがここで歌ってるのを知ってるから来たのか?」
「は……え?」
アレンくんの言葉に愕然とする私。彼がここで歌っていた? ってことは、あの綺麗な歌声はアレンくんのもの……? こんなに歌が上手いのに、どうしてお店の手伝いをしているの? あれだけ歌が上手ならすぐにでもプロになれるのに。
アーサーは知っていたらしい。そういえば以前鉢合わせたとき、どうしてここで歌っているかも知っていると言っていた。旧知の仲であることは確かなのだろう。でも、アレンくんはいま怒っている。アーサーはなにも言えずに沈黙を喫している。
それが癪に障ったのか、アレンくんはアーサーの胸倉を掴んだ。普段の彼からは想像もできない乱暴な振る舞いに驚いてしまう。騎士様が間に入ろうとするが、アレンくんは一歩も退かない。
「なんとか言ったらどうなんだ! お前、言ったよな! 立場が変わったって! だったらこんな時間に出歩くな! お前は貴族の跡取りなんだぞ! 家を継ぐことだけ考えてろ! オレの歌なんてどうだっていいくせに! 未練がましく聞きに来たのか!? 今更なんのつもりだ!」
「……っ! 言わせておけば……!」
「違うっていうのか!? オレの歌がまだ好きなのか!? どうなんだよ! 立場だとか貴族だとか……そんなこと言ってるくせに中途半端なんだよ、お前は! なにがしたいんだよ! 男ならハッキリしろ!」
「そんなこと……!」
「少年、手を放しなさい。さもなくば――」
騎士様が剣を抜く。それでもアレンくんは止まらない。アーサーの目に恐怖が映った。咄嗟のことで声も出ない。アレンくん、切られる――!
「そこまでだ、ネイト」
ネイトと呼ばれた騎士様の腕が止まる。誰かに掴まれていた。男性のようだが、なんとまあこの人も美形。
深い藍色の短髪を横に流しており、ブラックパールのような瞳の埋まる眼差しは鋭い。整った顔立ちながら、どこか荒んだ印象を抱かせる。体格はしっかりしており、見上げるほど大きい。礼服のようなものに身を包んでいるが、およそ上流階級の人とは思えない粗暴さを感じた。むしろ自由業を営む組織の若頭、例えるならそんな感じの凄みがある。
ネイトさんはアレンくんを見据えたまま、淡々と告げる。
「イアン様、お言葉を返すようですが、この少年の行いは公務執行妨害です。裁かなければならないのでは?」
「馬鹿が。お前の仕事はこのガキ共の事情聴取じゃねぇよ。いいから剣を収めろ、命令だ」
「……かしこまりました」
突然現れたイアンと呼ばれた男性。彼の言葉には逆らえないようで、ネイトさんは剣を引いた。いったい何者なのだろう。
……って、あれ? イアン? イアンってどこかで……。
聞き覚えのある名前に疑問符を浮かべていると、アーサーが震えた声で問いかけた。
「宰相閣下がなぜこのような場所へ……?」
宰相閣下。そうだ、思い出した。現皇帝カイン・レッドフォードの後釜であり、彼の補佐。それがイアン・メイナードだ。イアンさんはアーサーを見るなり、蔑むような眼差しを向けた。
「伯爵子息ともあろう者が、こんなところで女遊びねぇ……感心しねぇな。程々にしとけ。なにかあったときに脅しのネタにされるぞ」
「そういう関係では……」
「おい嬢ちゃん、お前にはネイトを護衛につける。だからとっとと家に帰れ。その坊主も連れてな」
「……待てよ、まだ話は終わってない!」
腹の虫が治まらないといった様子のアレンくんは再びアーサーに詰め寄ろうとする。しかし瞬きの間に、彼は地面に伏せられていた。イアンさんが上に乗り、押さえつけていたのだ。ほんの一瞬のことで、私の目では追い切れなかった。
「くそっ、離れろ!」
「口の利き方がなってねぇな。感情任せに貴族の坊ちゃんに手ェ出して、どうなるかくらい想像つかねぇのか?」
「いいから退けよっ! くっそ……! オレはまだ、アーサーと……!」
「――僕は帰ります。閣下、彼を放してください」
冷えた声音のアーサー。その顔は“アーサー・ランドルフ”のものだった。ケネット商店で見せたものと同じ、傲慢で、鼻につく貴族の顔。アレンくんは彼の顔に一層はらわたを煮やしたようで、みるみるうちに怒りが露になっていった。
イアンさんはため息混じりにアレンくんの頭を地面に押さえつける。そのとき、アーサーの顔が一瞬ぶれたような気がした。けれど、すぐに貴族の顔に戻る。
「これを野放しにしてろってのか? またお前さんに掴みかかっても助けてやらねぇぞ」
「この手の輩と相対したときの護身術は心得ておりますのでご心配なく。ですので、拘束を解いてください」
「……ふーん。ま、信じておいてやるよ。ほら坊主、降りてやるから暴れんな」
イアンさんがアレンくんから降りるや否や、すぐさま立ち上がってアーサーを睨み付けるアレンくん。しかし、踏み込まない。いつの間にか抜かれたネイトさんの剣が、アレンくんの顎に添えられていたからだ。妙なことをすればすぐにでも首を刎ねる、無言と無感情な眼差しが如実に物語っている。
「坊ちゃんの迎えはこっちで騎士を手配する。だからネイト、そいつら連れて先に行ってろ」
「拝命しました。それではお二方、参りましょう。ご自宅はどちらに?」
「……私が、ご案内致します。アレンくん、行こう」
アレンくんは俯いて、悔しそうに唇を噛んでいる。血が滲むほど拳を握りしめながらも、私が手を引くと大人しくついてきてくれた。私とアレンくんが先んじて歩き、ネイトさんは後方から私たちを守ってくれている。重たい沈黙を切り裂いたのは、アレンくんの絞り出したような声だった。
「なんなんだよあいつ……オレが、どんな思いで諦めたと思ってるんだ……!」
心の底から湧き上がったような、切実な声。なんて声をかけてあげたらいいのか私にはわからなくて。ぎゅっと、彼の手を握ることしかできなかった。