私の人生は
正直、意外だった。彼らのライブを見て、気持ち悪いくらい号泣すると思っていた。ドルオタを拗らせた私なら、絶対そうなると思っていた。
だけど実際は違った。懸命に、全力でアイドルで在ろうとする七人を見て、いろんなことを思い出してしまった。
アレンくんとアーサーくんのすれ違い。夢を諦めきれなかったアレンくんと、ずっと彼を応援したいと願い続けたアーサーくん。十年以上の時間を経て二人の気持ちが重なり、止まっていた時間が動き出していったことが本当に嬉しい。
お姉さんに会いたい気持ちでいっぱいだったエリオットくん。事故で得た肉体だったし、クーデターの一件が終わるまではすごくつらかったと思う。騎士団の会議で勇気を出せなかったら、あの子はいまここに立っていなかった。
自分が評価されることを徹底的に嫌っていたギルさん。手品を見せるために自分を隠して、殺して、本当の自分と向き合うことを恐れていた。そんな彼がいま、己の身一つでステージに立って、会場を湧かせていたことに驚いた。
別れを恐れて居場所を作らなかったオルフェさん。大切な存在や帰る場所もなく、流れるように世界を放浪していた。二度と同じ悲しみを味わいたくない。そのトラウマを乗り越えられるほど“ニジイロノーツ”を大切に思ってくれていることは奇跡に等しい。
初めて会ったときは仮面を被っているかのようだったネイトさん。騎士でない、本当の自分を探して、心に触れ、芽生えていったのを自覚してはいないんだろう。いま、自分の顔を見たらどんな反応をするんだろう。笑ってみてください、と頼んだときよりもずっと好奇心を刺激された。
私より“私”を知っている様子だったイアンさん。結局過去のことを語りはしなかったけど、出会ったときから私を信じ、私に寄り添い続けてくれた。彼の知っている“私”ではないけど、“私”のためにずっと頑張ってくれていた。その努力を知っているのは“私”じゃなく、私だ。それがすごく誇らしく思える。
出会いから現在まで、ずっとみんなを見てきた。だからかな――自然と涙が溢れて、胸は幸せでいっぱいだった。ドルオタとしてじゃなく、一人の人間として。彼らが受け入れてもらえたことが素直に嬉しかった。
暗がりから七人が姿を現す。やり切った、達成感に満ちた顔。とても眩しくて、その顔が余計に私の胸を打つ。いままで以上に大粒の涙が零れ、みんなの顔を不安に染めてしまう。
「だっ、はあ!? なんでリオちゃんが泣くわけ!?」
「お、思っていたものと違ったか? 僕たちなりに精一杯努めたが……!」
「ぼくたち、期待に応えられてなかったですか……!?」
「最も身近な貴女に涙を流させてしまうなど……!」
「馬鹿、そうじゃねぇだろ」
「そうだね。この涙は必然で、僕たちとの約束さ」
イアンさんとオルフェさんはわかってくれたみたい。アレンくんが傍に来て、私の肩を掴む。涙も拭わずに見詰めると、彼は太陽みたいなキラキラした笑顔を見せた。
「言ったでしょ、絶対成功させるって」
「……! うん、信じてた……!」
この言葉に嘘はない。アレンくんが言ったんだ、絶対に成功させるって。みんなの代表がそう言ったんだ。だから信じた。そして、裏切られなかった。みんなが私を信じてくれて、私もみんなを信じた。
その結果が、いまなお続く拍手だ。興奮冷めやらぬ様子の会場に、ミランダさんが苦笑する。
「ったく、こんなに盛り上げてくれやがって」
「私たちも半端なものは見せられないわね」
「そういうこと! ワクワクしちゃうね!」
当然、これで臆するような面々じゃない。彼女たちの表情には対抗心が鮮明に映っている。スタッフに呼ばれたジェフさんが私たちを振り返った。ピエロのメイクをしているけれど、満面の笑みを浮かべていた。
「みんな、お疲れ様! 後は俺たちの出番だから、今日は思いっ切り楽しんでいってね!」
それだけ告げて揚々と駆け出すジェフさん。幕が開き、再度湧き上がる会場。ここからが“スイート・トリック”の春暮公演本番だ。待ってましたと言わんばかりの歓声が会場全体を揺らす。
“ニジイロノーツ”も負けていない――なんて、いまだけは思ってもいいよね。
「あんたらは客席に移動だ。特等席を用意しといたから、褒美だと思って楽しんでいきな」
「幸せな時間を味わわせてあげる。さ、行ってらっしゃい」
「……お二人とも、ありがとうございます。皆さん、お言葉に甘えましょう」
「オレ、“スイート・トリック”の公演生で見るの初めてだ……!」
アレンくん、表情がとんでもなく明るい。あれだけのパフォーマンスを披露したばかりでこの顔ができるのは若さなのかな? アドレナリン出過ぎてるのかもしれない。
でも、そうさせるくらいの知名度と実力を備えているんだろう。アーサーくんも地味にそわそわしてるし。会場から漂ってくる空気でわかる。さすがは帝国随一のエンターテイナーだ。
「ほら、さっさと行った! あたしらも集中しなきゃならねぇんだ!」
「あなたたちに食われたら誰の公演かわからなくなるものね。先生の意地を見せつけてあげないと」
「はい! 今日はたくさん楽しませていただきます! ありがとうございました!」
彼女たちの邪魔は出来ない、彼女たちから話を聞いていたと思しき女性スタッフが誘導してくれるようだった。特等席って言ってたし、ステージに近いところなのかもしれない。
=====
「こちらで少々お待ちください」
そう告げて去っていく女性スタッフ。案内されたのは控え室のようだったが、ここからまた移動することになるのかな?
いやそれより、心なしか表情が固かった。声もどこか上ずっていたし、なにかありそうな予感がする。あんな反応をするような相手が関係者にいるとは思えないけど、誰かからここに案内されるように指示されたのは事実だと思うけど……。
「やあ、ご苦労様」
その声に肩が跳ねる。みんなもどこか緊張気味だ。無理もない。
私たちの眼前には、底の知れない笑みを湛える一国一城の主――カイン・レッドフォード陛下がいたから。ただの廊下に緊張が走る。最初に動いたのはイアンさんだった。私たちを庇うように立つ。
「なんの用だ」
「顔を見せただけなのにその言い草だ。ひどい男だね」
陛下はいつもの、幻影のように掴めない笑顔を見せた。彼の本性、というべきかはわからないけど、笑みの奥に隠れた“なにか”を知っているのは私とイアンさんだけだ。
アレンくんやギルさん、オルフェさんは彼が現皇帝という認識でしかない。オルフェさんやアーサーくんだってそうだろう。エリオットくんは比較的懇意にしていたようだけど、それだってなにを考えてかはわからない。警戒心が高まる中、陛下は徐に手を叩いた。
「素晴らしいものを見せてもらったよ。アイドルという未知のエンターテインメントを披露した勇気、あれだけの興奮と熱狂をもたらしたパフォーマンス……帝国に新たな風を吹かせるには充分過ぎる衝撃だ」
「それが俺たちの役割だからな。全う出来ているならなによりだ」
「うん、本当に良かった。ところで――リオ」
「……? は、はい……」
突然名前を呼ばれて驚いてしまう。目を細め、一歩後退る。陛下は一歩、また一歩と私に近づき、微笑む。
「きみは優れた軍師のようだ。窮地や困難を俯瞰して、最適解を導く頭脳がある。勝利のためなら躊躇もない。クーデター鎮圧の件も、アイドルを成功させたことも、きみでなければ叶わなかった。僕の国には、きみのような人材が必要だ」
「……つまり、どういうことでしょう」
既に帝国には随分と貢献していると思うが、まだ足りないらしい。どれだけ懐が豊かでも欲は衰えることを知らないらしい。いったいなにに協力させられるつもりだ。
などと考えていたが、陛下は私の手を取り真剣な眼差しを向けてきた。
「僕の妻にならないかい?」
「は……?」
「えええええっ!?」
こういうとき、最初に声を上げるのはやっぱりアレンくん。男女の関係にはあまり免疫がないのかな? 純情なんだね、かわいらしい。みんなもそう思っているだろう。
だけど、これは運命の商談とも言える。陛下の求婚に応じれば、私はアイドルのプロデュースから外されてしまうかもしれない。かといって断れば、アイドル活動の援助を断ち切られる恐れもある。
これが脅迫めいた求婚だとわかればいい。顔色を窺っても、神妙な面持ちを向けるばかり。いままでも裏側が見えない顔をしていたが、今回は特にそう感じる。真っ暗闇を覗き込んでいるような不安が胸を掻き毟る。
応じるか、断るか。私の返事一つで彼らの人生を、選択を無駄にしてしまう可能性を考えれば返事が慎重になるのも必然。冷や汗が止まらないし、無限に湧いてくる唾を何度も飲み込む。思考を途切れさせてはいけない。
考えろ、冷静に、慎重に――
「悪いが、こいつは俺たちのものだ」
「はぇ!?」
ぐい、と乱暴に肩を抱き寄せてきたのはイアンさん。この人、本当に大事なところで思考が浅くなるな!? この商談にあなたたちの人生がかかっていることなど考えてもいないでしょうね!
そして、私にはわかってしまう。七人の結びつきはとても強い。複雑怪奇に絡まったコンセント以上に解くのが困難なはずだ。次に声を上げたのはネイトさんだった。彼は私とイアンさんに並ぶ。
「騎士にあるまじき行為であると承知の上です。私はリオ様の人生と共に在りたい」
言い方が固い! これじゃあまるでプロポーズ! 求婚されてる私に追い打ちをかけるような言い方をしないでください! 陛下がどれだけ愛に燃えてるは知らないけど、あなたの発言は一斗缶分のオイルそのもの!
「ふふ、こんなにも魅力的な人を簡単に手放すわけにはいかないかな」
オルフェさんも挑発するようなことを言う。こういうところ、ギルさんに似てきたな! それもまたあなたの色になりますが、ケースバイケースで使い分けてください! なにかあったとき自分の身を守れなくなるんですから!
「ま、なんて言いましょうねぇ。リオちゃんは俺らにゾッコンなんですよ」
いつものような、調子のいい言い回しで笑うギルさん。あなたのそういうところ大好きですけどいまだけは塞ぐ必要がありますね! ミシンならバーバラさんが貸してくれるかもしれない! 軽口もケースバイケース! まだまだ教育が必要そうです!
「リオさんは、ぼくたちの大切な人です! なので、連れて行かれたら寂しいです!」
素直な感情で私を必要としてくれるエリオットくん。かわいいのは事実! だけど陛下を相手に効果があるかはわからないね! きみのターゲット層はお偉方じゃないと思うから、今度じっくり相談しよう!
「帝国に尽くしてきた家系ではありますが……今少し、彼女と過ごすことをお許しいただけないでしょうか」
丁寧な物腰なのは育ちの良さゆえのアーサーくん。ネイトさんのときも思ったけど、畏まった言葉だとしても喧嘩売ってることに変わりはないんだよ!? 十年後に若気の至りで恥ずかしくなるのは他でもないきみなんだからね!
あーあ、この流れに乗らない子じゃないでしょう……アレンくんが前に出た。真っ直ぐに陛下を見詰めて、告げる。
「リオがいなかったらオレたちはアイドルになれませんでした。だから……オレたちからリオを奪わないでください、お願いします」
七人の男性から結婚を妨害されている。相手が相手だからか、白雪姫の二次創作みたいだ。いやそれより、七人の壁を前にして陛下がどう動くか……! これでアイドルプロジェクトがお釈迦になったらどうするの!?
不安で呼吸も安定しないが、肝心の陛下はというと笑うばかり。声を出して、愉快そうに。見たままの感情を声に乗せて笑っている。
なにが起こっているのか。イアンさんを見ても目を丸くしている。彼としてもこんな風に笑う陛下を見たのは初めてのようだ。勿論、私たちだって同じ。二の句を継げずにいる中、陛下が呼吸を整え始める。
「はははっ……! いや、おかしくてね。皇帝の求婚を阻む勇敢な者が七人もいるだなんて」
「この度は私のアイドルが大変失礼いたしましたァ!」
イアンさんを振り切って土下座。いまこそ私が頭を下げるとき! せっかく始まった私たちの夢を終わらせるわけにはいかない! 止めようとしたって無駄だ! 私はいまミカエリアの大地に根を下ろしている! それくらいの意志で跪いているぞ!
「リオ、顔を上げなさい。別に僕は怒っていないよ」
「で、ですが……!」
「じゃあ質問だ。きみは僕の妻になる気があるのかい?」
「エッ……!?」
つい言い淀んでしまう。あります! と言い切ればまだ首の皮が繋がる可能性だってあっただろうに! 私のお馬鹿!
その隙を見逃すはずもない。陛下は穏やかに口の端を釣り上げる。あ、終わった……。
「それが答えさ。僕の妻になれるとあらば小躍りして応じるだろう、普通の女性ならね。だがきみは違う。僕と、彼らを秤にかけられる。答えを出せなかったのも彼らを思ってだろう? アイドルを辞めさせられるんじゃないかと考えたはずだ」
「はぇ、は、はい……陛下がご気分を害されたなら、このプロジェクトがなかったことになるのではと……」
「ふふ、そう。子供のような癇癪を起こすものだと考えていたんだね。これでも皇帝だよ? そこまで愚かじゃないさ」
どうやら私は日本の上席を基準に考えていたらしい。狭い島国と世界を比べればスケールが違うということですかね。でも世界そのものが違うから比較対象にもなっていないか。
「それに、あれだけの歓声を貰ったきみたちを切り捨てたとしたしよう。それこそ信用を失うことになりかねない。僕やアンジェ騎士団による統治が安定するまで、アイドルを潰したりしない」
この人は極めて冷静に物事を判断出来る人のようだ。感情よりも思考を優先して、現実から目を背けずに利益とリスクを考えられる。となれば……。
「さて、お膳立ては充分だろう。改めて問う。僕の妻になる気はあるかい?」
「……大変、申し訳ございません」
声が震えるのを必死に隠し、陛下の目を真っ直ぐに射貫く。彼はやはり意味深な笑みを浮かべて私を見詰めている。なら、逃げちゃ駄目だ。ブラック企業に飼い慣らされた営業は物怖じなんてしない!
「私は彼らといたい、彼らの夢を応援したい。それが彼らの人生を預かった私の責任です。結婚のお申し出は大変光栄ではございますが……応じられません」
「うん、その返事が聞けてなによりだ。これからも頑張って」
それだけ告げて、陛下は去っていった。嵐が過ぎ去ったような静けさの中、イアンさんがため息を吐く。
「……よかった」
みんなも同じ気持ちだったのか、気の抜けた息を漏らしている。それがおかしくて、つい笑ってしまった。ちゃんと安心させてあげないとね。
「安心してください、私の人生は皆さんのものですよ」
ちょっと重すぎる言い方かもしれないけど、こういう言葉でも許される空気だと思う。特に突っ込まれたりはしなかった。みんな、少しだけ妙な笑顔を浮かべている。恥ずかしいは恥ずかしいチョイスだったかもね。
なら、これからも続いていくことを。私が傍にいることを伝えないと。
「――これからも、たくさん夢を見せてくださいね」
これから先、ずっと未来に想いを馳せて告げた言葉。恥じらうこともなく、躊躇もなく、みんなは力強く頷いてくれた。