★この瞬間を何度でも
混乱と動揺、そして疑問が蔓延っていた。“スイート・トリック”の公演を見に来た。あれは誰だ? ジェフはどうした? 不満の滲んだ空気を掻き消したのは、アレンのソロ。
力強く、どこまでも遠くへ。目の前の観客席、その向こうへ届けるように真っ直ぐ、ただ一途に歌を届ける姿勢は目を見張るもんがある。
こんだけの観客の中、物怖じせずに全力を出している。まだ十七のガキが誰より先で、誰より目立つところで歌っている。
――実質最年長の俺が怖気づいてる場合じゃねぇよな?
ミランダに仕込まれたステップは力強い。それでいて丁寧で、綺麗だ。それがあいつにとっての理想のダンスなんだろう。
だが、俺に求められたものはそれじゃない。とことん男らしく、荒々しく。歌だって猛々しく、勇ましく。悪そうに見られたって構わねぇ。“ニジイロノーツ”のイアンは誰よりワイルドでいかした男だ。
それがリオの望む“イアン・メイナード”。カインから与えられた名前に、意味が増えた。ただの人形じゃない、俺が“俺”として存在するための名前。
ずっと、ずっと求めていたもの。辺境のド田舎に生まれて、ゴミの掃き溜めに棄てられて、泥水と腐った飯で生きてきた俺が、本当の意味でこの世に生まれた気がした。
こんな俺でも生きてていい。こんな俺に、世界を教えてくれた“あいつ”のために――いまこの瞬間を全力で、生きてやる。
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イアン様のステップや振りは大きく、乱暴だ。他の誰かが真似ようものなら顰蹙を買いかねない。目立ちたがるな、和を乱すな。批難の的にもなり得るパフォーマンスこそ彼の真骨頂だと感じた。
圧倒的な完成度を前にして、饒舌に批判することなど出来はしない。苦し紛れの難癖をつけることしか出来ない。イアン様のパフォーマンスはそれすら許さない。
努力。ひとえにそれだけだ。我々の目を盗み、一人で積み重ねてきた時間が彼を裏切ることはない。圧倒的なパフォーマンスで黙らせる。ある意味で暴力的な姿勢は見る者から言葉を奪う。
彼の品評をしている場合でもない。私は私に出来ることをやるのみ。イアン様とは正反対、手本のように正確な振り。半音のズレもない歌声。彼のパフォーマンスに比べれば退屈に映るだろう。
だが、それこそリオ様の求めたこと。私に求められているのは、作品に込められた意図をそのまま表現すること。秘められたものを十全に、過不足なく放出する。
私に与えられた役割は“ニジイロノーツ”の秩序とも言える。七人の中で最も正しく、正確に在ることだ。私のパフォーマンスは言わば土壌。六つの種が美しく実るための存在。
これはリオ様の求めるアイドルの在り方なのだろうか? 私はいま、笑顔を生み出せているか? そもそも私は笑顔か? このダンスに、歌に、心はあるだろか?
立ち位置が変わる一瞬、エリオット様を見やる。視線が交わり――満開の笑顔が私に向けられた。
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ネイトさんの振り付け、ミランダさんがやってた通りですごくかっこいい。それに、あんなに嬉しそうな顔は初めて見た。ついぼくも笑顔になっちゃう。こういう人になりたいな、って心から感じた。
お客さんもだんだん楽しそうになっているのがわかる。音楽に合わせて手拍子してる人が見えた。それが嬉しくなって口角が上がる、ステージを蹴る足に力が入る。体は自然と動いて、嬉しさや楽しさは歌とダンスにもっともっと元気を与える。
ぼくばっかり楽しんでないかな? なんて心配はもうしない。ぼくたちが楽しんでいれば、会場はどんどん“楽しい”でいっぱいになる。その瞬間がすごく楽しみで、もっと、もっとたくさん“楽しい”で満たしたい。そう思う。
だって、これがぼくの役目。皆さんの中で一番楽しそうに、元気いっぱいでいること。ぼくは一番年下で、皆さんに比べたら全然頼りないけど、ぼくだからできることがこれなんだ。
純粋とか、無邪気とか。そういう言葉は恥ずかしいし照れ臭いけど、リオさんがぼくにそれをお願いしたんだ。絶対やり遂げたい。そうしたらきっと、姉さんだって迎えに来てくれる。
不安も、怖さも。笑顔で吹き飛ばせば大丈夫。皆さんと一緒ならそれができる。ギルさんを見たら、目が合った。いつもの調子でいたずらな顔を見せて、客席に手を振る。その瞬間、空気が少しだけ熱くなった気がした。
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エリオットは大したもんだ。あんだけ激しく動いて、ずっと笑顔で。あいつが前に出ると客の表情も明るくなる。道具も小細工もない、不器用で体当たりなパフォーマンスなのに、客は嬉しそうにしている。
ずっと道具に頼ってきて、自分を曝け出すことを拒んできた俺には到底出来ないことだ。けど、こんな場所に立ってんだ。弱音なんて吐いてらんねーよ。
さすがは“スイート・トリック”の公演、ステージには中継のカメラがわんさとある。四方八方、逃げ道なんてどこにもない。どこからでも映されて、それが世界中に配信されてる。
――こういうのを利用してこそエンターテイナーだよな?
振りの合間、他の奴が歌ってるとき、間奏。歌もダンスもサボらずカメラに意識を向ける。いま画面に映ってるのはどのカメラだ? 誰が抜かれてる? 邪魔はしないし、させるつもりもない。一瞬、ほんの一瞬でいい。俺を見ろ!
一つのカメラが俺の傍に移動してきたのを感じた。すかさず視線をやり、ウインクの一つでも決めてみせる。会場じゃあ伝わねーか? そう思ったが、ステージの背後には立派なモニターもある。客席からいい声が聞こえた。手応えあり、ってところかね。
こんな些細なサービスの評価はいずれわかること。やって損になるもんじゃねーんだ、利用できるもんは全部利用してやる。
なんたって、リオちゃんが求めたことだ。イアンさんとは違った意味で“格好いい男”でいること。呼吸も、時間も忘れさせるような空気を。観客を湧かせた見栄えのいい魅せ方を思い出せ。
すれ違いざま、オルフェが意味深な笑みを浮かべた。誰に向けてんだか。そういうサービスはカメラにしやがれってんだよ、バァカ。
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ギルの視野の広さは群を抜いている。カメラの位置、客席の盛り上がり、メンバーの様子。会場全体を見渡し、その都度最適なパフォーマンスを披露している。
要領がいいとは思っていたけれど、身近で見ると彼のエンターテイナーとしての才能をより強く感じられた。つい笑みが浮かぶ。目が合った彼は少しだけ眉をひそめた。お気に召さなかったかな?
いいや、違うか。いま僕が笑顔を向けるべきは彼じゃないからだね。つい、目を逸らしたくなってしまう。改めて観客席を見やれば、僕らが歌い始める前より遥かに熱が高まっているのがわかった。
各々が役割を果たしているからこそだろう。ギルは大胆に、イアンは不敵に、ネイトは正確に、エリオットは溌剌と。一見まとまりのない皆の個性が調和している不思議な空間。そんな中に僕がいるのもまた奇妙だ。
楽曲を生み出した時点で留まることを覚悟していた。別れの不安や恐怖を押し退けてまで一緒にいたいと思わされた。もっと彼らを見てほしい。僕よりもずっと魅力的で、この瞬間を生きている彼らを知ってほしい。
――けれど、皆の後ろで見守るのは僕の役割じゃない。
ミランダのステップを忠実に再現する。ネイトの教えは至極単純なものだった。リオはそれが僕に必要なものだと言っていたけど、いまならわかる。僕のステップ、振り、歌。ネイトと同様に、限りなく正確だ。
カメラが僕を抜くと、客席が湧いた。自分で言うのは憚られるけれど、顔の造形は整っている方だ。それだけである程度の注目は集められる。だけど、いまはそれだけじゃない。
ネイトから学んだ正確さ。それに加えて、ギルから盗んだ“魅せ方”。注目が集まるということは風船が膨らむようなもの。限界まで膨張した関心に針を刺すように――指で銃を作りカメラを撃ち抜いた。
瞬間。会場の熱が高まる。いっそ狂気的な盛り上がりを肌で感じ、自然と笑みが溢れた。僕たちが熱狂の渦の中心にいる。こんなこと、想像さえしたことがなかったね。
皆はどうだい? 楽しんでいる? ――なんて、聞かなくたってわかってしまうよ。
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オルフェさんの一挙一動が空気を動かしている。ミステリアスな佇まい、優しく撫でるような歌声。彼がステップを踏むたび、彼のパートが訪れるたびに空気が高揚していくのがわかった。
彼だけじゃない。皆が皆にしか出来ないパフォーマンスで会場の空気を作っている。イアンさんとギルさんは挑発的とも言えるし、エリオットはいままで以上に躍動感がある。役割を理解し、その通りに在っている。
その点、僕はどうだ? リオから与えられた役割を全う出来ているだろうか? 彼女が僕に求めていたのはフレッシュさ。アレンやエリオットのようなパフォーマンスが僕に出来るのか?
そんな迷いさえ抱く暇もない。民に尽くすのがランドルフ家の務めだ。それはアイドルの仕事とも近いものがある。民を笑顔に出来るならば、僕に出来ることを全身全霊で全うする。
笑顔を絶やさず、ミランダさんやアメリアさんから教わった全てで民を喜ばせる。父上を見返してやろう、認めさせてやろう。そんな邪念は必要ない。
ただ目の前の人々のために。そして――隣で圧倒的な存在感を放つ友のために歌う。こいつの隣に居続けたい、夢が叶う瞬間を誰より傍で見届けたい。
公私混同と言われればそれまでだが、この想いだけは絶対に譲れない。誰にも奪わせないし、汚させない。
僕たちの夢は僕たちだけのものだ。ずっと、これからもずっと。大切に抱いていくし、育てていく。もう目を背けたりしない。果てのない未来を真っ直ぐ見据えて、アレンの隣を歩き続けていたい。
二人で願い続けた夢が、十年以上の時を経て芽生えた瞬間なんだ。
始まりの日を超えて、その先。僕たちの夢はどこまで育つだろう? 不安を覆い隠すほど期待が大きくなっていく。
四分間のパフォーマンスも大詰め。最後の間奏を迎え、アレンと目が合う。満面の笑顔を見せて、拳を突き付けてきた。ミランダさんの振り付けにそんな動きはなかっただろう。
――懐かしい顔だ。
記憶と重なるアレンの顔。そこになんの差もないことがおかしくて、僕も拳を突き付けた。
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いま、幸せだ。心からそう思える。
たくさんの人の前で歌えて、同じものを見る仲間がいて、一緒に夢を見続けたアーサーが隣にいる。子供のオレが望んでいたことがこの空間に詰まっている。
笑顔を保ちながらダンスと歌唱を両立するのは難しい。気を抜けばいまにも膝から崩れ落ちてしまいそうだ。これだけの疲労を感じてるのはオレだけじゃないと思う。
だけど、誰もそんな素振りを見せはしない。つらそうな顔を見せるのはアイドルじゃない。笑顔で、楽しそうに、この空間を幸せでいっぱいにすることがオレたちの使命。
会場が盛り上がっていくのを肌で感じる。オレたちの歌も、楽曲も、ステップも、乱れた息も、爆発しそうな鼓動も、全部がこの空気を育てる力になっている。
最初は不安そうにしていたお客さんもみんな笑顔だ。手を叩いてくれる人もたくさんいる。合いの手を一緒に歌ってくれる人も。全員で作った空気。あと一分もしないうちに終わってしまうのが惜しい。いつまでも抱いていたい、ずっと味わっていたい。
――この瞬間を、何度でも。
今日は終わりじゃない、新しい夢の始まりだってリオが言ってた。その言葉を本当にしたい。いつまでも、ずっと未来でも歌っていたい。ステージに立っていたい。
この想いはワガママかな? それでもいい。オレはアイドルでいたい。みんなと一緒に笑い合えるこの空間を大切にしていたい。
間奏が明けて――オレのソロパートが訪れる。これまでの想いと、これから続いていく夢。みんなの傍に寄り添うような、優しくて力強いエールを。世界中に届けるように歌い上げる。
会場全体が浮き上がったような気がした。当然、錯覚。だけど、それくらい湧き上がる力を感じたんだ。怖いだなんて、もう思わない。この一瞬を、みんなで楽しめばいい!
七人のパートを迎える。バラバラに見えるオレたちが綺麗に混ざり合って、一つの色になる。見たこともない不思議な色、リオはオレたち七人を“ニジイロ”と言った。七人で、一つなんだ。この形を失くさず、この色を褪せさせない。
それがきっと、リオがオレたちに求めていたことなんだ。
最後のフレーズを歌い終え、後奏。最後の最後までダンスは丁寧に。手を抜くことなんて絶対にしない。アイドルとして、ここに立っていたいなら――!
曲が終わり、しんと静まり返る会場。オレたち七人の息遣いだけが響く。肩で息をしながら、みんなと顔を見合わせる。そして、なにより大事な言葉を高らかに、全力で告げる。
「……ありがとうございました!」
オレの言葉の後、一拍置いて拍手が聞こえた。小さな音は、やがて会場全体を包み込むほど大きな音に変わる。これだけの人数が、オレたちに拍手を送ってくれている。
アイドル“ニジイロノーツ”を受け入れてくれた。その証拠だ。大喝采の中、一つずつ照明が落ちていく。溶けていくような暗闇には、興奮の残響が滲んでいた。