いつか来る日まで
「ただいま!」
アレンくんの揚々とした声に、ご両親は一瞬目を丸くした。まあ彼の後ろに私たち七人が控えていることもあるだろう。
春暮公演に出演することが確定したこともあり、報告も兼ねて八人でケネット商店に押し掛けたわけだ。衣装の話も聞かなければならなかったし、ちょうどよかったとは思う。
バーバラさんも旦那様も、アレンくんの声音になにかを察したようだ。顔を見合わせて、笑う。
「あんたのそんな声、久し振りに見たねぇ」
「今日はお祝いだね。店はもう閉めよう」
「えっ、お祝いって……待ってよ、店を閉めなくても」
「あはは、我が子がそんな顔で帰ってきたのにお祝いしなくてどうするっていうのかな。張り紙さえしておけば皆さんわかってくれるさ」
旦那様の声は優しい。やっぱり親は子供のことってわかるものなんだね。アレンくん、家にいた頃はご両親に気を遣っていただろうし、こういう顔って久しく見てなかったのかもしれない。
「あんたたちも一緒だよ! 今日はとびっきり腕を奮うからね、買い出ししといで!」
「はーい! ぼく行ってきます!」
「なら俺も行く。ネイト、ギル、ついてこい」
「かしこまりました」
「へーい、今日は遠慮しないでご馳走になりましょうかね」
「僕とオルフェさんは……」
「僕たちも一緒に行こうか。アレンはどうする?」
「オレも行くよ! 今日はみんなで買い物して、ご飯だ! じゃあ行ってきます!」
真っ先に駆け出すアレンくんの背中をみんなが追いかけていく。バーバラさんと旦那様は笑顔でそれを送り出し、残ったのは私だけ。誰もいないなら聞いてしまおう。
「やっぱりわかるものですか? アレンくんのこと」
「勿論。かわいい息子だからね」
「あの子のあんな嬉しそうな顔、久し振りに見たよ。ずっと我慢してたってことかねぇ、一丁前に」
旦那様もバーバラさんもすごく嬉しそうだ。うーん、やっぱり親子っていいものだなぁ。私もこんな風に思われてたのかな? 親の心子知らずなんて言うけど、アレンくんとご両親を見ていると強く実感する。
――アーサーくんだけじゃなく、ご両親ともすれ違ってたんだ。
きっと、寂しかったと思う。身近な人ですら、本音を打ち明けられずにいたんだ。自分の願いを押し込めて、一人ぼっちで歌っていたんだ。心の底から、報われて良かったと思う。つい、思いの丈が溢れる。
「アレンくんには……というより、ケネット家の皆様には感謝してもしきれません。あの日アレンくんが私の手を引いてくれたから、お二人が私を家に迎えてくれたから、私の願いが叶いました。細やかな恩返しですけど、私の願いが彼を舞台の上へ連れて行ける。アレンくんが夢の続きを歩き始めることが、自分のことみたいに嬉しいです」
「僕たちはアレンを信じていただけさ。あの子が連れてきたなら悪い子じゃないだろうってね」
「あたしはちょっとワクワクしたけどねぇ。どうだい、アレンを貰ってやる気はないかい?」
「あはは……いい旦那さんになりそうだなぁとは思いますけど、相手は私じゃない方がいいです」
私と私のアイドルが付き合ったり結婚したりするの、すごく違和感がある。想像すら難しい。これが所謂“解釈違い”なのかな? 生前はあまり感じなかったことだけど、まさか第二の人生で、他ならぬ我が身で感じることになるとは思わなかった。
「そうかい? お似合いかと思うけどねぇ」
「アレンくんの気持ちが大事ですから。それに恋愛とか結婚とか、私たちにはまだ早いですよ」
「はっはっは、若者は夢を追いかければいいさ。そうして逞しく、愛らしくなっていくものだよ」
旦那様も若かりし日を思い出しているのだろうか。アレンくんにもそう在ってほしいと願っているのかもしれない。
夢を追いかけるのは簡単なことじゃない。追い続けるのはもっと難しい。たくさん苦労して、たくさん傷ついて、その果てに掴めるものかだって確約はされていない。
それでも、夢を追うことが無駄だなんて思わない。彼らを見ていればわかる。やりたいことのため、叶えたい願いのために頑張ることが無駄なんて思わせるものか。みんなにも、帝国にも。夢を見ることの素晴らしさを知ってほしい。
それは生前、私が知らなかったものだから。
=====
「綺麗に平らげてくれたねぇ! 張り切った甲斐があるってもんだよ!」
満足げな笑顔を見せるバーバラさん。アレンくんの変化がよっぽど嬉しかったんだろうな。腕を奮って作ってくれたのがよくわかる、到底家庭の食卓に並ぶような量ではなかった。それを残さず食べ切ったみんなも大概だとは思うけど。成長の証かな?
「こんなに美味い飯、滅多に食えるもんじゃねぇな……」
「温かみの感じられる食事でした。奥様の腕前には感服いたします」
「こんなもん毎日食ってたのか、アレンは。羨ましいぜ」
イアンさんたちも、心なしか表情が緩い。家庭料理の温かさに縁がない人たちはより満たされたのかもしれない。私としても十年ほど家庭料理から遠ざかっていた人間なので気持ちはわかる。
エリオットくんたちもいい笑顔だ。オルフェさんでさえ余韻に浸っている。アーサーくんも実家での食事とは大きく異なる味付けを楽しんでいるようだった。アレンくんも誇らしげでハッピーが漂っている。
「ご馳走様でした。それではですね、お二方に改めてご報告をさせていただきます。私のプロデュースするアイドル、“ニジイロノーツ”。そのデビューライブが明日、“スイート・トリック”の春暮公演で行われます」
「明日かい! それはちょうどよかった、衣装が昨日届いたんだ! ほら野郎共、こっちへおいで! さっさと袖を通しなさい!」
みんな、とてもいい返事で奥の部屋へ向かっていく。ああ、いよいよ来るところまで来たんだなぁ……本当に感慨深い。最初は渋っていたギルさんやオルフェさんもみんなと一緒にいてくれる。それが本当に嬉しい。
アレンくんとエリオットくんが駆け足で、アーサーくんは二人に引きずられていた。三人を見守るようにギルさんとオルフェさんが続き、イアンさんとネイトさんもみんなの背中を追う。
あの七人はもう、一つになっている。みんなで“ニジイロノーツ”なんだ。私と同じくらい、七人でいる意味を大切にしてくれている気がする。活動を続ければ続けるほど、七人の繋がりは強く、深くなっていくはずだ。
――私を置いていくくらいに。
「そんな顔をするものじゃないよ」
隣から旦那様の声がした。振り向けばいつもの穏やかな笑み。見守るような、あったかい笑顔だった。
「私、どんな顔してました?」
「寂しそうな顔だったね。まるで仲間外れにされたような顔」
「あは……見透かされちゃいましたか」
この人は本当によく見ている。冒険者の経験か、それとも人柄か。旦那様に関して言えば、バーバラさんがあんな感じだから自然と視野が広がったのかもしれない。奥様一筋で素晴らしい。
旦那様は私の頭に手を置いた。うわ、なんだかすごくくすぐったい。子供になった気分だ。
「心配要らないさ。あの子たちは『ありがとう』の大切さを知っている。あの子たちを繋げたのはきみだ。交わるはずのなかった七人をまとめて、ここまで導いてきたのはきみなんだ。そんなきみを、いったいどうして蔑ろにするっていうんだい?」
「……ふふっ、はい。ありがとうございます。皆さんに失礼でしたね」
「その通り。あの子たちを選んで、あの子たちの人生を預かった。その責任を果たすなら、きみは胸を張っていなさい。それが彼らと共に行くことだと思うよ」
「はい。私、皆さんと歩いていきます。置いていかれないように、一緒に」
「リオちゃん! 入っておいで!」
奥の部屋からバーバラさんが顔を出す。衣装を着たみんなに会えることがかつてないほど胸を高鳴らせた。私のアイドルが、あの扉の奥にいるんだ。駆け足で向かい、扉を潜る――。
「……!」
感想くらい言おうとは思っていた。思っていたのに、言葉が出てこなかった。
バーバラさんには簡単な衣装案を出してはいた。絵心がないから、上手く伝わるかわからなかった。それがどうだ、アイドルのテイストを出しつつみんなの個性を前面に押し出したデザインとなっている。
「な、なにか言ってほしいんだけどな……?」
「似合っていないとは言わせないぞ」
心配そうな面持ちのアレンくんと、強がったような声音のアーサーくん。二人はメンバーの中でもフレッシュさを象徴する子ということもあり、空色のシャツに白いブレザー、スラックス。この世界の学生服も地球と大差ないようで安心した。
「リオさん、どうですか? ぼくたち、かっこいいですか?」
キラキラと目を輝かせるエリオットくんは快活さを押し出す意味も込めて半袖のパーカーに短パン。細かな意匠はアレンくんたちに通じるものがある。メンバーの中でも最年少ということもあり、幼さを印象付けられそうだ。
「なんつーか、こういうの着ると引き締まるもんだな」
ギルさんは衣装を身に着けたことでよりアイドルを感じられているようだった。彼の衣装はアレンくんたちと同じシャツに、ベストを着用している。首元のボタンを外しているのが実に彼らしい。
「こんなにきっちりと服を着こなすのは初めてかもしれないな、少し緊張しているよ」
そう苦笑するオルフェさんの衣装はスーツをベースにしているものの、燕尾服だ。動いたときに最も華があるデザインを、という発注内容だったがオルフェさんなら絶対に映える。ただ佇んでいるだけで確信させる雰囲気があった。
「鎧とはまた違った緊張感がありますね。悪いものではありませんが」
高揚感を感じているだろうか、口の端が上がっているネイトさん。彼の衣装は極端に露出が少ない。だがそれがいい。元々隙のない彼は大胆に肌を見せるよりも隠した方がかえってセクシーさを強調しやすいと考えてはいたが、正解だったようだ。
「なあ、俺だけ方向性違わねぇか……?」
唯一心配そうな面持ちのイアンさん。彼はメンバーの中でも最も露出が多い。ベースは同じなのだが、割れた腹筋、逞しい二の腕。引き締まった体を存分に押し出す装いは、ギルさんとはベクトルの違う男性らしさを表していた。恥ずかしいのかもしれないけど、それがあなたの役割です。
「ほら、なんとか言ってやったらどうだい」
バーバラさんに背中を叩かれ、ようやく思考の淵から帰ってくる。そうだ、私にしか言えない、彼らのための言葉を。
「“ニジイロノーツ”――」
彼らの名前。私がつけた、彼らだけの名前。他の誰でも務まらない、この七人じゃなければ存在しなかった名前。
歌うことを諦め切れなかったアレンくん。
すれ違いに胸を痛めていたアーサーくん。
自分自身を蔑ろにしていたギルさん。
たった一人の家族を想い続けたエリオットくん。
傷つくことを恐れていたオルフェさん。
本当の自分を探し続けたネイトさん。
こんな私に寄り添い続けてくれたイアンさん。
誰か一人でも欠けていたら叶わなかった夢。みんなが私をここまで連れてきてくれた。その感謝をいま、全部伝えよう。
「ゼロからのスタートでした。元手も繋がりもない、なにも持っていませんでした。だけど、アレンくんと出会って、アーサーくんと出会って。ギルさんやエリオットくん、オルフェさんと出会って。ネイトさんとイアンさんに出会えた」
みんなの顔を見詰める。私のアイドルは視線を逸らすこともなく、笑顔を見せてくれる。その表情が胸を幸せで満たしていった。
「私の夢はアイドルをプロデュースすること。ずっと――異世界に来てからずっと願い続けた夢です。その夢が明日叶う。正直、実感は湧きませんでした」
当たり前だ。なんの知識もないまま異世界に放り出されて、どこに辿り着いて、何歳なのかも知らなくて。赤ちゃん同然の私が芸能人をプロデュース? それを夢見て承諾した二度目の人生だけど、見通しは甘かったと思う。
だけどいま、見続けた夢に指先がかかっている。もう少しで届くんだ。みんなのおかげで、ようやく夢の輪郭が見えてきた。
「アイドルの衣装を着た皆さんを見て、私の夢が叶うんだって実感出来ました。そして、明日は夢の終わりじゃない。新しい夢の始まりです」
明日はゴールじゃない。明日、出発点に立つんだ。それは私だけじゃない、アレンくんたちにとってもそう。アイドルという未知の文化の先駆けとして、たくさんの注目を浴びるだろう。批判だって避けては通れないだろう。
それでも、私たちは歩いていける。どこまでだって進んでいける。私と、私に人生を預けてくれた七人なら。最後の瞬間まで夢を見ていられるはずだ。
「叶えた夢も、これから叶える夢も、皆さんと抱き締めていたい。何度だって同じ夢を見続けていたい。皆さんと一緒に、ずっと……ずっと先。いつか来る終わりの日まで夢を見続けていたい。心から、そう願います」
少し重かっただろうか。なんて考えは杞憂だとわかった。みんな笑顔だから。誰一人、私の言葉を夢物語や綺麗事だと思っていない。同じ気持ちだからこそ、笑顔で応えてくれる。
――波乱だらけの第二の人生だけど、ようやく、幸せだって思えた。