審判
「……一夜明けたと」
ときは春暮二十六日。結局昨日の間に“スイート・トリック”から結果は告げられなかった。審議を重ねていた、と前向きに捉えるには少しばかり不安が大きい。みんなにとっても同じだろう。
なにはともあれ、一度顔を見せてあげないと。精神的な支柱であるオルフェさんとイアンさんだけど、昨日の今日で切り替えられるとは考えにくい。みんなのためにも、私が空気を和ませたりしないと。
……出来るのか? 社畜ギャグは通用しない、心配させる気なんてない。下手に動かない方が得策だろうか。情けないマネージャーだよ、本当に。
ひとまずベッドから這いずり出て、身嗜みを整える。なんだかんだ家族的な繋がりも強くなってきた気がするけど、相手は一応仕事仲間だからしっかりしないとね。
――そうだ、仕事なんだ。
最初は自己満足で始めようとしたアイドルのプロデュースだけど、もう私のエゴだけじゃ済まされない。私たちの背後には国がいて、資金面の援助だってしてもらっている。カイン陛下の思惑はいまだわからないけど、言ってしまえば彼が社長なのだ。私はマネージャーに過ぎないし、みんなだって所属タレントだ。改めて気を引き締めないと。
そうなると早急に用意しておくものがある。それは後で買いに行こうか。いまは普段着に袖を通し、事務所へ向かう。
「おはようございます……って、あれ? 誰もいない……」
現在、時刻は朝七時。いつもならこの時間には起きているはずだし、ここに集まっているものだと思う。とはいえ冷静に考えてみれば、いままでは稽古があったから早起きせざるを得なかったわけで、ようやく得た休暇なんだ。まだ眠っているのかもしれない。
だったら起こすのも悪いだろう。それに、いま出来ることも特にはないんだ。ゆっくり寝かせておくのが吉か。
となると……私も気分転換が必要かな。
備えられたメモ用紙にペンを走らせる。「外出しています。ご用件はイアンさんを通じてください」。
一度部屋に戻り、イアンさんから貰ったイヤリング型の通信機を身に着ける。イアンさんを名指ししたのは、彼なら私が単独で行動していても連絡がつくからだ。ベッドにはアミィがいまだ寝息を立てている。この子を含め、みんなを起こさないようにこっそりと階段を降りていく。
日が昇る時間とはいえ、窓から覗く空は薄暗い。叡煙機関の生産が盛んなミカエリアでは昼夜問わず煙が立ち上り、空を覆い隠してしまう。それでも朝を感じられるようになったのは慣れと言わざるを得ない。
途中で侍女さんとすれ違ったが、私に気が付いて挨拶をしてくれた。
「おはようございます、リオ様。どちらへ?」
「おはようございます。どちらへ……と言われますと、どちらでしょうね」
「ふふ、朝のお散歩は目が覚めますものね。行ってらっしゃいませ、お気をつけて」
「はい、ありがとうございます。行ってきます」
侍女さん、私のような素性の知れない旅人にも物腰が柔らかい。心に余裕があるんだろうなぁとは思う。心が貧しい人ってなにかと他人を見下そうとするからね。社畜時代はそんな人にはわんさと出くわしてきたことを思い出す。
お城を出て少し歩けば、中央市街まで出ている馬車の停留所がある。あまり急がなくてもいいんだけど、たまには目的もなく馬車に揺られるのも気分転換になりそうだ。
お小遣いは各々イアンさんから支給されているので、交通費くらいなら抵抗もなく出せる。たまたま乗り入れた馬車の御者さんは私の顔を見るや否や「おっ」と声を上げた。私は覚えがないけれど……。
「お客さん、昨日の夕方あそこにいたでしょ」
「どこですか?」
「宰相閣下と騎士様が路上で戦ってたところ」
「アッ……!」
そうだ、あのときに限っては私も表に出てしまったのだ。イアンさんとネイトさんは立場上、批難を浴びやすい。彼らの関係者だとわかればいったいなにを言われるやら……固唾を飲んで頷くと、御者さんは朗らかに笑った。
「怖がらなくていいですよ。いやぁ、ハラハラはしましたけどね。はっはっは」
「混乱を招くような手段を取ってしまい申し訳ございません……」
「いやいや、謝ることじゃないですよ。正直、私は彼らを見直しました」
手綱を握り、視線は前を向いたまま。それでも、その言葉に嘘が滲んでいるようには聞こえなかった。御者は続ける。
「宰相閣下は経歴が不明で、突然就任されたものですから。やっぱり私も不安だったんですよね。アベル陛下の不審死も含めて、カイン陛下の即位やイアンさんの就任……黒い噂が立ってもおかしくはなかったです」
やっぱりそれは間違いじゃなかったんだ。データからの推測でしかなかったけど、こうして生の声を聞くと堪えるものがあるなぁ。だけど、私が悲しい顔をしていても仕方がない。
「ネイトさんもそうでした。昔から笑わなくて愛想がなくて……ですが昨日のお芝居を見て、あんな表情も出来るのかと驚きました。イアンさんはお芝居を放棄してまで女の子を庇って傷を負って……正直なところ、面食らってしまいました」
「……? それは、どういう……」
「私たちがイメージしていたお二人とは、認識にズレがあったように思いましたよ。私に限らず、あの場にいた全員がそう感じていたと思います」
――二人に聞かせてあげたかった。とても強く、そう思う。
自分たちが“ニジイロノーツ”のデビューにおいて最大の障害であると思っていただろう。それがどうだ、デビューに向けての最後の一押しになっている。
あの場にいた人たちだけでもいい。“イアン・メイナード”と“ネイト・イザード”が見えたなら、それだけでよかったんだ。無尽蔵に膨れ上がっていた彼らへの疑念は、少しずつ萎んでいくはず。
誰か一人でもこう思ってくれているなら、私は胸を張るべきだ。笑みを浮かべて告げる。
「あなたみたいな人がもっと増えたらいいのにって思いました」
「はっはっは、遠からずその日は来ますよ。認めざるを得ないでしょうからね。なんでしたっけ、エンターテイナー、アイドル? 頑張ってくださいね」
「はい。彼らにそう伝えておきます」
誇らしい気持ちを胸に秘め、馬車に揺られる。中央市街に出るまでの時間が心地良く感じられる。
=====
街に出てからしばらくすると、イヤリングから声がした。すぐに帰ってこいとのことで、呼び戻される形で文化開発庁へと帰った私。
事務所には緊張感が漂っていた。それもそのはず。“スイート・トリック”の主要キャストが揃っていたからだ。ミランダさん、アメリアさん、ジェフさん、雁首揃えてなんの用だ?
なんて考えたけど、冷静になれば審判を下しに来たことくらいわかる。彼女たちは私の帰りを確認するなり、よしと小さく呟いた。
「俺たちがここに来たってことは、もうわかってるよね」
ジェフさんの声はいつもより低い。表情も真剣そのもの。私を含め、みんなの顔にも緊張が浮かぶ。その変化も見逃さず、アメリアさんがくすりと微笑んだ。いまはその笑顔も恐ろしい。
「そんなに怖い顔をしなくても大丈夫よ。あなたたちはやれるだけのことをやってきた。これまでの努力を誇りなさいな」
そうは言うけど、この状況で緊張するなという方が無茶な話だ。なんとか報われてほしい、最初の一歩で躓きたくない。焦りから口が動きそうになるが、なにを言っても結果は変わらない。ぐっと飲み込み、言葉を待つ。
「まだるっこしいことは言わねぇよ。結論だけだ、よく聞け」
ミランダさんの声に、私たち八人は頷く。彼女はすう、と深く息を吸い込み、ため息。この反応にどんな意図があるだろう。血の気が引く思いである。彼女の表情は一目では紐解けない複雑なもの。
そうして、審判が下る。
「――明日に控えた“スイート・トリック”春暮公演。その前座を“ニジイロノーツ”に任せる」
「……は? え……?」
私も、みんなも。言葉が出てこなかった。ミランダさんの言葉の意味を、理解出来なかったから。
前座。私たちが、“スイート・トリック”の前座? 一番手のジェフさんよりも早くステージに立つ。ステージで歌って、踊る。私のアイドルがステージに立つ。
明日が――“ニジイロノーツ”のデビューライブになる!
「やっ……たあああああ!」
誰よりも早く。誰よりも全力で。諸手を上げて喜んだ。アレンくんたちも遅れて理解出来たらしい。みんな、思い思いに喜んでいた。
それだけを願って頑張ってきたのだ。私も、みんなも。デビューだけを見据えて頑張ってきた。七人で、誰一人欠けることもなく、みんなでステージに立てる。その喜びはみんなにとって何物にも代え難いはずだ。私なんかより、ずっと大きなものだと思う。
「終わった気になってんじゃねぇぞ。明日が始まりだ。あたしらが鍛えてきた、その成果を見せてみろ」
「はい! 絶対、絶対! 最高の結果を残してみせます!」
アレンくんの声に熱が籠っている。七人の中で一番目的が明確だった彼の声音は胸を震わせた。アメリアさんが「あらあら」と意地悪な笑みを浮かべる。
「可愛い教え子を持てて幸せね」
「うるせぇ。それはお前にとってもだろ」
「ふふ、そうね。彼らは紳士的で一生懸命な可愛い教え子よ」
「ううっ……! みんな、本当によかったね……! 俺、もう涙で前が見えないよ……!」
何故かジェフさんがもう泣いている。私より先に泣くなんて、この人の感受性も大概だなぁ。とはいえ、私も明日こうなってしまうのだと思う。
頑張ってきたことを知っているから。彼らが報われる日を最も待ち望んでいる。これは過言じゃない。七人が揃った日からずっと願っていた未来だ。
「七人は必ず結果を残します。ここまで仕上げてくださったお三方には感謝してもしきれません」
「感謝の言葉なんて要らねぇさ。結果が全てだ」
「拍手喝采を浴びてきなさいな。それが一番の恩返しよ」
「出来れば俺の出番に差し支えないようにね! それでいて全力で最高の結果を出してみせてよ! 信じてるから!」
三人の期待には必ず応える。それは私たち八人の総意だ。絶対に成功を収めてみせる。
明日、世界がアイドルを知る。アイドルの登場で、世界は何色に染まるだろう。期待も、不安も、全部が胸を跳ね回る。人々が“ニジイロノーツ”を知る、その瞬間を待ちきれずにいる自分がいた。