不安なら――
ある夜の繁華街。お酒の香りと浮かれた空気が漂う中、一際熱を持つ人垣があった。その中心にいるのは、我らが切り込み隊長ギル・ミラーさん。ステッキが床を叩く甲高い音が響いた。静まり返る観衆。
「――ギル・ミラーのショーもこれにておしまい。細やかながら、明日の話題にでもなりゃあ幸いです。で、こっからはお報せです! お前ら!」
「皆さん、ゴー!」
ギルさんの呼びかけと、私の合図で一斉に姿を現す私のアイドル。幸福に満ちた空気の中に驚きが混じる。ギルさんが観衆に向き直り、朗々と告げる。
「俺たち七人! 歌って踊るエンターテイナー! その名もアイドル“ニジイロノーツ”です! よかったら覚えてってくださいな!」
ほろ酔い気分をくすぐるような、鮮烈な宣言。盛り上げるには十分過ぎる情報だ。割れるような拍手を一身に受けるみんな。段々堂に入ってきてなにより。最初のぎこちなさが嘘みたいに思える。
彼らがアイドルを知る日はそう遠くない。その実感は日増しに強くなっていく。
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またある日の朝。忙しなく動く人々の心を掴み取る声が、ミカエリアの中心に響く。感情を揺さぶるような表情豊かな弦の音色もまた歌声と溶け合って心地良い。
仕事前の人も多いだろう、子供と共に買い物に行く主婦もいる。その誰もが、二人が奏でる旋律に足を止めていた。
そうしてセッションが終わり――歌声の主、アレン・ケネットくんが肺一杯に空気を吸い込む。
「聞いてくれてありがとうございました! 今日も一日頑張ってくださいね!」
「皆に今日を生きる力を与えられたなら幸いです。さ、おいで」
エルフの奏者、オルフェさんの声に従って五名が姿を現す。微かなどよめきの後、アレンくんが元気よく言い放つ。
「オレたち七人で、歌って踊ります! アイドル“ニジイロノーツ”をよろしくお願いします!」
期待を込めた拍手、背中を押す声援。アレンくんは笑顔で応じる。初めてのセッションで泣いていた彼はもういない。彼らに応えることを第一に、自分の役割を果たそうとしている。
――頼もしくなったなぁ。
センターの自覚なんて、まだ芽生えてもいないだろう。だけど彼には確実に、アイドルとしての意識が芽生えつつある。なんだかんだ、アイドルの在り方について詳しく聞いてきたのはアレンくんだけだったしね。
歌とダンス。両方で人々を楽しませるのは彼の夢からは少し逸れてしまっているかもしれないけど、精一杯やってくれている。この拍手と歓声が、彼らのデビューを確かなものにしていくはずだ。
=====
またある日の夕暮れ。仕事を終えた人々が帰路に着く中、黄色い声援が彼らの注目を集めた。女性の多い人垣の向こう――ミカエリアでは名の知れた貴族アーサー・ランドルフくんと、獣人の少年エリオット・リデルくんが手を取り踊っているからだ。
リードするステップは天真爛漫、フォローから感じられるのは大らかな包容力。対極と言っていい二人だが、エリオットくんの元気で楽しそうな笑顔、アーサーくんの包み込むような優しい表情。ダンスの相性と同等かそれ以上に、二人から感じる対照性は印象的なんだ。
彼らの背後に置いてあった音楽再生用の叡煙機関が停止する。二人は手を繋いだまま、観衆に向けて一礼する。
「ありがとうございましたー!」
「楽しんでいただけたでしょうか。本題はここからです」
「皆さーん、どうぞ!」
エリオットくんの陽気な声に誘われて、五名が顔を見せる。一段と甲高い声が生まれるものの、二人は視線を交えてから宣言した。
「僕たち七人で、歌って踊るエンターテイナー、その名もアイドル“ニジイロノーツ”です」
「皆さんに笑顔と元気をいーっぱい届けます! 応援してくださいね!」
疲れを吹き飛ばせただろうか、七人に最大級の拍手が送られる。エリオットくんは嬉しそうに手を振り、アーサーくんは胸に手を当て慎ましく受け取っていた。
それにしてもエリオットくんの声は本当に影響力が強い。勿論表情や身振り手振りもあるだろう。ただ、彼の声にはその気にさせる力がある。もしかするとアレンくんを脅かすくらいの存在になるのかもしれない。
でもそれはきっと、相当先の話。目の前のことに最高の熱を、想いを。私だけじゃなく、みんなもわかっているはずだ。
あと一歩――あと一歩なんだ。帝国が、世界が彼らを知る日はもう間もなく、目と鼻の先まで迫ってきている。
気が付けば、掌がじっとりと濡れていた。“スイート・トリック”の春暮公演で出番を貰うには、最後の一押しが必要。その鍵になるのが――
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「俺たち次第、か……」
「重責を感じています……」
春暮二十一日。路上パフォーマンスでは着々と成果を見せられている。この二人以外は。
事務所には深刻な空気が漂う。他のメンバーに比べて知名度がある分、半端なものは出せない。それはジェフさんを含めた総意だ。でも、もう時間がないのも事実。
成果を見せられなければ、ジェフさんたちも出演を見合わせる他ない。私だってそう思う。なぜなら――二人には依然、アンチが多い。
役職を放棄したとして、最も批難を浴びているからだ。元々イアンさんは経歴不詳の成り上がり宰相、ネイトさんは愛想がないと言われていた。ミカエリアの住民からの評判は、控えめに言っても良くない。
完璧なものを見せられなければ――その焦りは進捗に停滞をもたらしていた。ジェフさんもこれには苦い表情を見せていた、私も正直不安を感じ始めている。
ここでデビュー出来なかったら? 次のチャンスはいつになる? 絶対に逃したくない。その想いが悪い方向に働いているようにしか思えない。
なにか、なにか打開策はないか――不安が渦巻く胸ではなにも考えられない。一人で考えるべきか? みんなと一緒だと私の内側が悟られてしまうかもしれない。いや、もう悟られてはいるんだろうけど。沈黙は不安を煽る。
だからこそ。そのために私がいるんだ。私じゃなきゃできないことはある。私だからこそ言える言葉がある。彼らは私が選んだアイドルだ。私にしか言えない言葉を、いま。改めて伝えるときなんだ。
「――私、皆さんが大好きです」
みんなの視線が集まる。逃げ出したくなるような不安を腹の底に押し込めて、まずはギルさんを見詰める。
「ギルさんは思った通り……いえ、想像以上でした。観客を湧かせて、盛り上げて。皆さんに対しても発破をかけて、皆さんの最初の一歩を止めないように奮わせるあなたが大好きです」
「ハハッ、どーも。身に余る光栄だよ」
くすぐったそうなギルさん。私の言葉を信じてくれている。だからこうしてちゃんと受け止めてくれるんだ。これからはメンバーだけじゃなく、たくさんの人の背中を押せる人になれるはず。
次はエリオットくん。私と目が合うと、少しだけ目を見開いた。
「エリオットくんは最初にスカウトしたね。不安半分、期待半分だった。だけどもう不安はないよ。きみの元気さ、素直さにいつも笑顔を貰ってる。名前も知らない誰かを笑顔にできるきみが大好きだよ」
「……えへへ、ありがとうございます」
恥ずかしいのか、困ったか。いろんな感情が混ざり合った笑顔を見せるエリオットくん。感情を包み隠すことのない彼は、きっと多くの人に愛される。お姉さんだって放っておかない存在になれる。
続いてネイトさん。彼は微かに表情を崩し、姿勢を正した。
「本当なら声をかけなかったはずのネイトさん。不安でいっぱいでしたけど、皆さんと関わって“ネイトさん”が見えてきました。優しくて、温かくて、でもちょっとだけ不器用で――そんな人間らしいあなたが大好きです」
「……恐れ入ります」
噛み締めるような声音。その声が出るんだ、ネイトさんはもう、探していたものに触れている。後はその輪郭を、実体を掴むだけ。そうすれば真の笑顔も知ることができる。
オルフェさんを見れば、意味深に微笑みを返す。もうこの顔に乱されることもなかった。
「オルフェさんは、いつの間にかどこかに行ってしまいそうだと思っていました。“ニジイロノーツ”はあなたの居場所です。神秘的で掴みどころがなくて、だけどいつも皆さんを見守ってくれていた。そんなあなたが大好きです」
「ありがとう。柄にもなく夢を見てしまうほど安らげる場所になったよ」
まぶたを閉じて、慎ましく礼をするオルフェさん。信念を曲げてまで一緒にいてくれたんだ。仕草を、言葉を、疑う必要はもうない。
続けてアーサーくんを見詰める。彼は表情を固くし、ごくりと固唾を飲んだ。
「初めて会ったとき、こうなるなんて思わなかった。アーサーくんはきみが望んだ通り、きみ自身で居られてると思う。表情豊かで、繊細で、仲間想いで、ちょっと心配性な普通の男の子。貴族としてじゃなくていい、そのままのきみが大好きだよ」
「……礼を言う。今後もそう思わせ続けるさ」
誇らしげで、それでいてくすぐったそうな声。一度は諦めようとした道、その先を見据えていなければこんな言葉は出てこない。私たちと共に行こうとする決意を無駄になんてさせたくない。
アレンくんを見詰める。彼は頷いて、私の言葉を受け止める準備をした。
「初めて会ったときは考えもしなかった。アレンくんの歌を世界中に届けたい、いまは強くそう思う。あのとき声をかけてくれてありがとう。きみがいなかったら、私の夢は始まりすらしなかった。今度は私が、きみの夢を後押しする番。真っ直ぐで力強い、誰より情熱的なきみが大好きだよ」
「オレこそありがとう。リオの夢、応援するから。これからもオレたちをよろしくお願いします」
その顔に、もう迷いや不安は映っていなかった。センターとして、たくましくなっている。みんなの中心で、引っ張っていってくれる。そう信じさせる力があった。
最後に、イアンさん。この中で最も表情が固かった。
「最初は反抗していたイアンさん。いまでは皆さんのことを一番に考えてくれるお父さんのような人です。あなたの背中は誰よりたくましくて、ここが帰る場所なんだと思わせてくれる。段々と見えてきた一面――斜に構えているようで直向きで、一生懸命なあなたが大好きです」
「……おう、ありがとう」
あまり褒められ慣れていないのかな。驚いたような顔をする。あなたはもっと称賛されていいんだ。いまはまだ納得いかなくてもいい。これから必ず変わっていくから。
みんなを一瞥し、深く息を吸い込む。
「“ニジイロノーツ”は最高です! 私が選んだ、私がいいと思った! 私がプロデュースしたいと願った最高のアイドルです! 皆さんなら絶対に乗り越えられる、どんな困難も撥ね退けられる! 不安なら私を信じてください! 皆さんを選んだ私を! 信じてほしいです! よろしくお願いします!」
直角に腰を折って、全力の誠意を見せる。土下座はしない。みんなの前で、みんなに向かって下手に出ちゃ駄目だ。私はみんなと対等でなきゃいけない。
そうじゃなきゃ、みんなだって私を信じられない。みんなと同じ場所に立つなら、みんなに対してだけは卑屈になっちゃ駄目なんだ。
少しの沈黙の後、深いため息が聞こえた。
「顔上げろ」
イアンさんの声は少し困っているようだった。言われた通り体を起こすと、みんなは笑顔で私を見ている。ただ、イアンさんと同じだ。参ったな、とでも言いたげな顔。
「お前にそこまで言わせちまったら、うじうじしてる暇なんざねぇな」
「リオちゃんには敵わねーわ、マジで」
「きみが僕らを見てくれるなら、もう目を背けるわけにもいかないね」
「貴女の信頼に応えられずして、騎士も、アイドルも名乗れません」
「ぼくたちのいいところ、いっぱい見つけてくれてありがとうございます」
「お前が胸を張って誇れるアイドルになろう。それが僕たちの誠意だ」
「リオが描いてた夢より、もっともっとキラキラした夢を見せてあげる。オレたちときみだけの約束だよ」
みんなが応えてくれようとしてくれている。私のことを信じてくれているなら、もうやることは一つ。残された時間は僅か、動くならいまが好機なんだ。
「……皆さんの言葉で、決心がつきました。イアンさん、ネイトさん」
「おう」
「はい」
二人の返事に迷いはない。目を合わせても俯かない。私の目を真っ直ぐに見詰め返してくれる。いまは慎重さを捨てていい。私が足踏みする必要なんて、もうないんだ。
「――お披露目しましょう。あなたたちの価値を証明するなら、明日しかない」
私の夢も、彼らの願いも終わらせない。立ち止まっていたら始まりすらしないんだ。いま動かなければいつ動くというのか。彼らが覚悟を決めたんだ、私だっていまこそ腹を括るとき。
イアンさんもネイトさんも、躊躇はない。私の意志を汲み取ったように、力強く頷いてくれた。