私の故郷
「今日もご苦労様。少し厳しかったかしらね」
稽古を終えて帰路に着く私たちをアメリアさんが見送ってくれている。これには私以外のメンバーも驚いているようだった。ミランダさんはシャイだからしなかっただけ? たとえ私が口裂け女になってもそんなこと言えないと思う。
最初に口を開いたのはアレンくんだった。それでも少し困惑した表情だけど。
「厳しくなんてなかったです。っていうのもおかしいのかな……? すごく勉強になりました、いつもありがとうございます」
「そう。じゃあ次はもっと厳しくてしまおうかしら」
「次は、と言いますが……稽古は三回だけのはずでは?」
アーサーくんの指摘も尤もだ。アメリアさんは最初、稽古は三回だけ。自主練で成果を見せろと言っていた。勿論集中して取り組んでもらうための方法だったのだろうけど、今日で稽古は三回目のはず。なんなら稽古と稽古の間隔は二日間あったはずだ。
それがなぜか、連日での稽古に切り替わっている。気が変わったのかな? だとしたらありがたいことだ。アメリアさんはくすりと意味深な笑みを浮かべる。
「あなたたちとは誠意を持って関わらないと。そう思っただけよ」
「それって……」
「さあさ、お話は終わり。私も稽古があるの、早く帰りなさいな」
――好転してる。いろんなものが。
初めて“スイート・トリック”の稽古場に来たときとは大違いだ。ミランダさんもジェフさんも、私たちを認めつつある。いまこそ好機……と思いたいけど、依然解決しない悩みはイアンさんとネイトさん。
彼らの路上パフォーマンスが成功しなければ、出演の話は貰えないだろう。一日でも舞台に立てれば御の字だけど、彼らの成果が出なければ私の交渉次第になるかもしれない。
そのときはそのとき。売り込みに関しては十年近い下積みがある。絶対に出番を勝ち獲ってやる。決意と野心を心に押し込め、微笑みを返す。
「皆さん、帰りましょう。これ以上お時間取らせるわけにはいきませんし」
「うん、わかった。アメリアさん、今日もありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
いつも先陣を切って礼をするのはアレンくん。この子が一番、歌に対して明確な目的を持っている。拘りだって誰より強いはず。
だからみんな引っ張られるんだ。その結果、どんどん上達していく。加速的にエンターテイナーへの道を進んでいる。焦りを感じる子もいるかもしれないけど、それすら力に変えられる子たちが揃っていると信じさせる。
私の目に狂いはなかったんだと、誇らしい気持ちになれる。彼らには本当に頭が上がらない。
「さ、馬車に乗りましょう」
「最後に、お嬢さん」
「はい?」
「地べたに顔をこすりつけるような真似はよしなさい。ミランダのあんな顔も初めて見たし、かわいい顔をしているんだから大切にしなきゃ駄目よ」
「ママ……!」
「ごめんなさいね、何度も言うようだけれどママじゃないの。それじゃあごきげんよう」
アメリアさんは優雅にお辞儀して去っていく。うーん、あの小柄な体に尋常じゃない母性と柔らかさを感じるな。いったい何歳なんだろう、どうやったらあんな貫禄のある女性になれるのかな。
少なくとも土下座に抵抗がないうちは彼女と同じ舞台には立てそうもない。私は私の生き方を貫くのが吉か。できれば土下座は控えたいと思うけど。
「リオ、乗って!」
「ごめんね、いま行く!」
アレンくんに手を取られ、馬車に乗り込む。シチュエーションだけならすごく女の子が憧れそうなんだけどね、我が身に置き換えるとそういう気持ちにもなれない。アレンくんが同い年ならときめたいのだろうか。それもまた考えにくいけど。
馬車が動き始めると、アーサーくんが咳払いを一つ。
「まあ、なんだ……許しを得られてよかったな」
「本当にそれ……さすがに一晩経てば、よしんば吐き出してもらえても原型なさそうだったからね……」
「だからってドゲザはすんなっつっただろ……示しがつかねぇだろうがよ」
「ハイ、仰る通り……」
アーサーくんとイアンさんの表情が重い、声音はもっと重たい。自分を安売りしちゃいけないね、土下座の価値が下がってしまう。待って、この期に及んでまだ土下座に圧倒的な信頼感を寄せてるの?
仕方ないんだけどね、土下座されたらいい気になる浅ましい人が多かったんだもん。気のせいかな、五十代の男性を相手にしてるとそんな感じがした記憶がある。
「でもミランダさん、許してくれてよかったですね!」
「リオちゃんのアプローチが効いたんだろ。いきなり床に顔面こすりつけたら誰だってああなるだろーけどなぁ……」
「アメリアも言っていた通り、かわいい顔なんだから大切にするんだよ。僕たちのお姫様」
「見てて心配になるから本当にやめてね、約束して……」
「うん、約束するよ……破ったら針千本飲ませてね……」
「ピエロにでもなるつもりなの!? 危ないから絶対飲ませないからね!?」
そっか、嘘吐いたら針千本飲ますってこの世界じゃ通じないんだ。大丈夫、それくらい固い決意で土下座は控えるって意味だよ。
でも、そんなガチで驚かなくてもよくない……? 私、本当にしそうに見える……? 見えちゃうか、そうだよね……私、信用ないな。逆にあるとも言えるけど。
「ともかく、帰ったら映像見て皆さんで練習しましょう。私がいれば皆さんで共有できますので」
「それマジ? リオちゃん、俺以上に手品師じゃん。最早魔法使いだぜ」
「エルフの魔法でもそういったものは聞いたことがない。リオは文字通りの異邦人だったりするのかもしれないね」
「アッ、エットォ……ご想像にお任せシマス……」
オルフェさん、さらっと核心を突くのはお止めなさい。あなたのような勘のいいエルフはいずれ刺されますよ。私のためにももう少し鈍くなってください、あなたの命は奪えない。
などと思っていると、アレンくんが私に凶器を突き付けた。
「そういえばリオの故郷ってどこなの?」
「エッ!? あ、え? 故郷? き、気になる?」
「うん、気になる。だってアイドルなんて聞いたことないからさ。地図にも載ってないところかもしれないけど」
「まあだとしたら伝煙や“スイート・トリック”を知らなくても納得……か? 世界中歩き回ってりゃあ知ってそうなもんだがな」
「だとしてもさすがに“スイート・トリック”知らねーのはビビったわ。どんなルートで旅すりゃ知らずにいられんのか逆に気になるよな」
「思えばリオ様、ご自身のことはあまり多く語っていませんね。知るきっかけがなかったのも事実ではありますが」
「確かに僕たちはリオのことをなにも知らないな……勿論、女性だから安易に触れられないところはあったが……」
やばい。この狭い馬車の中では逃げようがない。いま私には対物ライフルに匹敵する恐ろしさを秘めた関心が集中している。この銃口を逸らす手段はあるか? それともこのまま無残な肉片になるのを待つだけか?
考えろ、考えろ――私はまだ死にたくない……と思うんだけど、冷静に考えて。「ニッポン出身です」って言ったってみんなぽかーんだよね。それにアレンくんが最初に言ってた。地図にも載ってないところかも、って。だったらニッポン出身ですって言ったってそれで通せるじゃん。
私天才、アレンくんにはリオ的ノーベル賞を授与しちゃう。
「日本という小さな島の出身です」
七人分のぽっかーん、頂きました。想像はしてた。このまま行け、ピンと来てないならゴリ押しできる!
知的好奇心が強いのはアーサーくん。顎に手を当て、存在しない日本を必死に記憶から探ろうとしている。
「聞いたことのない名前だ、どこの海域に存在する島なんだ?」
「海域ですか? 日本海とオホーツク海、太平洋に囲まれてます」
「二ホンカイ? オホーツクカイ? タイヘイヨウ?」
こんなに困惑するアーサーくん、なかなか見られない。他のみんなもついてこられないみたいだ。オルフェさんだけが要警戒だけど、このまま突っ走れ! 嘘を吐く必要は一切ない!
「手先の器用な一族です。世界に誇れる技術を持っていますが、私を見てわかるでしょう、シャイな一族なんです。だから知られていないんだと思いますよ」
「シャイな一族……?」
「リオちゃんを見て……?」
ネイトさん、ギルさん。私ってシャイに見えませんか。そうですか。恥ずかしがり屋ならそもそもあんな派手に土下座キメませんよね、そうですよね。これだけは嘘だった。花も恥じらう乙女でいたかったよ。
「ともかく、私は日本出身です。地図にも載ってない場所から来ました。田舎者なのは事実なんですけどね」
「そ、そういうものかぁ……」
「なんだかそんな気がしてきました……」
アレンくんとエリオットくんは素直でいいね、さあみんな、二人に続け! その気になれ! 私は日本出身、秘境からやってきたドルオタだ!
「世界は広いからね。知らないことがあってもなんらおかしくはないさ。ニッポンは確かにある。リオはそこから来た。それでいいんじゃないかな」
オルフェさん、綺麗にまとめてくれてありがとうございます。あなたにもなにかご褒美あげないといけませんね。私は何者のつもりだ、越後屋か。
……っていうか、いま気付いたんだけど。これ、“リオ”の両親と会ったときまずいね……? いまも世界のどこかで生きてるだろうし、願わくば私一人のときに会っておきたいところである。
空気を読んで、合わせてくださいね。パパ、ママ……。