「応援しているから」
「まったくもう……イアンさんの過保護さはもう少し緩和されないものか……」
午後七時、馬車に揺られながら頭を抱えていた。
文化開発庁の門限は午後六時に設定している。というより、イアンさんがそう言った。以来、みんな六時までには帰宅してもらっている。
とはいえ、自由に動けないのも事実。魂がアラサーということもあり、彼の設定した門限は窮屈極まりなかった。実家にいた頃を思い出す。
――お父さんとお母さん、元気にしてるかなぁ。
日本とこの世界にどれだけの時間差があるかはわからない。同じ時間の流れならば、私の死から十年以上経過していることになる。前を向いて生きていてほしいものだけど、大丈夫かな。
霊魂案内所から連絡が来たのは一度だけ。“データベース”のアップデートとアミィを送りつけてきたときだけだ。なんとかこちらからコンタクトが取れないものか。取ったところで、ミチクサさんがあの様子だ。対応にはあまり期待ができなさそう。
馬車の幌から外を覗くと、忙しなく行き交う人々の姿が目に入る。夕飯時も過ぎたというのに、ミカエリア中心部はまだまだ賑わいは衰えない。こういうところは東京を彷彿とさせる。
かくいう私も、まだ休む時間じゃない。だからこうして“スイート・トリック”の稽古場に向かっている。今朝、帰る前にミランダさんにあるお願いをしていた。振り付けの映像を撮っておいてほしいというものだ。
実際に稽古場で教えてもらうだけでは時間が足りない。帰ってからも自主練習が必要だ。そのための映像。とはいえテレビのような映像端末は一般に普及していないようだし、DVDやブルーレイも動揺。小さな画面をみんなで共有するしかない。不便ではあるけど、背に腹は代えられない。
そうして目的地に到着する。御者さんには待機してもらって、警備員さんに会釈する。話は届いているようで、すんなり通してくれた。確かに、こんな光景を見てしまったら恨まれてもおかしくはない。
「よう、来たか」
ミランダさんはロビーの傍にある椅子で待ってくれていた。私の姿を見て、ひらりと手を振る。そんな些細な動きさえ画になるのだから、美形は得だと思ってしまう。
「こんばんは。すみません、お手数をおかけして……」
「気にすんな。稽古だけじゃ時間が足りねぇし、使えるもんは使え」
私の意図は掴んでくれていたようだ。改めて頭を下げる。ミランダさんにはたくさん迷惑をかけたし、それはアメリアさんやジェフさんも同じ。私たちは、たくさんの人に助けられている。
絶対に報いたい。私たちのデビューライブを成功させる、それが最大の恩返しになるはずだから。
「もう帰るか?」
「はい、一刻も早く皆さんにこの映像を見せたいです」
「そうか……帰り道、気を付けろよ」
「うん? はい、ありがとうございます。失礼します」
なにか言いたげなミランダさんだったけど、こっちから探るのも野暮かな。深々と一礼して、馬車へと戻ろうとすると――
「あれ? リオちゃんじゃん、お疲れ! 遊びに来たの?」
「ごきげんよう。今日は一人なのね、強面の王子様はお留守番?」
ジェフさんとアメリアさんが姿を現した。こんな選ばれし者しか踏み入れない場所に軽い気持ちで遊びに来れるものか。友達の家じゃないんですよ。あと、強面の王子様ってイアンさんのことだろうか。本人には内緒にしてあげよう。
「お、お疲れ様です。これから戻るところだったんですけども……」
「そっかー、また遊びにおいで! 飲み物くらいは出すからさ!」
「彼らも連れてらっしゃいな。稽古中に聞けなかったことも答えてあげるわ、発声もダンスもね」
「おい待て、あたしは質問受け付けてるわけじゃ……」
「とか言ってるけどさ、ミランダ心配してたじゃん。あいつら大丈夫かな、あたしの稽古で根を上げないかなって」
「デリカシーなし男は黙ってろ。口にナイフ詰め込むぞ」
「飲み込めるから大丈夫! 一本ずつならね!」
「そりゃよかった。持てるだけ持って押し込むつもりだったからちょうどいいや」
「さてはミランダ、俺を殺す気だね? 一本ずつならって言ったじゃん? なにがちょうどいいの?」
「知らないまま死んだ方が楽だろ」
「教えてから殺してよ! 知らないままだったらこの稽古場の地縛霊になっちゃうじゃん! あ、でもピエロの地縛霊って話題になりそうだしそれはそれで……」
「なしじゃないでしょうか……」
すごく軽快なテンポで殺伐とした会話をしている。流石に口を挟まざるを得なかった。これは信頼関係が生むものなのか、それとも本気で言い合っているのか……ある意味知らないままの方がいいのかもしれない。
「野蛮人と奇人が騒いでいるけれど、放っておいて構わないわ。心配しているのは事実だし。私たちが稽古をつけているんだから、半端なものを見せてほしくないだけよ」
「誰が野蛮人だって? ええ?」
「ピエロに奇人は褒め言葉だよ、貰っちゃっていいの?」
「はいはい、好きに受け取って頂戴。ここまで来たら、最後までやり遂げてみせて。応援しているから」
「……!」
いまの言葉を、みんなに聞かせてあげたかった。私の言葉よりずっと力になってくれるはず。
だけど、彼女たちは敢えて言わないんだろう。デビューライブを拍手喝采で終えて、初めて認めてくれるんだと思う。
私でさえ、なにもできない私でさえ力をもらえるんだ。私だからできることを見つけて、みんなの背中を押してあげたい。そう強く思わされた。
「はい……! 絶対にやり遂げます! 私のアイドルは強いです!」
「ふふ、私たちを脅かす日が来るの、楽しみにしているわ」
「俺たちも全力できみたちを喰いに行っちゃうからね! 負けないように頑張って!」
「期待外れなパフォーマンスはすんなって伝えといてくれ」
「はい! ありがとうございます! 失礼します!」
深く、勢いよく一礼して踵を返した。飛び込むように馬車に乗る。御者の人が驚いていたみたいだけど、一刻も早く帰りたかった。
みんなのためになにができるか。私だからできることはなんなのか。本気で考えるきっかけをもらえた。
もう、なにもできないなんて思うのはやめる。私のアイドルを認めてほしい、褒めてほしい。そんなことを本気で考えてしまう。
だけど、そんな俗っぽい考えが、いまの私には必要だったのかもしれない。みんなは私に応えようとしてくれている。その想いに甘んじていてはいけない。
私だって、みんなに応えたい。私に人生を預けてくれたみんなに報いたい。心の底から、強く、そう思えた。