★友達になれた日
突然頬を叩かれて、倒れてしまった。アレンさんがすぐに駆け寄ってくれたけど、ぼくよりアーサーさんが心配だった。アーサーさん、ドイルさんに掴みかかってる。殴っちゃいそうな距離感に、全身が震えた。
「ア、アーサーさん! ぼくっ、ぼくは大丈夫です!」
「アーサー! 落ち着け、離れろ!」
アレンさんが止めに入ったけど、聞く耳を持たない。無言でドイルさんを睨み付けていた。横顔は、すごく怖い。アーサーさんが怒ってるの、初めて見た気がする。
ドイルさんは一瞬驚いたみたいだ。だけどすぐに鼻を鳴らした。態度も、喋り方も偉そうで、嫌いな人だ。
「な、殴るか!? 僕を!? へえ! 品行方正を地で行くランドルフ卿が! 人を殴るのか!」
「馬鹿、あんたも煽るようなこと言うな!」
「馬鹿!? 僕に馬鹿だと言ったのか!? 庶民の分際で! 生意気だ、無礼者! 格の違いを教えてっ、痛いっ!?」
ドイルさんが痛みを訴える。アーサーさんが肩を掴む力、すごく強いみたいだ。さすがにこれ以上はまずいと思ったんだろう、アレンさんがアーサーさんを無理矢理引き剥がした。
「っ! 離せアレン!」
「絶対お断りだ! 離したらどうなるかわかったもんじゃない!」
「どうなるか!? そんなもの決まってる、仕返しだ!」
「だからそれがまずいんだって大馬鹿野郎! いいから落ち着け、エリオットは大丈夫だから! な! エリオット!?」
「えっ!? は、はい! ぼくは大丈夫ですよ! だからアーサーさん、落ち着いてください!」
「っ……!」
ぼくの言葉が少しでも届いたのか、アーサーさんは抵抗を止めた。アレンさんも安心したように深い息を吐く。ドイルさんはというと、大きな声を出して悪口を言い始めた。
「アッ、アーサー! お前のしたことは父上に報告させてもらうからな! 品性の欠片もない! ケダモノと庶民に関わったのがいけないんだ! 貴族の誇りを捨てて慣れ合うなど! あってはならないことだぞ!」
「アーサー、落ち着け。お前は間違ってない、大丈夫だぞ」
「庶民にお前呼ばわりされる貴族など貴族として認めるわけにはいかない! ランドルフ家を追い込んでやる! 二度と貴族を名乗れないように……」
「――貴族だからなんだというんだ!」
アーサーさんの、聞いたことのない声。子供が駄々を捏ねるときみたいな、すごく大きな声だった。
アレンさんも、ドイルさんも、周りで騒いでた人たちも。みんな黙る。ぼくも言葉が出てこなかった。荒く呼吸を繰り返すアーサーさんは、ぐっと唇を結んで、絞り出すように続けた。
「貴族だから民と親しくしてはならないのか……!? 貴族だから、貴族としか話してはいけないのか!? 貴族だから! 友人を選ばなければいけないのか!?」
訴えかけるような声は、震えていた。ぼくの知ってる格好いいアーサーさんじゃない。感情的で、直接的な言葉。乱暴ささえ感じる声。
だけど――嫌いになんて、なれなかった。がっかりなんてしなかった。
ドイルさんはアーサーさんの迫力に負けてるみたいだ。なにも言えず、一歩、また一歩と後ろに下がっていく。それでも意地があるんだろう、威嚇するような声と共にアーサーさんを指差した。
「だ、だがっ! 貴族ともあろう者が亜人と庶民を友と呼ぶなど! 相応しくないだろう! こいつらには貴族と関わる資格などないはず! 下賤な輩との関わりなど切り捨てて然るべきだ!」
「黙れっ! 友人であることに資格など要らない! 出会いに貴賤などあるものか!」
――ああ。いま、やっとわかった。
アーサーさんのこと、わかったつもりだった。ぼくのこともわかってるつもりだった。だけど実際、心の底では踏み込めずにいた。リオさんはそれに気付いてたんだ。
えらい人は怖い人。ぼくのお父さんはそういう人だった。この考え方はきっと、もうしばらく消えない。だけど、今日から少しずつ消えていく。アーサーさんみたいな人もいるってわかったから。
やっと――本当の友達になれるって、わかったから。
ドイルさんはもうなにも言えない。口をぱくぱく動かすだけで、声が出てない。呼吸を乱すアーサーさんは、最後の力を振り絞って叫ぶ。
「失せろっ! 二度と僕の前に姿を見せるなっ!」
「っ……! 後悔しろ!」
ドイルさんは慌てて馬車に乗り込み、逃げるように走らせた。それから同じ形の馬車が次々に散っていく。残ったのは、ぼくたちと、見守ってくれていた人たちだけ。
静まり返った空気。それを裂いたのは、女の人の拍手だった。
「アーサー様、格好良かったです!」
「は……は? あ、え……?」
戸惑うアーサーさんのことなんて置き去りにするみたいに、拍手が続いた。アーサーさんを褒める言葉と一緒に。ぽかーん、って。理解できてないみたい。
「ほら、しゃんとしろよ」
「痛っ……!?」
アレンさんがアーサーさんの頬を引っ張った。やっぱり理解が追いついてないみたいで、アレンさんは呆れたような顔を見せている。
「お前が正しいんだよ。みんなはわかってる。これでわからないなら本物の大馬鹿野郎だぞ」
「……! お前はいつも僕を馬鹿だ馬鹿だと言う……!」
少し怒ったような声のアーサーさん。だけどすぐ、苦笑いを浮かべた。苦笑いなのに、どこかすっきりした表情だった。
「だが……馬鹿者なんだろうな、僕は」
「やっとわかったか。大馬鹿野郎が馬鹿野郎になったな、やったじゃん」
「あ、あんまり馬鹿って言っちゃ駄目ですよ……!」
この二人だからこういう言葉を選ぶんだろうけど、やっぱり馬鹿って言うのはよくないと思う。アレンさんとアーサーさんは目を合わせて、同時に笑った。ぼく、置いてけぼりだ。
騒ぎを聞きつけたのか、騎士様が現れた。たぶん、お話をするんだろう。ぼく、よくこういう目に遭うなぁ……運が悪いのかな?
騎士様が状況の整理を始めて、ぼくたちは一旦待つことになった。慌ただしく動く騎士様の様子を見ながら、アーサーさんが口を開く。
「……ありがとう。お前たちと友人になれたことを誇りに思う」
「あははっ! オレたちに感謝しろよな!」
豪快に笑ってアーサーさんの背中を叩くアレンさん。嫌がってるようには見えない。この二人は、こういう友達なんだ。それがすごく伝わってくる。
じゃあ、僕とアーサーさんはどんな友達になれるだろう? 確かめる方法は、きっとこれ。すくっと立ち上がって、アーサーさんに手を差し出す。
「アーサーさん、踊りましょう!」
「は……? い、いま? ここでか!?」
「いまのぼくたちなら大丈夫です! さ、手を取ってください!」
「あははっ! いいじゃん! 格好良いところ見せてくれよ、アーサー様?」
アレンさんは意地の悪い顔をする。逃げ道なんて残されてない、って。わかったんだろうな。大きなため息を吐いて、ぼくの手を握ってくれる。
「……お前は楽しんで踊ればいい。それだけだ」
「えへへ、はいっ! 二人でいっぱい楽しみましょう!」
「手拍子くらいはするからさ、二人で楽しんできな!」
「はーい! 楽しみます! さ、始めましょう!」
「ああ、始めよう」
覚悟してくれたか、アーサーさんの声は少しだけ力強い。この手が繋がっていれば、絶対大丈夫。ぼくも、アーサーさんも、今日から始まるんだ。友達としての毎日が。
手を繋いで、路傍にスペースを取る。アレンさんの手拍子と共に、ぼくたちは踊り始めた。振り付けのない、思い付きのステップ。アーサーさんは戸惑いながらも合わせてくれる。
踊り終わる頃には、たくさんの人がぼくたちを見ていてくれた。拍手と声援、そして笑顔。全部がぼくたちの力になる。
絶対ステージに立つんだ、みんなで。一緒に。
「ありがとうございましたーっ!」
「あ、ありがとうございました!」
「歌って踊るエンターテイナー! “ニジイロノーツ”をよろしくお願いします!」
目の前から押し寄せてくる、これからに繋がる力。八人で分け合いたい。大切な友達で、二つ目の家族。この先もずっと、幸せをみんなと感じてたい。そんなことを願ったっていいんだ、ぼくでも。
「――ありがとうございます」
アーサーさんからはいつも、不思議なお礼を貰ってる。だからそのお返し。彼は目をぱちぱちさせてる。きちんと届いてなかったみたいだけど、ぼくもそんな感じだったし、説明はしない。
真っ直ぐに笑顔をぶつけて終わり。それからは三人でお城まで競走した。そんな些細なことが楽しくて、嬉しい。
ぼくは幸せ者だって、初めて思えた。