★我を忘れて
アレンとエリオットを連れて運動場へ向かう僕。こうして同年代の者と街を歩くなど、少し前なら考えられなかった。嬉しい反面、貴族としては如何なものかと不安もある。願わくば父上に見つからないことを祈るばかりだ。
「アーサーさん、運動場ってどれくらい広いんですか?」
「ああ、僕も数えるほどしか顔を見せていないが……城の敷地面積の半分より少し狭いくらいだろうか」
「しきちめんせき……?」
「簡単に言うと、土地の広さだよ。エリオットはまだ難しい言葉わかんないんだから、もう少し気を遣えよな」
「す、すまない。配慮が足りなかった」
「謝らないでください、勉強になったので!」
満面の笑みの裏側は見えない。だが、それでいいのだろう。友人として在るならば、見えるものだけ見ていればいい。アレンに対してもそれが出来ればいいのだが……。
ちらりと見れば、虫の居所が悪そうな顔をする。こいつとは本当に和解出来たのだろうか……? いまだに自信がない。
「なんだよ、顔色窺うような目だな」
「気のせいだ」
「お前、いろいろ考え過ぎだぞ。エリオットとはもう親しいのに、オレに壁を作るなよ」
「それも気のせいだ。壁など作っていない」
実際、気のせい……とは、正直言い難い。アレンに対して気後れしているのは事実だ。もう母上とも話して、嫌がらせの件については決着が着いたはずなのに、いまだに僕はアレンたちに申し訳なく思っている。
こんな僕が、こいつと一緒に歌っていいのか。貴族の務めはどうした。父上のいない環境では誰も僕に鞭を打たない。だから生まれたのだ、僕に厳しい僕が。
「喧嘩は止めましょう? 楽しく運動できるように!」
エリオットが間に入って笑顔を撒く。こういうところに助けられているし、礼を言いたい気持ちはある。ただ、アレンが傍にいる以上それも控えるべきだろう。いつ突っかかられるかわかったものではない。
アレンもアレンで、エリオットには強く当たれない。仕方ない、とでも言いたげに視線を逸らした。
「ごめんな、エリオット」
「すまない、気を揉ませたな」
「ぼくは大丈夫です! ぼくたち友達ですし、笑顔でいましょう! ね!」
年下に気遣わせるなんて情けない。アレンもそれは感じたようで、意図せず目が合う。謝ろうとしても上手く切り出せず、しびれを切らしてかアレンがため息を吐いた。苦笑を浮かべながら。
「格好悪いな、オレたち」
「……ははっ、違いない」
「二人とも、格好いいですよ?」
きょとんと目を丸くするエリオット。素直に言ってくれていると思うのだが、いまは少し胸が痛い。再びアレンと視線を交わして、笑う。
「オレたち、格好いい人でいられるように頑張るよ。ありがとう」
「誠心誠意努める。ありがとう、エリオット」
「うーん? どういたしまして!」
こいつはいったいいつ礼を言えば素直に受け取るんだ? 僕が有難いと感じたときはいつも不思議そうにしている。理由はきっと単純なものだ。恐らくエリオットにとって、礼を言われる筋合いがないのだろう。
エリオットはただ、笑顔を大切にしたいだけだ。しかめっ面で張り詰めた空気より、砕けた表情で穏やかな空気を好むだけ。そのための言動が、結果的に僕たちを救っている。リオがエリオットを迎えた理由もわかる。こいつは生来のアイドルだ。
――敵わないな、こいつには。
悔しいのに笑みが零れる。感情と表情が一致しないのに違和感もない。不思議な感覚だ。真ん中に立つアレンとは異なる性質ながら、人々に与える影響力は引けを取らないように思える。
「これはこれは、ランドルフ卿ではありませんか」
その声がどこから聞こえてきたのか、一瞬わからなかった。僕たちの隣に停まった、幌付きの大きな馬車。そこから顔を覗かせたのは、僕たちとそう変わらない年齢の青年。
口の端に嘲りを映すその顔には見覚えがあった。社交界で何度か話したことがある。
「ドイル卿……?」
「ああ、僕のような者の名も覚えておられるとは! さすがランドルフ伯爵のご子息です!」
言葉こそ感動を表しているが、声音はむしろ真逆。表情と一致した、嘲笑うようなもの。大きな声に目立つ馬車、人目を引くには十分すぎた。アレンが耳打ちで尋ねてくる。
「誰だ、あいつ?」
「……キース・ドイル。シテンとその郊外を治める、ドイル男爵のご子息だ」
「ふーん……」
アレンやエリオットは知らないだろう。シテンは鉄道を使ってすぐの場所ではあるが、それほど大きな都市ではない。シテンに住むならミカエリアを選ぶという者が大半だ。
ドイル男爵はそこの領主であるが、あまり良い噂を聞かない。ミカエリアを任されなかった腹いせか、横暴な振る舞いで民を困らせているという。
無論、ご子息であるキース・ドイルもその血が通っている。
父親が領主であるのを良いことに、シテンでは暴虐の限りを尽くしていたという。直接訴えかけてくる者はドイル男爵の権力で捻じ伏せ、職さえ奪ったと聞いたことがある。そんな噂がミカエリアまで流れてくるのだ、僕の想像を絶する酷さなのだろう。
ドイル卿は馬車から降りるやいなや、顎を突き出して僕らを――正確には僕を見下ろした。
「帝国では絶大な信頼を誇るランドルフ伯爵! シテンにもお話は届いておりますよ!」
「話……?」
「ええ! 自慢の息子が見世物に成り下がったと! 将来を嘱望されたランドルフ卿が庶民と手を取り合い醜態を晒すと! 貴族の間では取り沙汰にされているようではありませんか!」
――そういうことか。わざわざシテンから足を運んだのは、僕への当てつけだな?
ドイル男爵は昔からランドルフ家を目の敵にしていた。原因はわからなかったが、恐らく寡黙な父上と正しく貴族で在った僕だ。品行方正で清く在るよう努めた僕たちの姿勢が気に食わなかったのだろう。
嫌がらせを受けた時期もあったが、父上を失望させないよう軽く流す程度に留めていたし、周りが「ランドルフ家に喧嘩を売るな」と諫める場面もあった。
だがいまはどうだ? 彼の口振りや不自然に停まった馬車の数を見るに、貴族の間で僕は「奉仕の精神を忘れ見世物に成り下がった放蕩息子」なのだ。攻め入るならばいまだと判断したのだと思う。
――どう対応するのが正解だ?
心象の悪い対応はまずい。アイドルとして活動していく上で大きな弊害となる。なにより、リオに迷惑がかかってしまう。彼女のアイドルに懸ける熱は本物だ。出来るだけストレスになるようなことは避けたい。
「アーサーさんのお友達ですか?」
無邪気なエリオットはドイル卿の元へ駆け寄っていく。いまこいつを自由にさせてはまずいのでは……?
僕が制するより早く、ドイル卿は「ははあ!」と大袈裟な声を上げた。
「お友達!? 馬鹿なことを! 見世物のアーサー・ランドルフなど眼中にない! このような愚か者と僕を同列にしないでくれたまえ、下賤な亜人め!」
「げせんな……?」
「エリオット、下がれ」
肩を掴んで引っ張ろうとするが、エリオットは微動だにしない。こいつ、体は小さいのにどこにこんな力があるんだ……!?
これにはアレンも危機感を抱いたようで、腕を掴む。それでもエリオットは動かない。真っ直ぐにドイル卿を見据えたままだ。その視線さえ、いまの彼には十分な火種になる。
「ふん、教養のないガキだ。ランドルフ卿、まさかこのケダモノが貴殿の友人であると?」
「ぼくとアーサーさんは友達です。人間の、友達ですよ。お兄さんは違うんですか?」
「エリオット……!」
「お前如きに話しかけていない! 消えろ!」
「うっ!?」
ドイル卿が払った手が、エリオットの頬を打った。女性の短い悲鳴が聞こえ、受け身も取れずに倒れる僕の友人。その瞬間、頭が真っ白になった。アレンの声が遠くなる。
僕は自然と――ドイル卿の肩に指を食い込ませていた。