彼は裏切らない
「あれ? もう皆さん揃ってる……おはようございます」
翌日、春暮十日。事務所に顔を出すと、私のアイドルたちはもう準備が整っているようだった。これから発声練習でもするのかな? 最初に気付いてくれたアレンくんが微笑んでくれる。かわいい。
「おはよう。昨日話して、朝から発声練習することにしたんだ」
「そっか。みんなで頑張ってきてね」
「リオはどうする? 見学……っていうか、見てる?」
少しだけ機嫌を窺うような声。まだ昨日の印象が抜けていないみたい。少し悲しくもあり、イアンさんに対する怒りが蘇る。彼を見やれば、視線を明後日の方へ放り投げた。無責任な男は好感持てませんよ。
「ううん、私は私でちょっと調べもの。もう無茶な稽古はしないって信じてるから」
安心してほしくて言ったんだよ、信じてるって。どうしてみんな肩を跳ねさせるの? また無茶する気だったのかな。それとも私の言葉に圧を感じた? このままじゃパワハラにもなり兼ねない。なんとかしなきゃ、この空気。
「えーっと……その、大丈夫、なんだよね?」
「だ、大丈夫だよ。昨日はびっくりしたけど、今日はちゃんと時間決めてやるから」
「それならよかった。皆さん、頑張ってくださいね」
上手く不安を和らげることは出来ただろうか。まだ半信半疑のようだが、もう私を怒らせるようなことはしないだろう。誰の本意でもないはずだし。
ならば、やることは一つ。みんなを信じて送り出すだけ。私に出来ることなんて、それだけだ。
「行ってらっしゃい」
「……! 行ってきます!」
アレンくんの表情が晴れる。みんなもそれに続いて中庭へ向かった。他でもない、アレンくんだからこその影響力なのかもしれない。みんなを引っ張っていく力、それはきっと彼が生来持ち合わせたものだろう。
――ちゃんとセンターとして育ってるんだなぁ。
つい目頭が熱くなる。心はアラサーのままだから、若い子が頑張ってる姿が本当に眩しくて、小さな一歩にすら感動を覚えてしまう。目線が親のそれに近づいている。独身だったのに。
「……みんなが頑張ってるんだ。私も頑張ろう」
今日の調べものは“スイート・トリック”のこと。というより、ジェフさん、ミランダさん、アメリアさんの三人だ。あの三人は特に繋がりの強い団員、という印象がある。
恐らくは“スイート・トリック”創立時のメンバーなのだと思う。そして、ジェフさんはグラス皇国の出身だと言っていた。なんらかの事情で帝国に移り、世界に誇る旅芸人一座として名を挙げたと考えるのが妥当だろう。
「……スタートアップ、“ジェフ ミランダ アメリア”」
ひとまずは三人の名前を並べて調べてみる。一番上に現れるのは“スイート・トリック”のパンフレット。きちんと顔写真も映っている。特に目新しい情報はない。
と、思ったが、妙な見出しが目に入った。グラス皇国で記されたゴシップ記事のようなものだった。
「……『国民はエンターテインメントに惑わされている。レッドフォード帝国で活躍中の“スイート・トリック”はその目論見に気付き、見切りをつけた素晴らしいエンターテイナーである。主要な団員であるジェフ・キッドマン、ミランダ・キャピュレット、アメリア・テイラーに取材を迫るも応じず、なにかしらの圧力がかかっていると予想される』……なにこれ?」
ゴシップ誌のようなものだろうか。調べた限り、グラスは芸能大国という印象がある。この手の雑誌も一定の需要があるのかもしれない。かくいう私も嫌いではない。
それにしても、エンターテインメント……言ってしまえば、芸能人で国民を惑わす? どういうことだろう。帝国は芸能人の影響力がそれほど強くない。力の強い者には逆らえない、いわば弱肉強食の国だからだ。
それに、この国のエンターテイナーは“スイート・トリック”。その印象は根強いものだし、塗り替えられることもそうないだろう。彼ら以上に鮮烈なエンターテイナーが現れる可能性は限りなく低いと思われているはずだ。
――だからこそ、私のアイドルは注目を集められる。
勿論、彼らの成長次第。だけど彼らが花開けば、間違いなく“スイート・トリック”を脅かす存在になれる。アイドルというエンターテイナーが未知の存在である以上、興味関心は間違いなく集まる。
あとは、みんなが期待を裏切らずにやり切るだけだ。少しだけ中庭に様子を見に行ってみようか。その前に“ニジイロノーツ”の話題でも検索しておこう。
「……あれ、あー……そっか、そうだよね……」
どうやら“スイート・トリック”の稽古場に出入りしているところを見られていたらしい。どうして一般人があそこに入れるのか。ずるい、羨ましい。コネだ。元宰相の職権乱用だ、等々……。
どうにも怒りの矛先はイアンさんに向いているように思える。まあ経歴不明の宰相だったわけだし、不信感も大きかっただろう。それは本人だって自覚しているはず。
だけどイアンさんに関してだけは、あまり心配していなかった。誰よりも頑張ってくれるはずだから。
“私”のためにも、自分のためにも。彼は決して“私”を裏切らない。ずる賢い考え方だとは思う。けれど“私”は、イアンさんをそこまで動かせるだけのなにかを為したはずだ。
「……信じてますよ、イアンさん」
勿論イアンさんだけじゃない。みんななら必ず成し遂げてくれる。残された時間は少ないけれど、その中でちゃんと実らせてくれる。
――だから思う。私に出来ることって、なんなんだろう。
答えはきっと、いまは出ない。このままでいいのかな、私。