「任せとけ」の違和感
「ただいまー、たくさん買ってきたよ!」
元気がいいアレンくんの声。両手で抱えるほど食材が詰められた袋を見て、たまたま事務所にいたエリオットくんが飛び跳ねた。
「おかえりなさーい! たくさん買ってきてくれたんですね!」
「ああ、ついていって正解だったな……リオとアレンでは抱え切れなかっただろうし」
「手伝ってくれてありがとう、アーサーくん。ちょっと冷や冷やしたけどね……」
「冷や冷やするようなことがあったのか? 手際が悪かっただろうか?」
この子、自分が貴族であることをお忘れか? ミカエリアでも人望のあるランドルフ家のご子息ですよ、あなた。そんな方に荷物持ちをさせる私イズ何様? って話なんですけど。
ご理解いただけていないようで、アーサーくんはぽかんと私を見詰めるばかり。貴族として扱われたくない気持ちは汲むけど、表を歩くときは弁えてほしい。ケネット商店と“ニジイロノーツ”が爆散するかもしれなかったんだから。
「お、帰って来てんじゃん。飯の支度する感じ?」
気配に敏感な男、ギル・ミラー。鼻が利くとも言えるのかな。アレンくんが苦笑した。
「おかえり、くらい言えよな。これからご飯作ってくるからもう少し待ってて」
「お城の厨房って借りれるのかな……? この塔には厨房ってなかったよね?」
いくら文化開発庁が帝国の行政機関とはいえ、城の設備を勝手に使っていいかは別問題だろう。なにか手続きとか要るのかな? イアンさんなら口利きしてくれるかもしれない。
「私、ちょっとイアンさんの部屋に行ってきますね」
「わかった。食材、冷蔵庫に入れておくね」
「入り切るだろうか、この量……」
アーサーくんの声は重い。確かにね、うちの冷蔵庫、ちょっと小さ目。これもそのうち買い替えないとね。そのためにはデビューライブを成功させなきゃいけないんだけど……。
食材のことはアレンくんに任せ、イアンさんの部屋に向かう。オルフェさんとネイトさんは部屋にいるのかな? ご飯の用意が出来たら声をかけないと。
「イアンさーん、ただいま戻りました。……イアンさん?」
ノックをしても返事がない。部屋にはいないのかな? ドアノブを掴んでみるが――鍵が開いている。なんで? こっそり部屋を覗くと、なにかが山のように積まれている。なんだ、あれ?
「イアンさーん……入りますよ? うわっ!? なにこれ本だらけ!?」
「あ? ああリオか、どうした?」
「どうしたはこっちの台詞ですが!? なんですかこの本の山!?」
「芝居の教科書。素人なりにやれることやっとこうと思ってよ」
勤勉な人だな、見かけによらず。
いや、でもそれくらいの気概で臨んでもらわないと困る。純粋にありがたい話だと思っておこう。それにしてもこの量はやり過ぎだとは思うけど。
「で、なんか用か?」
「あ、そうでした。食材を買ってきたので厨房をお借りしてもいいものかと……」
「なるほどな。そりゃ俺がいないと交渉の余地もねぇか。わかった、出る」
話が早くて助かるけど、これらを読み耽って体調管理を疎かにされても困る。門限定められてるわけだし、消灯時間も定めた方がいいのかな……寮生活してるみたい。いや、実質寮みたいなものなんだけど。
イアンさんの準備が整い次第、厨房に向かうことになる、けど……私たちに使わせるか? なにをするかわからないだろうし、イアンさんがいるとはいえ私たちの活動はいまだ不明瞭なままだ。易々と許可は貰えないと思うけどなぁ。
「おし、行くか」
「はい。……ん?」
事務所の方からアレンくんが走ってくる。なんだろう、食材が入り切らなかったのかな?
「リオ! ジェフさんから連絡来てる!」
「ジェフさんから? お芝居の話かな? まずそっちに行きましょうか」
事務所に戻ると、なんとなく煙たい。まさか煙草……? と思ったけど、伝煙か。よかった。この場に未成年しかいないもんね。
わあ、すごい。煙管の先から声が聞こえる。すごく賑やかな声。間違いなくジェフさんだ。
「お世話になっております、リオです」
『リオちゃん! あーよかった、ようやく話せた! 芝居の稽古どうする!? 打ち合わせ必要でしょー!?』
「はい、その話もしないといけませんでしたね……すみません、こちらから連絡せず」
『ちょっと寂しかったよね! まあ連絡ついたからいいんだけどさ! ……よし、言いたいこと言い終わった! 朝は稽古あるし、夕方からでいいかな? 十七時には終わるからさ!』
相変わらず元気な人だ。これ、二十四時間なのかな? 燃費がいいとも取れるけど、ミランダさんとかアメリアさんは疲れそう。いや、彼女たちはある意味流し慣れているのかな……?
「ネイトさんとイアンさん次第、ですね。問題なさそうですか?」
「話をつけりゃあネイトも訓練切り上げるだろ。俺は元々問題ねぇよ」
『わかった! じゃあ明日にでも来てくれる? 時間もないしね!』
「かしこまりました、十七時以降に伺わせていただきます」
『はいよ! 待ってるね! 来る前に一回連絡寄越してくれるとありがたいかな! それじゃあよろしく!』
煙管から昇っていた煙が消える。通信が切れた、ということだろう。うーん、電話だ。しかも持ち歩けるし、携帯電話だ。便利な代物だな、電波障害とかもなさそうだし。
でも外だと使いづらそう。時世も時世だし……いや、この世界はどうなんだろう? 喫煙者の風当りって?
「……ということになりましたね」
「ま、ちょうどいいだろ。間に合わないよりマシだ」
「オレたちのデビューが懸かってますから。お芝居の稽古、頑張ってください」
アレンくんの声は真剣そのもの。この子が見ているのはずっと先なんだ。夢が叶う、最高の瞬間。そのための“いま”だって、アレンくんは知ってるんだと思う。わかった、の方が正しいのかもしれない。
彼の気迫に圧されたか、イアンさんは一瞬言葉を詰まらせた。だけどすぐに笑う。不敵に、物騒に。そうしてアレンくんの頭を撫でる。
「ああ、任せとけ」
「……! 信じてます、お願いします」
――なんか、変わった?
イアンさんの声はいつも通り。だと、思う。思うけど、少し違う。どこに違和感を覚えたのか、言葉には出来ないけど、なにかが違った。
アレンくんは彼の変化に気付いただろうか。私でさえ、なんとなく違う、くらいにしか認識出来ない程度のもの。だけど、どうしてかな。とても大きな変化に思える。
前向きな空気を裂くように、ギルさんの口笛が響いた。
「男前っすね」
「そうだろ。やるって決めたらやるんだよ、見とけ」
「信頼してますよ、旦那」
相変わらず軽口だなぁ。だけど、不穏な空気にならなかったのは正直意外。この二人もなにかあったのかな? イアンさんの変化はギルさんによるもの?
わからない。けど、わからなくていいのかもしれない。前向きに変わっている、それだけは確かだから。
「さ、イアンさん。厨房の件、伺いに行きましょっか」
「おう。それじゃあ俺らは少し出てくる」
「はいっ! いってらっしゃーい!」
エリオットくんの見送り、めちゃめちゃ癒される。超かわいい。一家に一人欲しい。こんな子に送り迎えされたら毎日出勤でもやっていけそう。
生前、エリオットくんみたいな子と暮らしてたらもう少し戦えたのかなぁ……いや、たぶん弊社辞めてたな。それはそれで健全だと思うけどね。