★歌うために
「中庭? 好きに使えよ」
オレの気遣いや心配を軽くあしらうイアンさん。思ったよりあっさり許可してくれて面食らってしまう。
「ええ……そんな軽く言っちゃっていいんですか……?」
「文化開発庁の長官だぞ、俺は。帝国の機関の一部、そのトップだ。あいつ……陛下だって突っ撥ねやしねぇさ」
この人、いま陛下のこと「あいつ」って言った……?
イアンさんとカイン陛下は不思議な仲だと思っていた。陛下が即位したとき、出自のわからないイアンさんが宰相になった。国民は不安に思っただろうけど、二人は昔の知り合いとかなのかな?
いや、だからって一国の主を「あいつ」呼ばわりってどうなんだろう。不敬罪? とかで処刑されないのが不思議だ。陰で呼んでるのかな? いや、でも馬車を手配してくれたときも突っかかってたし……本当に、どういう関係なんだ?
「ま、不安ならネイトを連れて行け。なにか言われても騎士の監視下だからで済む」
「わ、わかりました……それじゃあネイトさん、一緒に来てもらえますか?」
「は……私もご一緒してよろしいのですか?」
「はい、勿論。っていうか、嫌じゃないって言ったじゃないですか」
ネイトさん、意外と気にしちゃう人なんだ。表情が変わらないから感情がないのかなぁって思ってたけど、なんてことはない普通の人間だ。きっと不器用なだけなんだと思う。
オレの言葉にようやく耳を貸してくれたのか、ネイトさんは少しだけ――本当に少しだけ笑ってくれた、気がした。表情がこんなに動かない人には出会ったことがないから、ちょっと驚いてしまう。
「お気遣いありがとうございます。騎士として、あるいはアイドルとしてアレン様に付き添わせていただきます」
「大袈裟だなぁ。じゃあ行きましょうか、イアンさんはどうしますか?」
「俺は別の仕事があるから遠慮しとく。明日頼むわ」
なんだかんだ忙しいんだ。最年長でもあるし、なにより文化開発庁の長官。国の機関、その運営を任されている以上、オレとは比べ物にならない仕事量のはず。一人で抱え込み過ぎないようにしてほしいな。
「では参りましょうか。お供いたします」
「あはは、よろしくお願いします」
ひとまずはネイトさんと中庭に出る。すれ違う侍女さんたちは律儀に頭を下げてくれるけど、オレは庶民なんだからそんなに畏まられると困ってしまう。なんて、言えるはずもないんだけど。
「っと……いま何時だっけ」
「午前十時を過ぎた頃ですね。どのくらい取り組むおつもりでしょうか?」
「うーん……とりあえずお昼までやります。オレ、教えるのは初めてですけど、よろしくお願いしますね」
「ええ、こちらこそ」
それからオレたちはアメリアさんに習ったことの復習に取りかかった。まずはリラックス。ストレッチだったり、深呼吸だったり。
体の緊張を解いてから発声へ。息を吐きながら、そこに音を乗せる。これが身につけば喉の負担が減る。長く歌える発声が身につく。
ーー“あの子”もそう言ってたっけ。
オレとそう変わらない年頃だったのに、歌についての知識や感覚は年齢不相応に備わっていた。まるで、歌うために生まれてきたような。そんな子だった。
「アレン様」
「えっ? は、はい」
「考え事ですか?」
見抜かれてた。そんなにわかりやすかったかな。悩んでるわけじゃない、と思うけど……。
「……ちょっと、戸惑ってて」
「何故です?」
「一度は諦めようとした夢なのに、みっともなくすがってたら、手が届きそうだからです。リオと出会ってからそんなことばっかりで。いいのかな、なんて思っちゃって」
罪悪感とも違う。戸惑ってるんだ。人前で歌うことはない、両親に楽させてあげたい。そんな想いで何年も過ごしてきて、いまこれだ。
報われるようなことはなにもしていないのに、どうしてこんなことになってるんだろう? 嬉しいのに、素直に喜べない。つい笑ってしまう。
「ごめんなさい、集中し直さないと」
「私からしてみれば、必然であるかと思いますが」
毅然と告げるネイトさん。その声音にも、真っ直ぐ過ぎる眼差しにも、返す言葉が見当たらなかった。
必然、って? オレにとって都合のいいことが? どうして?
顔に疑問が映っていたか、ネイトさんが続けた。
「貴方はずっと歌い続けてきた。夢を心の奥に押し込めながら、数え切れない月日を歌と共に過ごしてきたのでしょう? だから拘りの強いリオ様を突き動かした。真ん中で歌ってほしいと求められた。知らずのうちに育った一途な想いが、いま。貴方の人生を変えようとしているのではないかと思います」
ネイトさんの言葉は今一つピンと来ない。オレが夢を諦め切れなかったのが、結果的に良い方向に向かわせてる、ってこと?
両親より自分を優先した、ただわがままを通しただけなのに。それでどうしてオレが報われるんだろう。納得は出来ない。
だけど――そうだったらいいなぁ、なんて思ってしまう。
「ありがとうございます、ネイトさん」
「いえ、率直な意見を申し上げただけです。貴方の中で育った想いは、感性に乏しい私にすら響くものがあります。それだけのものを、貴方は積み重ねてきた。貴方は歌うために生まれてきた、これは過言ではありません。貴方にとって都合のいいことは、他ならぬ貴方自身が引き寄せたものだと思いますよ」
これだけ饒舌に語るネイトさんは初めて見た。あんまり話したことなかったのに、どうしてこんなにオレを買ってくれてるんだろう。オレ、なにをした? 全然思い当たらない。
きっと、ネイトさんから見ればそうなんだろう。オレの人生が上手く行ってるのは、オレが頑張ったから。そう見えているんだと思う。自分ではまだ納得しきれない。でも、ここで突っ撥ねるのも失礼だよね。
「じゃあ、もっと頑張って、もっといい人生にしていかないとですね」
「アレン様にはそれが出来る、私はそう確信しています。先日、剣を向けた非礼を深くお詫び申し上げます」
「ああいや、あれはオレが一方的に悪かったし……」
つい苦笑する。ネイトさんは仕事だったし、オレは頭に血が上ってたし、謝られる必要がない。逆に考えれば、あのとき話さなかったからアーサーともちゃんと話せたと思うし。
なんか変な空気になっちゃったし、気持ちを切り替えよう。ネイトさんも熱心に取り組んでくれてるみたいだしね。
「さ、続きやりましょうか。お昼まではがっつりやりますよ、ついてきてくださいね」
「承知しました。よろしくお願いします」
深く腰を折って頭を下げるネイトさん。所作が仰々しいというか、緊張してしまう。これがこの人の基本なら、オレが慣れるしかなさそう。これからもっと仲を深めて、砕けた口調で話してくれたらいいな。
……想像つかないけど。