歌姫の苦悩
「――あら、時間通りの到着ね。ごきげんよう」
春暮九日、今日も今日とて“スイート・トリック”の稽古場。今日からアメリアさんの発声練習が始まる。しっかり栄養を摂ったアイドルたちは、早朝五時だというのにスッキリした顔をしていた。
「おはようございます、アメリアさん。今日からよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。七人も頑張り屋さんがいるのなら、私も頑張らないといけないわね。どうぞお手柔らかに」
私たちに一礼するアメリアさん。見た目に似合わず淑やかな所作だなぁ、なんて毎度のことながら思ってしまう。正確な年齢は知らないけど、たぶん最年長であるイアンさんよりも年上だろう。
彼女もエリオットくんみたいに、私たちとは違う種族だったりするのかな。大人でも小柄な種族ってどんなだろう? なんだっけ、映画で見たことある。やっぱりファンタジーだなぁ、この世界。
「私が教えるのは声の出し方だけれど……ただの声じゃなくて、歌う人の声。どこまでも響く、霞むこともない、真っ直ぐ突き抜ける声。三日間、集中して行うつもりよ」
「み、三日間……?」
いくらなんでも少なすぎるのでは? アイドルは歌を重視しない、って思われてるのかな? まあ顔がいいのが大前提ではあるから、そう見られても仕方がないのかも。
――なんて思ったのが間違いだった。
「稽古の日から二日間のお休みをあげる。その間、自分で考えて自主練習してみて。次の稽古で成果を見させてもらうわ。少しでも手を抜いてごらんなさい。稽古には参加させないから、そのつもりで頑張って頂戴ね」
「……!」
ごくりと喉を鳴らす七人。わたしも戦慄した。やはり“スイート・トリック”、妥協を許さない最高峰のエンターテイナーか。願わくば三日間、稽古には全員で参加してほしい。
「さ、始めましょう。お嬢さんは見守っていて」
「は、はい。皆さん、よろしくお願いします」
「……お願いします!」
緊張の稽古が幕を開ける。いったいどんな内容なのか――震えて待っていたが、なんてことはない。むしろミランダさんの基礎練習よりも地味だ。立って、呼吸を繰り返すだけ。傍目にはそれほど厳しいものではないように思える。
みんなも、なんの意味があるんだろう? と顔に書いてある。これが発声になんの効果をもたらすんだろう?
「――止まって」
ふと、アメリアさんが手を叩いた。その言葉に倣い、反復動作を止める一同。
「力が入り過ぎているわ、全員。これじゃあステージで歌い続けるなんて、到底無理ね」
呆れたような声を漏らす。イアンさん辺りが喧嘩腰にならないといいけど……と思った矢先、前に出てきたのはネイトさんだった。
「お言葉ですがアメリア様。稽古の目的が不明瞭である以上、私たちも工夫の仕様がありません。この反復動作が歌唱にどんな影響を及ぼすのか。このままではなぜ歌い切れないのか。詳細な説明を求めます」
ネイトさん、ズバッと言い過ぎでは。
でも彼の言う通り、アメリアさんの提案した内容は歌う人の声になる、というコンセプトに直結しない。稽古の意図が説明されていないこともあり、みんなも疑心暗鬼になっていたんだと思う。
アメリアさんは微笑む。なにかやばいことが起こりそう。
「そうね。伝えなかったのは意地悪だったわ。一曲だけならともかく、何曲も歌うなら喉に負担の少ない発声を学ぶ必要があるの。そのための練習よ」
……え? それだけ? まさか本当にただの意地悪? そんなはずないと思う。ミランダさんならともかく、アメリアさんがそんなことするか? いや、ミランダさんならともかくってなに? 失礼にも程がある。
呆然とするアイドルたち。そんな中、アレンくんが一歩前に出た。歌となれば、七人の中でも特に思い入れが強いだろうからね。失礼のないようにね。
「オレたち、本気なんです。伝わってるかわからないですけど、歌もダンスも、絶対に手を抜きたくないです。だから……その、ちゃんと教えてください。お願いします」
「勿論よ。いま、私もその気になったわ。させられた、という方が正しいけれど」
んん? どういうことだ? アメリアさんは前からわかりにくかったけど、今回は特に謎めいている。
いまのやり取りのどこに彼女をその気にさせる要素があった? ネイトさんが意見して、アレンくんが頭を下げて。それだけだっただろうに。アメリアさんにも考えがあるんだろうけど、彼女はそれを語らない。だから不安になる。
ふと、アメリアさんは苦笑を浮かべた。あまり話したくないことなのかな。
「私、こんな体でしょう? ミランダと違って舐められやすくって。だから、ちょっと意地悪して試させてもらったの」
物憂げなアメリアさん。過去にそういうことがあったのかな? 最高峰のエンターテイナー、そこまで上り詰めるまでにどんな苦心があったんだろう。
「この子たちは、私と真剣に向かい合ってくれる? 誠意を欠かずに付き合ってくれる? ちょっとだけ、心配ではあったの。男性だから、余計にね」
ミランダさんは強い女性だ。言葉遣いも、態度も。そしてその振る舞いに恥じることのない力がある。だから誰もが彼女を花形と呼ぶし、認めている。
一方で、アメリアさんはそうではない。確かな実力はあるんだろう。ただ、彼女は淑やかだし言葉遣いも女性的だ。ミランダさんに比べると、か弱さが目立つ。
とはいえ彼女も“スイート・トリック”、なんなら歌姫と呼ばれるほどの団員だ。実力は十分ある。なのに、容姿で侮られるなんてあってはならない。
――それに、彼女の心配や不安は杞憂で終わる。私はそれを知っている。伝わるかはわからないけど、伝えなきゃ。
「私のアイドルは本気です。アメリアさんにはまだ信じていただけないとは思います。少なくとも、見た目や性別で人を軽んじるような浅はかな人たちではありません。他の誰でもない、アメリアさんから学びたいと思っています。私も、皆さんも」
「……ふふ、そう。ごめんなさいね、疑ってしまって」
「いえ、アメリアさんにも事情があるでしょうから。これから証明してみせます。ね、皆さん?」
みんなを信じて振り返る。一瞬、驚いたような顔をする七人。だけど一瞬だけ。アレンくんが真っ先に私の隣に並んでくれる。
「オレたち、全力で頑張ります。アメリアさんが誇れるような歌を歌い上げてみせます。七人で」
「……ガキに先んじられちゃ立つ瀬がねぇな」
続くのはイアンさん。最年長だもの、格好いいところを見せたいはず。
「あんたにも事情がある。だからいますぐ信じろとは言わねぇよ。ただ、信じさせてみせる。半端な仕事はしねぇ主義だからな」
二人を追うように七人が並ぶ。アメリアさんは信じてくれるだろうか。それはみんなの頑張り次第。不安はないし、心配もない。現状、私だけが信じられる彼らの本気。
アメリアさんは少しの間、無言で彼らを見詰めていた。見定めているのかもしれない。いまは疑心暗鬼でいい。これから、ちゃんとわかってくれるはずだから。
くすっと微笑を湛えるアメリアさん。そこには微かな期待が映っている気がした。
「私、優しくないけれど。覚悟して頂戴ね?」
「よろしくお願いします!」
「皆さん、頑張ってくださいね。アメリアさん、よろしくお願いします」
揃って声を上げる七人。彼らの本気も、誠意も、必ず伝わる。確信があるからこそ――私も、心からエールを贈ることが出来るんだ。