★この想いには
がらんどうとした僕の部屋。幅広のデスクと音楽制作用の叡煙機関を用意させて、準備は完了。この部屋は僕の仕事場とも言えるのかもしれない。
椅子に腰かけ、叡煙機関を触る。開いた両手に収まる程度の大きさで、透明な半球の中には魔力を含んだ白煙が漂っている。仮にも帝国を構成する機関の一つ、相当質のいいものを提供してくれたようだ。
触れた者の思考や心情を感知して、最適な音を組み立てていく。音楽に精通している者の手に渡れば、どんな楽曲でも制作できる。勿論、個々人の感性も多分に影響するから差は生まれるけれど。
――エルフの叡智を借りて生まれた、娯楽のための道具。里の者が見れば鼻で笑うだろう。
だが、僕はそうじゃない。そう在れなかった。これから僕の手で生まれるであろう音に興奮している。高揚感は鼓動を加速させ、胸が張り裂けそうだった。
アレンとリオが道を示してくれた。僕一人でどこまで行けるだろう。立ち止まらず、うずくまらずにいられるだろうか。楽しみな反面、怖くもあった。
悩んでいる時間すら惜しい。一刻も早く楽曲を完成させないと。そのとき、部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」
「お邪魔します! わあ、それが作曲用の叡煙機関? ですか?」
客人はエリオットだった。叡煙機関に興味があるらしい、こういうところが素直で可愛らしいと思う。
「これから始めるところだ、試しに触ってみるかい?」
「いいんですか? やった!」
エリオットが触れると、中の煙が反応する。白煙が徐々に色づいていく――が、お世辞にも綺麗な色ではなかった。夕陽の色を濁らせたような、錆びついた色。この色には彼自身も驚いているようだった。
「なんだか悲しい色ですね」
「聴いてみるかい?」
頷くエリオット。手元のスイッチに触れてみると――物悲しい旋律が流れ始めた。孤独、絶望、嘆き。そんな感情が惜しみなく音楽として表現されている。粗削りで、直情的な表現。
エリオットの表情が見る見るうちに翳っていく。この音色がなにを示しているか、僕たちならばわかる。
「あは……ごめんなさい。明るくしようって、思ってはいるんですけど……やっぱり、寂しいです」
「謝ることはないさ。きみの人生を後ろめたく思う必要はないよ」
「……ありがとう、ございます」
「ふふ、素直にお礼を言えるのはいい子の証だ。ご褒美にいいものを聴かせてあげよう。少し待っていて」
首を傾げるエリオットに微笑みかけて、叡煙機関に向き直る。アレンが紡いだ旋律を脳内で反芻、そこに僕の解釈を混ぜ合わせていく。
――健気な歌だ。
あまりにも未熟で、理想には到底及ばない。それでも歩き続け、手を取り合い、肩を寄せ合い、立ち上がる。
怖がることなどなにもない。僕たちがついている。だから大丈夫。この歌が傍にいる。世界の果てまで歩いて行こう、僕たちと共に。
ただ直向きに。ときに立ち止まり、うずくまっても。この歌が、誰かを少しだけ勇気づけられるように。アレンの歌声からはそんな切実さが感じられた。
叡煙機関の白煙に変化が訪れる。豊かに生い茂る森、純度の高い黄金、消し去りたい記憶、温かさと冷たさの狭間、別れを告げる夕焼け、懐深く包み込む澄んだ海、そして――世界を照らす力強い日の光。
七つの色が混ざり合っているのに、混沌とするでもなく調和している。奇妙な色だと思いつつ、エリオットを一瞥する。彼もまた、この不思議な色に興味津々なようだった。
「すごく綺麗な色……」
「聴いてみようか」
「はい」
意を決して、再生する。
「――!」
「わ……!」
力強く温かなメロディに、思わず震えた。まだボーカルのついていないのに、僕たち七人が歌うさまが鮮明に想像できる。弾むような、励ますような。前向きで、聴く者の心を奮い立たせる勇敢な旋律。アレンの歌詞に相応しい音楽だ。
エリオットも興奮気味に体を揺らす。リズムを取っているのだろう、愛らしい仕草につい笑みを誘われる。
「いい曲だね」
「はい……! これ、ぼくたちが歌えるんですか?」
「リオとアレンに精査してもらってから、かな。オーケーが出れば、歌詞はリオから配布されると思う」
「わあ……! どうしよう、ぼく、すごくうずうずしてきました……!」
見ればわかる。耳は忙しなく動いているし、尾は元気よく暴れ回っていた。それに、この昂りもわかってしまう。
僕たちの声がこの音を彩る。この春暮、七つの音色が帝国に響き渡る。そう考えただけで胸が震えた。口の端も吊り上がっている。
楽しんでいるんだ、いまを。期待しているんだ、これからを。いずれ来る別れ、その恐怖を押し退けて。僕たちのこれからを待ち侘びている。どこにも根を下ろさず、風来坊を気取ってきた、他でもないこの僕が。
「ぼく、リオさんに伝えてきます!」
エリオットは颯爽と駆け出した。遠退く足音、自然とため息が漏れる。
「……この歌が、僕の居場所になるのかな」
怖い、と思ってしまう。もしこの歌が採用されて、本当に皆で歌うことになれば、もう後には引けない。彼らとの別れが訪れるまで、共に生きることになる。僕がずっと恐れていたこと。
不思議と震えはない。怖さよりもっと強い感情が目を覚ましたようだ。鼓動が速い。それすらいまは心地良い。僕を変えたのは、果たして誰なのだろう。
慌ただしい足音。リオとしても驚くとは思う。思っていたより早く出来上がっただろうから。笑みを零すと同時、血相を変えたリオが部屋に飛び込んでくる。
「もう曲が出来たってマジですか!?」
「うん、マジだよ。チェックを頼めるかな?」
叡煙機関をリオに差し出す。恐る恐る触れ、奇跡の音色を全身で受け止める。瞬く間に笑顔が咲き、瞳が潤んでいくのがわかった。
「故郷を感じられそうかい?」
「ハイ……すごく、アイドルです……! 最高、天才……! ウェッ、ウエエェェエエェン……!」
「リオさん足速過ぎっ……ええっ!? なんで泣いてるんですか!?」
嗚咽を漏らして泣き崩れるリオ。遅れてきたエリオットが彼女の背中を優しく撫でた。叡煙機関の色より、この光景の方が余程混沌としている。
けれど、こんな日常の一片も悪くないと思ってしまう。八十余年の僕の人生に欠けていた、他人との時間。あれだけ恐れていたのに、この時間を手放したくない。この先もずっと、こんな日々を過ごしていきたい。
――この想いには、どんな名前が似合うんだろうね。