「信じてやれ」
“スイート・トリック”の稽古場は緊張感に満ちていた。重たく、熱い空気。教鞭を執るミランダさんはプライベートで見せた爽やかな顔はどこへやら、鬼コーチという例えがよく似合う。
春暮五日、午前六時。初日はアメリアさんと談笑していたけど、いざ目の当たりにすると本当に穏やかじゃない。そりゃあお金を取れるだけの技術を身に着けるっていうんだから、生半可な気持ちじゃ教えられないよね。
怒号が飛び交う中、私のアイドルたちは必死に体を動かしている。ダンスの基礎って、傍目には地味な動きだけど、大変なのは彼らの顔から窺い知れる。ネイトさんですら苦悶に表情を歪めていた。
「――っし、休憩だ」
その言葉を待ち詫びていたかのように、一斉に崩れ落ちる七人。全員、会話もままならないほど荒々しい呼吸を繰り返している。私は足元に置いてあった鞄から飲み物を取り出し、一人一人に渡していく。
ありがとう、すら言えないほど切羽詰まっていたのだろう。手にした途端に口元へ運び、喉を豪快に鳴らしながら飲んでいく。
「皆さん、お疲れ様です。いまはしっかり休んでくださいね」
「体が冷える前に再開するからな、後半も覚悟しとけよ」
「……ハイッ!」
みんな、力強く返事をする。けれど、無理が来ているのもわかる。けれど、もう少しお手柔らかにとは言えなかった。
本気で頑張ろうとしてくれている。アレンくんたちも、ミランダさんも。私が日和ってちゃ駄目だ。わかってはいる。けど、この風景に胸がざわつくのも事実だ。
どっちの私で在ればいいんだろう。優しい私と、厳しい私。彼らのためを思うなら? どっちが彼らのためになるんだろう? 満身創痍のアイドルを見て、どうして自分の在り方に不安を覚えるのか。
そのとき、ミランダさんが私の名を呼んだ。
「リオ、ちょっとツラ貸しな」
「はぇ……はい?」
「すぐに戻るから、それまで休んどけ。いいな。ほら行くぞ」
「あぇ!? ちょ、え!? 行ってきます!」
ミランダさんに腕を掴まれ、引きずられるように稽古場を離れる私たち。いったいなんの話だろう。まさかシメられる? わ、私、なにをした? 全然心当たりがない。
怯えながらついていくと、彼女は控え室の傍で立ち止まった。私に向き直るが、その表情は険しい。
「なんでお前がそんな顔してんだ」
「え……」
「心配そうにあいつらを見てんじゃねぇよ。お前が選んだんだろうが、余裕でこなすって信じてやれ」
――見透かされてたんだ。
実際、ミランダさんの言う通りだった。信じ切れていなかった。この辺にしておきませんか、なんて言うつもりはない。けれど、ちゃんとやり遂げられるか不安だった。
言われて気づいた。これは彼らに対して失礼だ。私が夢を、未来を託した七人なんだ。成し遂げられると信じないのは、彼らに期待していないとも捉えられる。
絶対にやり遂げる、そう信じてあげるのが私の務めだ。
「……はい、ありがとうございます」
「あー、なんだ。説教じみた言い方になっちまったな、悪い」
「いえ、おかげで目が覚めました」
「ならいい。可愛い顔してんのに大物みたいな貫禄あるよな、お前」
「えへ……」
まあ中身はアラサーですのでね。肝は据わってる方だと思います。
「それと、これは内緒にしてほしいんだが……」
面映ゆそうに頬を掻くミランダさん。内緒の話ってなんだ、告白……なわけない。私にだけ言うってことは、アレンくんたちには内緒ってこと?
「……あいつら、根性あるよ。あたしの稽古についてこれた素人は、あいつらが初めてだからな」
「はぇ……?」
聞き間違いだろうか。だとしたらミランダさんはこんな顔をしない。根性がある、って言った。私のアイドルが褒められた。
――なんだろう、なにか上がってくる。
それがなにかはわからなかったけど、この得体の知れない感覚は悪いものではない。直感がそう告げた。だから私は、にんまりと笑ってみせた。
「私が選んだ最高の七人ですので」
「調子のいい奴。どこまで成長するかはあいつら次第だからな。あたしは飴をやるほど優しくねぇぞ」
「飴をあげるのは私の役目です。でも、私も優しくないので彼らの頑張りに期待します」
「そうしてやれ。その方があいつらも頑張れるだろ。さ、戻るぞ」
「はい! 後半もよろしくお願いします!」
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「ごきげんよう、今日も見事に死屍累々ね」
午前七時、稽古場に到着したアメリアさんは顎に手を当てて微笑んだ。私は苦笑い。稽古が終わったと同時、崩れ落ちるアイドルたち。相変わらず呼吸は荒く、必死に酸素を求めているのがわかる。
ダンスの基礎を体に教え込ませるための反復運動だったが、以前ネイトさんが言っていた通り、少しでも乱れればミランダさんの平手がお尻をしばく。厳しい稽古についていくので精一杯に見える。
けれど、大丈夫。いまはそう思える。
「皆さん、お疲れ様です。ミランダさん、今日もありがとうございました」
「これも仕事だ、礼を言われる筋合いはねぇ。ほら、さっさと退け! 稽古の邪魔だ!」
「ハイッ……!」
みんな、ずるずると体を引き摺って控え室へ向かう。アメリアさんとすれ違ったのだろう、戻ってきた彼女は笑っていた。
「随分な力の入れ様ね。あなたらしくない」
「うっせ。生意気なこと抜かしたから徹底的にやってるだけだ」
「怖い人。いじめとなにが違うのかしら」
「ちゃんと基礎教えてるって、いじめじゃねぇわ」
「よく言うわ。あんなにきつい言い方をして。あなたもそう思わない?」
「はぇ!?」
この流れで私に振りますかね! なんて答えればいいの!? どっちも敵にしそうで怖い!
ガチガチに固まる私を見て、ミランダさんが笑った。なんか久し振りに見た、この気前のいい笑顔。あなたはそういう顔がとっても素敵ですよ。
「答えなくていい、アメリアの言うことだから」
「失礼ね。同意を求めただけじゃない」
「わたっ、私は怖くないと思いますよ!?」
「あら、そう。独りぼっちになっちゃったわ、慰めてくれる?」
「はいはい。よしよし」
わしゃわしゃと無造作に撫でるミランダさん。アメリアさんは満足げだ。“スイート・トリック”の二枚看板とも言えるような二人だが、険悪な関係に見えてもなんだかんだ信頼し合っているのかもしれない。
アレンくんとアーサーくんもそうだし、ギルさんとオルフェさんもそうだもんね。エリオットくんはこういうの心がざわつきそう、イアンさんも。ネイトさんは……どう感じるんだろうな。
「ま、あたしらはこれから稽古始まるし、お前はさっさとあいつらのところに行きな」
「は、はい……今日もありがとうございました! 失礼致します!」
一礼して、控え室へ駆け出す。みんな倒れているんじゃないか? 意識はあるか? 一抹の不安を抱えながら扉を開くと、思っていたのとは異なる風景が広がっていた。