さよなら
アレンくんたちが部屋に戻ったのを確認して、再び叡煙機関を起動する。魔法仕掛けではあるんだろうけど、ぶっちゃけただのボイスレコーダーだ。馴染みのあるものではないが、日本にもあったものだし使い勝手はそう変わらないと思う。
こんなものもあるなら、CDを作る技術だってあるはず。その辺りはアレンくんに聞いてみようかな? この世界のアーティストについても知っているだろうし。
――いや、それにしても。
「思ってた以上にアイドルだな……?」
零れる本音。この世界に存在しない文化のはずなのに、アカペラでもアイドルの楽曲みたいな聴き心地だ。すごい、いったいなにがきっかけでこんな最高の歌が生まれたんだろう?
「きみの助言だろう」
「はぇ? 私の?」
オルフェさんの言葉に首を傾げる。私、そんなインスピレーション湧かすようなこと言ってたっけ?
彼はくすりと微笑む。見慣れていたようで、そうでもなかった。油断していると刺される。ズドン、と心臓を貫かれた気がした。
「現状、アイドルの楽曲というのはきみの中にしか存在しない。実体のないものを完全に再現することは不可能さ。きみの助言が曖昧なものだったとしても、そこから彼は自分なりの“アイドル像”を定めた。その結果がこの歌だよ」
「……私も、少しは力になれてる?」
「勿論。きみの言葉は彼の背中を押し、彼は偉大な一歩を踏み出せた。きみとアイドルの理想の関係じゃないか」
頼りきりじゃない、頼られっぱなしでもない。理想の関係と言われれば、その通りなのかもしれない。
アレンくんの歌に耳を澄ませる。これから始まる、そう予感させるメロディとフレーズ。期待に胸が膨らんでいく。私はプロデュースする立場なのに、彼らの一番のファンで在りたいと願ってしまう。
誰よりも応援してあげたい。この先、たくさんの人に愛される彼らを、誰よりも強く愛し続けたい。そう思わせるだけの魅力が、この歌と彼らにはある。彼らのデビューライブが待ち遠しい。最前列で思いっきりサイリウムを振りたい。ドルオタ魂が刺激されているのがわかった。
「――さて、次は僕の番か」
ふと、オルフェさんが呟いた。彼はこの後、アレンくんのアカペラにメロディを付けるんだ。いったいどんな曲になるだろう。私が楽器の指定をした方がいいかな? オルフェさんが演奏できる楽器ってなにがあるかな?
「音楽制作用の叡煙機関を借りてこないといけないね。手配できるかい?」
「イアンさんに頼めば恐らく。っていうか、叡煙機関ってなんでも出来るんですね……?」
「ふふ、エルフの協力あってこその道具だからね。ミカエリアは叡煙機関の総本山、一般に普及しているものはだいたい揃えられるだろうさ」
ここは異世界。現代日本と比較すれば前時代的かと思っていたけど、全然そんなことなかった。むしろ魔法がある分、地球よりずっと高水準の文化を築いている。正直侮っていた。
「それじゃあ僕は部屋に戻るよ。今日の稽古の復習をしなければならないから」
「わ、わかりました。今日はお疲れ様でした、これからもっと大変になりますが……」
「うん、頑張らせてもらう。全力で物事に当たる、っていうのは初めてのことだから楽しみだよ。それじゃあね」
オルフェさんが去っていく。残された私は、彼の言葉の意味を考えていた。
全力で物事に当たるのが初めて。それはきっと、オルフェさんの人生を顕著に言い表した言葉。のらりくらりと、誰に心を明かすわけでもなく、浮雲のように生きてきたのだろう。
――私の倍以上生きてるけど、オルフェさんだって初めての経験なんだ。
期待するのも酷だろうか。それとも、期待してしまっていいのだろうか。彼は期待されることを望んでいるんだろうか。それを間違えたら、苦しめることにならないか。
私の方でも考えることは多い。アイドルの精神面を支えるのが私の仕事だ。彼らが折れてしまわないように、膝をついてしまわないように。しっかりケアしないといけない。
「……うん、私も頑張らないと」
食事の準備と、ケアと、歌詞の推敲、路上パフォーマンスの企画と……やらなきゃいけないことは盛り沢山だ。高みの見物を決め込んじゃいけない。いまは帰って、今後のことをまとめよう。夏までもう時間がない。無駄のないスケジュールを組むのが先決だ。
部屋に戻ると、アミィがベッドでごろごろしていた。退屈そう。こっちの気も知らないで、と思ったけどまあアイドルとは全然関係ないし当然か。
「ただいま、アミィ」
「リオだ! オカエリー!」
私に気付いたアミィは跳ね起きて、てくてく歩いてくる。見ていてとても癒されるなぁ、ミチクサさんが言っていた活用しろってこういうこと? 抱き締めたくなるけど、充電モードに入っちゃうからまだ出来ないね。
「おシゴトはー?」
「これから少しやろうかなって。“データベース”ってオフィスソフト使えたりしないのかなぁ……」
「おふぃすそふと?」
この世界にはないものだし、アミィがわからなくても仕方ないか。あれば便利だけど、贅沢は言えないね。パソコンもない世界だし。
「あ、ごめんね。なんでもないや。手書きにすればいいし。キーボードが恋しいのは本音だけどね」
「きーぼーど、あるよ!」
「エ?」
声が裏返ってしまった。誰にも聞かれていなくてよかった。いやそれより、アミィはなんて言った? きーぼーど、あるの?
「ど、どういうこと?」
「アミィは“データベース”のデバイスだよ! きーぼーどもゴヨウイできている!」
「て、天才……!」
ここに来て、ようやくアミィと私の関係がわかった。私はパソコンなんだ。“データベース”はインターネットみたいなものだし。そしてアミィは文字通りデバイス――周辺機器だ。それこそキーボードとか、プリンターとか。
つまり、私の考えが正しければ“データベース”をパソコンと同じように扱うことが出来る。キーボード、データの出力、保存。恐らく収録や音楽の再生も出来る。
この辺りは手探りになるだろうけど、アミィはとてつもなく汎用性が高い。活用してくれと言われたときは困ったが、この子がいれば無敵では? 私、なんでも出来そう……!
「じゃ、じゃあキーボード立ち上げてくれる?」
「わかった! ハイ!」
あ、これも握手が必要なんだ。差し出されたアミィの手を握ると、頭に声が流れてくる。
『プログラムを選択してください』
やっぱり慣れないなぁ、これ。っていうか、プログラムって言ってるよ。これは声で伝えればいいのかな?
「キーボード使いたいです」
『承認しました。なうろーでぃんぐ……』
なんで最後に気が抜けるんだろう。思わずクスッとしてしまうが、その矢先――私の手元にキーボードが現れた。でも、実体がない。半透明だ。すごい、サイバー感が強い。
「っていうか、懐かしくて涙出てきそう……」
現代日本にあったものと同じなのだ、つい涙腺が緩む。あのとき信号無視なんてしてなければ、セブンスビートのライブだって行けたのに――なんて考えて、頬を叩く。
――みんなに失礼なことをするな。
彼らは私が選んだ最高のアイドルなんだ。もう会えないセブンスビートを追いかけたって仕方がない。アレンくんをセンターに、帝国を変えるほどのアイドルをプロデュースする。それが私の役割だろう。
「……よし! 頑張れ私、頑張れ“リオ”! “牧野理央”にはさよならだ!」
私は“リオ”。いまを生きろ、過去は過去。思い出は大切にしまっておくだけでいい。
路上パフォーマンスの草案を練り上げる。栄養のある食事を作る。アイドルのメンタルチェック。やるべきことを一つ一つ重ねていけばいい。
そうすれば――この空に“星”を輝かせられるから。