培ってきたもの
「あら、いけない。そろそろ稽古が始まる時間だわ」
「えっ? わあ、結構話してたんですね……?」
アメリアさんとお喋りを始めて、午前七時を迎える頃。思ったより話し込んでいたようだ。他愛のない雑談から“スイート・トリック”の遍歴……無知な私を不審に思うこともなく語ってくれた。
これだけ大手の芸能一座であるにも関わらず、国の印象を変えるには至らないのだと思い知らされる。私のアイドルにそれが為せるのか。不安はあれど、表に出してはいけない。
私が一番信じてあげなきゃいけない。私が選んだんだから、間違いないって。彼らが怯え、折れてしまいそうなとき、誰よりも傍で勇気づけてあげるのが私の役目だから。
「さ、行きましょう。立って帰れるといいけれど」
アメリアさんは笑う。ミランダさんが鬼コーチなのは想像の範疇。私のアイドルは耐えられるか? 初日なだけに、気にはなる。
彼女の連れられ、稽古場に戻ると――
「うっわぁ死屍累々……」
みんな倒れていた。荒い呼吸を繰り返している。基礎練習のはずだよね? 立つことも困難な基礎練習ってどういうこと?
ミランダさんは手を叩き、みんなを鼓舞する。バスケ強豪校の顧問みたいな顔をしている。見たことないけど。
「休んでんじゃねぇよ雑魚共! イキるなら最後までイキれ! 口先だけか!? だっせぇなァおい!」
「ミランダ、もう稽古が始まる時間よ。戯れはその辺りにしておいて」
「あ……? ああ、もう七時になんのか。そんじゃ今日はここまで。帰っても今日やった動きを繰り返せ。体に覚えさせろ、いいな」
誰も答えない。肩で息をするばかり。これ、馬車の手配が必要じゃないか……? 電話とかある? どうやって呼び出せばいいんだろう。うろたえる私は蚊帳の外、しびれを切らしたミランダさんが怒鳴る。
「返事はどうした返事は!?」
「……ハイッ!」
息も絶え絶えの返事。正直、見ていてつらくなる。このレベルの稽古が最低でもあと四日ある? ちゃんとやり遂げられるだろうか。特に、ギルさん。彼が一番心配だ。他の子に比べてモチベーションが高くないはず――
――だと思ってたけど、あの目。なんだろう。
かろうじて体を起こしたギルさん。その目には、いい意味で彼に似つかわしくないものが映っていた。
絶対に折れてやるものか。なにがなんでも成し遂げてみせる。そういう、ある種の泥臭さのようなものだった。そんな顔も出来るんだ、というのが正直な感想である。
アメリアさんは肩を竦め、苦笑する。体は小さいのに、不思議と大人の艶っぽさがある。
「こうなるだろうと思っていたわ。いま馬車を手配してくるから、少し待っていて頂戴ね」
「はぇ、すみません、お手数おかけします……」
「いいのよ、想像の範疇だったから。それに、稽古場で倒れられたら私たちとしても迷惑だもの」
「ですよね……というわけで、皆さん頑張って立ち上がってください。控室に移動しますよ」
私の声に反応するアイドルたち。膝も腕もがくがくで、ゾンビ映画でも見ているような気分だ。ミランダさんの視線が怖いので、本当に頑張ってください。
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そうして控え室に到着すると、再び倒れる一同。基礎練習ってこんなことになるものなのだろうか。私に出来ること、なんだ……マッサージ? 素人だけど、やっていいのかな?
「皆さん、今日はお疲れ様でした。初めての稽古、いかがでしたか……?」
「き……きつい……!」
「覚悟は、していたが……体が動かない……」
アレンくんとアーサーくんは揃いも揃って息を切らしている。いったいどんな激しい稽古だったのだろう。五日間で基礎を叩き込むと言っていたけど……。
「あの女……ちょっとでも手ェ抜くとケツしばき倒してきやがった……」
「加えて、ひたすら反復……姿勢が狂っただけで、喝を入れられました……」
イアンさんとネイトさんもバテバテだ。ここ二人がこんなに満身創痍なのも意外である。二人とも激務だっただろうし、ネイトさんに関しては騎士としての鍛錬や実戦で鍛えられていたはずなのに。
「で、でもっ、ぼく、たち……頑張り、ます、よ……」
「ふ、ふふふ……いい経験、だよ……生涯で、こんな、に、体、酷使し、たのは、初めてかも、しれ、ないね……」
エリオットくんとオルフェさんも呼吸が荒い。エリオットくんは獣人化したことで身体能力が上がっているはずなのだが、それでもこの有様。オルフェさんなんか身動き一つ取れていない。
「けど、やるっきゃねーだろ……威勢の、いい、啖呵、切っちまったし……」
なんとか上半身を起こしたギルさんが呟く。こうしてやる気を見せてくれるのは嬉しいな、一番の不安要素だったか、ら……ちょっと待って?
「ギルさん、威勢のいい啖呵とは?」
「どんなアイドルになりたい、って聞かれたから……“スイート・トリック”から、話題、掻っ攫えるような、アイドル、に、なりたいって……」
「……なぁにをしてくれてんですかお馬鹿ァ!?」
ギルさんの肩を掴み、がくがくと揺さぶる。体に力が入らない? 知ったことか! 私より先に喧嘩を吹っ掛けてどうする気だったんだこの男は!? 出演の交渉するつもりだったのに難易度が跳ね上がってしまったじゃないですか!
「ちょちょちょあんま揺さぶんなって倒れっから……!」
「喧嘩売るのは私の役目なのに! どうして先走るの!? 男の子って本当にお馬鹿ですね!?」
「じゃあ遅かれ早かれじゃねーか……! 一旦離れてくれって、な!?」
「ウワアアアアアアァァアァアァン……!」
しばらく喚き散らしていると、控え室のドアが開かれる。姿を現したのは、やっぱりアメリアさん。私を見るや否や、クスリと笑みを浮かべた。やめてください、子供を宥めるママみたいな顔をしないで。
「泣くのはお止めなさいな。チャーミングなお顔をしてるんだから」
「ママ……!」
「ごめんなさいね、ママじゃないの。馬車、到着したみたいよ」
うっかりしていた、危うく縋りつきそうになってしまった。そう、私のママは遠く離れたところにいる。この世界のどこかにもいる。
それより、馬車が到着したなら早々に帰らなければ。アメリアさんに一礼する。
「いろいろお世話になりました。明日からもよろしくお願い致します」
「ふふ、ミランダに伝えておくわ。みんなで頑張ってね、ごきげんよう」
去り際、アメリアさんの表情が気になった。一瞬しか見えなかったので気のせいかもしれない。仮にあの表情が見間違いではないのなら、彼女の顔が語っていたのはただ一つ。
――せいぜい足掻いて頂戴ね。
そう言っている気がした。話を聞かれていたかもしれない。あるいは、ミランダさんからギルさんの話を聞いたかもしれない。どちらにせよ、私たちが商売敵になるはずがないと思われている。
「……面白いじゃない」
自然と漏れたその声に、自分の口の端が吊り上がっていることがわかった。だが、まだ隠しておかなければ。みんなの方を振り返り、笑顔を繕う。
「さあ、皆さん帰りましょう。改めて、今日はお疲れ様でした」
努めて平静に。生ける屍のように緩慢な動きで控え室を出ていく私のアイドルたち。最後に残った私は、誰もいないことを確認して独り言ちる。
「ブラック企業で培った反骨精神を舐めるなよ、最高峰……!」
未知の文化とはいえ、あそこまで見下されて黙っていられるか。みんなと同じくらい私も頑張ってやる。必ず出番を貰って、翌日の話題を奪ってやる。いまに見ていろ、“スイート・トリック”。
そのために、いま出来ることは――。