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及第点

 みんなの引っ越し作業が終わり、時刻は午後十六時。改めて事務所に集まってもらい、今後のことについてオルフェさんから話してもらう運びとなった。


「それじゃあ、話していきます。イアンさん、お願いします」


「ああ。これからお前ら……ああいや、俺らはアイドルとしてボーカルやダンスの練習をしなきゃならねぇ。が、ミカエリア市内のパフォーマーに依頼文を送っても好意的な返事は貰えなかった」


「じゃあ誰が稽古つけてくれるんですか? リオ?」


 アレンくんの声に不安が滲んでいる。そりゃそうだよね、わかるよ。アーサーくんも似たような顔だね。大正解。私、ただのドルオタです。


「大丈夫、私じゃないよ」


「それについては僕から説明させてもらうね」


 オルフェさんが前に出ると、みんなの表情が固くなった。主に、アレンくんとギルさん。二人は彼が“スイート・トリック”の関係者であることを知っている。となれば、推測くらいはできるだろう。


「トレーナーに関しては、元々不安視していた。アイドルというものが未知の文化である以上、協力を躊躇う人が多いと思っていてね。だから、事前に手を打っておいたんだ」


「……ってことは、やっぱそうだよなぁ」


「察しがいいね、ギル。そう、トレーナーの件は“スイート・トリック”の面々にお願いしておいた。ミランダの拳骨一発で承諾してくれたよ」


「うっそでしょ……? それ、本当ですか?」


 アレンくんの表情が強張る。まあ、そうなるよね。オルフェさんは微笑を湛えて頷いた。ミランダさんと会ったときの彼を覚えているんだろう、良かったねと言っている気がした。


 当の本人はと言うと、嬉しさからか頬が緩んでいるのがわかる。必死に隠そうとしてすごい顔になっていた。男の子、大変だな……。


「拳骨、痛かったですか?」


「ふふ、エリオットは優しいね。大丈夫、もう慣れたから」


「な、慣れた……? なら、良かったです……うん?」


 釈然としていない様子のエリオットくん。私としても、好ましくない慣れだと思った。ミランダさんの拳骨、ガチだった。鉄拳制裁という言葉が彼女以上に似合う人間には生前からカウントしても出会えていない。


「しかし“スイート・トリック”の面々に稽古をつけていただくとなると、相当過酷なものになりますね」


「ろくに経験のない僕たちが、果たしてついていけるかどうか……」


 弱腰のネイトさんとアーサーくん。ここ二人は特に思い入れがないのかな、現実をちゃんと見ている気がする。浮足立つこともなく“スイート・トリック”という名前と自分の力量を照らし合わせている。冷静さを欠かないのはあなたたちの長所ですね。


 ひとまず話は済んだことだし、私が手を叩いて空気を引き締める。


「ということで、皆さん。参りましょう」


「参りましょう、ってどこによ?」


 ぽかん、と間の抜けた声のギルさん。呑気な人だな。依頼を受けてくれたなら、ご挨拶に行かなければいけないでしょう。


「勿論、“スイート・トリック”の稽古場です」


 =====


「来てしまった……」


「お前が連れてきたんだろうが……後悔してるみたいな言い方すんじゃねぇよ」


 イアンさんに突っ込まれる。後悔してますよ。実質、責任者は私みたいなものなんだ。矢面に立つべきは私なんです。緊張も後悔もしますって。


 なにせオルフェさんが拳骨貰ってるんだ。私だってなにされるかわかったもんじゃない。体を張るのはイアンさん担当ってことじゃ駄目ですか? 上目遣いで頼めば落ちる気がする。いや、駄目でしょ。


 入り口にはあの日の警備員さん。すみません、ぞろぞろと。私とオルフェさんを見て、敬礼してくれた。VIP待遇みたい。私、ただの旅人だったのに。おかしいなぁ。


 ギルさんが冷やかすように口笛を吹く。その口縫い合わせてあげましょうか。歌えなくなるから駄目ですね。


 奥に通され、ここからはオルフェさんが先頭を行く。関係者以外入れないようなところに案内される……? と思いきや、真っ直ぐステージに通された。ピエロの格好をした小柄な男性がジャグリングをしている。


 遠目にもわかる。表情が豊かだ。顔だけじゃなく、全身を使って表現している。どこかおどけていて、それでいて侮れない。彼の振る舞いが空気をコントロールしているようにも見えた。


 ――ギルさんの参考になるかもしれない。なんて名前なんだろう。


 調べようにも、いまは人目につく。“データベース”を使うのは帰ってからだ。オルフェさんが振り返り、指を立てて唇に添えた。二次元の男みたい。それで画になるからすごいよね、この人。


「彼の出番が終わったらミランダの演目だ。僕が演奏を担当するから、その間だけ離れるけど大丈夫かい?」


「はい、大丈夫です」


「よし、やる気があるみたいでなによりだ」


 私たちの背後から凛々しい声がした。振り返れば美人がいる。ミランダさんだった。アレンくんの表情がガチガチに固まっている。きみ、さてはミーハーだな? 他の面々も驚いたようで、オルフェさんだけがいつも通りだった。


「きみと同じステージで半端なことはできないさ」


「おう、言質取ったからな。あんたらも聞いたな?」


 こくこく、と小刻みに頷いてしまう。外で出会ったときのミランダさんとは違う。どこか鋭いものを含んだ言い方だった。表情もそう。ファンと対面したときの顔じゃない。楽しませることに全てを捧げる、エンターテイナーの顔だった。


 ギルさん、大丈夫かな。前に会ったとき、素っ気ない態度を取っていたし……不安に思って一瞥すれば、なんてことのない顔をしていた。それも演技かもしれないけど。


「ああ、帰っていたんだ? おかえり、オルフェ」


 また声。ステージから降りたピエロのものだった。オルフェさんの手を握る彼は満面の笑みを浮かべる。こちらまで自然と笑顔になってしまう。ある種の魔力のように思えた。


「ただいま、ジェフ。やはりきみのパフォーマンスは素晴らしいね」


「はは、光栄だよ。それじゃあミランダ。次、お願いね」


「はいよ。そんじゃ、やるぞ。練習だけど、あんたらも楽しんで」


「は、はい! じっくり見させてもらいます! あ、え? オレ、変態みたい!?」


 かつてないほどアレンくんが年頃の男の子に見える。可愛い子だなぁ。アーサーくんが苦笑いを浮かべている。そんな目で見ないであげて。ファンとしては舞い上がっちゃうものなのよ、こういうシチュエーションって。


 ミランダさんも笑って、ステージに向かう。オルフェさんも楽器を携えて彼女を追った。鼓動が大きくなっていく。最高峰のエンターテインメント、それを間近で見られるのだ。興奮しないはずがない。


 しん、とした空気の中、静かに、圧倒的な存在感を放つミランダさん。オルフェさんはステージの隅に腰を下ろし、弦を弾いた。


「きみのタイミングで」


 オルフェさんの言葉に、力強く頷くミランダさん。深呼吸を繰り返し――爪先で床を叩く。それと同時、オルフェさんの演奏が始まった。


 ――すごい。


 そんな単純な言葉しか出てこなかった。演奏が激しさを増すと、彼女のステップも荒々しく。静かに落ち着いていくと、ステップは繊細に。完璧に重なり合うダンスと演奏に、私たちは息を飲むばかりだった。


 そうして、ミランダさんの演目が終わる。深い息を吐き、額に伝う汗を拭った。


「――ま、こんなもんか」


「お疲れ様、きみの魅力はいつまでも褪せないね」


「どーも。んで、楽しんでくれた?」


 彼女の声が私たちに向けられたことで、ようやく現実に引き戻された気がした。夢でも見ていたかのような曖昧な時間。興奮と感動だけを体が覚えているような、不思議な感覚だった。


 自然と、拍手で称えていた。みんなも続き、彼女は慎ましく受け取ってくれた。これはチャンスだ。エンターテイナーとして、ギルさんの才能を伸ばす最高の環境だ。彼を一瞥すれば――


 ――どうして、そんな顔をしているんだろう。


「ギルさん?」


「ん? ああ、やっぱすげぇな“スイート・トリック”。見惚れちまったわ」


 声に感情が乗っていない。こう言えばいい、そう思っているのが伝わった。ミランダさん、怒ったりしないだろうか。恐る恐るステージ上を見れば、そんな心ない反応にも真摯に礼を送っている。


「――さて。こっからが本題だ」


 突然、声音が冷えた。背筋が凍る。そうだ、目的は見学じゃない。わかっていたのに。


「歌とダンスをここで習うって話だな?」


「は、はい。公演も間近でご多忙かと存じますが、何卒よろしくお願い致します」


「堅苦しい挨拶は要らん。ダンスはあたしが、歌はアメリアが教えることになってる」


 贅沢過ぎるトレーナーだ。私のアイドルは絶対に大成する。と、思うけど……この気迫、嫌な予感がする。背後でごくりと唾を飲む音が聞こえた。きっとイアンさん。


「公演まで時間がない。だから百点は求めない。ただ――及第点は九十九点。それ以外は認めない。自分の稽古の時間削って教え込むんだ、半端な覚悟で臨むんじゃねぇぞ。死ぬ気でついてこい、わかったな」


 凍り付くようなミランダさんの声。私だけじゃなく、背後のメンバーも言葉を失っていた。


 高すぎる及第点。それは即ち、そこまで叩き上げるだけの指導力はあるということ。最高峰のエンターテインメント。そこに至るまでの道程、私たちは何度試されるのだろう。私のアイドルは、ついていけるのか。


 不安は絶えない。どこまで行っても。

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