表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

園遊会での怪しい噂

 アンシャルは貴族ではないが、一応はかなり手広く商売をしている商家に生まれ育っている。実家のつてをたどれば、紳士としてこの町の上流社会に入り込む事もできた。

 とはいえ、俗人の服を着て、そう言う場に顔を出すのは少年の頃以来だ。

「どうぞ」

 手渡された酒杯を、アンシャルは反射的に受け取った。

 赤ワインで満たされている。

 今、アンシャルは紹介状を持って訪れた小貴族の主催する園遊会に出ているのだった。

 何の仕事をしているのかという質問は巧みにかわし、実家の家業の話にすりかえ、こうして様子を見ているわけだ。

 それにしても、ここに来てから赤ワインしか見ていない。

 別に赤が嫌いなわけではないが、普通は赤と白、等分に用意されているはずでは。

 ……まあ、いいか。

 アンシャルは少し酒を飲み、ついでチーズかなにかないものかとあたりを見回した。

「召し上がりませんか?」

 給仕が盆を差し出した。

 普通は銀の盆であるはずだが、なぜかこの家では木彫りの盆を使っている。凝った彫刻のほどこされたものだが、どれほど高価であろうと、木は銀に劣る。

 それとも、流行が変わったのか。

 何しろアンシャルは何年も社交界にはご無沙汰だった。

「ありがとう。もらおう」

 アンシャルは几帳面に礼を口にすると、薄い種なしパンで包んだ(うずら)のワイン煮らしきものを受け取った。

 なかなか上品な味わいだったが、何かものたりない。

「きみ……チーズはないのか?」

 アンシャルが給仕を呼び止めて尋ねると、給仕は曖昧な笑みを浮かべた。

「チーズですね、すぐにお持ちいたします」

 酒を飲みながら待つほどもなく、別の給仕が足早に近づいてくると盆を差し出す。

「どうぞ、旦那さま。お待たせいたしました」

 アンシャルはこの給仕にも礼を口にして、小さい皿に載せられた料理を皿ごと受け取った。

 ありがたい、片手は酒杯でふさがっているのだから、料理を一緒に置くべき皿が必要だったのだ。

 見下ろすと、運んで来られた料理はクリームチーズと細葱、ローストビーフをあわせたものだった。体裁良くクラッカーに載せられている。

 アンシャルの脳裏を、ダンカーの吐き捨てるような言葉が駆け巡った。

「ここの兵営の料理ときたら薄味でいけねえ。チーズにも腸詰にもハムにもお目にかかれねえし、ベーコンなんかかけらもねえんだぜ」

 ダンカーの言うチーズは、たいてい、堅いチーズに決まっている。それはポケットに入れて持ち運べるし、塩もきついから、行軍する兵士(ゾルダル)が大好きな食品だ。

 勿論例に漏れずダンカーの好物でもある。

 ふうむ……。

 アンシャルは再び持って来られた料理を見下ろした。

 クリームチーズは堅いチーズに比べて薄味な事が多い。

 特に、この地方で作られるものはそうだと聞いている。

 そして、そんなクリームチーズはしばしば塩漬の魚卵とあわせる事が多いのだが、そうしたものは見られなかった。

 本来漁港であるこの町なら、塩漬魚卵などありふれたものだt思うのに、だ。

 それとも、あえて避けているのか?

 料理は旨かったが、どうもそのところがひっかかった。

 そう。全てを考え合わせると、ダンカーの話は正しい。

 この園遊会で出されている軽食も、なぜか塩は薄いようだ。

 そして、酒は赤ワインのみ。

「あなた、最近よそからいらっしゃったのでしょ?」

 アンシャルの目にはいささか豊満にすぎる夫人が話しかけてきた。

「ええ、つい先日こちらに到着したんです」

「まあ、お若いから大学にいらしたのかしら」

「ええ、まあ……そんなところです」

「チーズを求めていらしたわね」

「お聞きになっていたんですか」

 夫人は訳知り顔になった。

「ええ、ええ、よそからいらした方はなぜか皆さんチーズがお好きで……」

 アンシャルは肩をすくめて、小皿を少し持ち上げてみせた。

「この町の料理は少し薄味ですよね」

「ええそうよ。前はそうでもなかったんだけど、尊者がいらしてからあまり塩は使わなくなったから」

 出た! 尊者だ。

 アンシャルは上流社会でどのように尊者の噂がされているかを耳に入れにきたのだ。

「どうしてですか?」

「あの方は法話でいつも、塩が体に及ぼす害についていろいろと教えて下さるのよ。あなたはお若いから塩気がほしいでしょうけど、尊者のお話をちゃんとうかがって、塩は控えた方が長生きできますわよ」

「興味深いですね、奥さま」

「そうでしょう。明日にも、聖堂の朝の礼拝にいらっしゃいな」

「おう……」

 アンシャルは呻いてみせた。

「朝早いのは苦手です」

 勿論そんな事はないが、学生はだいたいそんなものだ。兄が大学に通っていたから、見ているのでわかる。

 夫人はくすくすと笑い、扇で口もとを隠した。

「だったら、夜の礼拝にいらっしゃい」

「へえ……夜にも礼拝があるんですか?」

「ええ。朝早いのが苦手な方たちのためにね」

 ……おかしい。

 アンシャルは酒杯で顔を隠しながら夫人から視線をそらせた。

 他の客と同様、ぶらぶらと別の場所へと歩いていく。

 夜に礼拝だと?

 そんな事、特別な祭日でもない限り、普通の教会でするものか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ