狼の帰還
規則正しい靴音。
「銀鴉尉どの、兵士ダンカーが参りました」
「通してくれ」
「はっ」
扉が開いた。
ぴしり、と敬礼したダンカーの眸が瞠かれた。
「扉を閉めろ」
ダンカーが後ろ手に扉を閉じた。
「話があるなら聞こう」
ダンカーは二、三度、何か言いかけては口を閉じたが、餓えた狼のようにアンシャルを睨み付けた。
「再教育隊に半年もぶちこまれたんだぞ」
さもありなん。
ダンカーは以前にも増して鍛え上げられ、研ぎ澄まされていた。
しかし再教育隊とはそもそも、品行の悪い兵を送り込むところだ。普通の教育隊とは違う。
だが、これには当然、わけがあった。
「わかった。話そう……。この前の任務の後、貴様が復職できるか運動してみたんだ。ここだけの話、さるお方も力を貸して下さっていた」
さる方とはロサミナという名で旅した貴婦人の事だ。
アンシャルは眸を閉じた。
事実、「ロサミナ」は力の限り圧力をかけてくれていたのだ。
しかし。
自分の力不足もある。
だが……。
「誰をぶん殴ったかは俺が一番良く承知してるぜ」
すねたようにダンカーは言った。
そもそもダンカーが降等されたのは、上官を殴ったからだ。
それは、問題の上官が汚職を行っており、そのためにダンカーが所属していた師団のほとんどが死んだのだ。
アンシャルとて、その男には応分の責任をとらせたいと思う。
しかし、生憎とその男はさる有力な公家の出だ。
……聖咒兵団の将兵が、俗世のしがらみは全て立ちきっているというのは建前だ。
残念ながら、やはり俗世の権力は影響力を持つ。
それゆえその男が軍法会議にかけられる事はなかったのだ。
ダンカーのした事に快哉を叫んだ者は多かっただろう。
だが生憎と、表面的には上官殴打事件に他ならず、それは軍法会議に相当する。
そしてダンカーには、護ってくれるような背景はなかった。
だからこそ、常識に反してダンカーだけが、一兵卒にまで降等されたのだ。
そして今回も、「ロサミナ」の後押しがあったにもかかわらず、復職はかなわなかった。
それどころか、問題の男は(殴打された恨みだろうが)ダンカーには不名誉除隊か一生涯兵卒のまま昇進を拒むつもりだったらしい。
「ロサミナ」の後押しがあってさえ、勝ち取れたものは小さかった。
「受け取れ。ダンカー」
アンシャルは一番上の抽斗を開くと、この二週間というもの温めてきた品物を机の端に置いた。
それは軍曹の肩章と襟章、袖章だった。
ダンカーは触ったら火傷するとでもいうかのように、おっかなびっくりそれに手を伸ばした。
「貴様のものだ。着けろ」
アンシャルとダンカーの眸が合った。
かつてのダンカーは銀狼佐であったという。
それに比べると、あまりにもちっぽけな階級だ。
だが、ダンカーはにやりと笑ってそれを取った。
お互い、何も言わなかった。
けれども、アンシャルの言いたい事はこれで伝わったのだ。
すなわち、底辺からではあっても、再び昇進する道は示されたという事だ。
アンシャルはダンカーの身上書を思い起こしていた。
ダンカーは士官学校の出ではない。
幼年学校から兵学校に進んで、軍曹に任官し、線上でのしあがった男なのだ。
道さえ拓ければ、再び出世していく事も難しくはないはずだ。
「貴様は才教育課程を修了して原隊に戻された」
ダンカーが怪訝そうにアンシャルを見る。
はたして、銀狼佐だった隊に戻るのか?
だが、そもそもその隊は、壊滅してしまっている。
「私の下で働けという事だ」
そっけなくアンシャルは言った。
「任務については別途説明する。兵舎の割り当てを受けろ。本日は休日扱いだ」
再びダンカーは一瞬にやりとした。
左手に階級章を握って扉のそばで向き直ったダンカーは、去り際に言った。
「昇進おめでとうございます、上官どの」