初恋の日
初恋の日によせて。
異性への憧れというのは、小さい頃からあると思う。
かけっこが早いS君、泳ぐのが上手いN君、勉強のできるT君、今までたくさんの身近な男の子を好きになってきた。
テレビに出て来る人を好きになる時も、見た目やちょっとしたコメントの上手さ、垣間見える性格から簡単にファンになる。
でもこれまでは、どれもこれも片思いを楽しんでいただけで、その人と話したい、ずっと一緒にいたいなんて思わなかった。
つまり「初恋」とまで名づけるほどの思いは、この歳になるまで持ったことがなかったかもしれない。
そんな藤堂優愛17歳、本日ただいま初恋に落ちたようです。
いつかは恋をするんだろうなとは思っていた。
けれどまさか相手が大木悠太君だとは思ってもみなかった。
大木君はクラスの中でも目立たない大人しい男の子で、女の子に声をかけることなんか滅多とない。
平均的な容姿、平均的な学力、友達も野郎ばかりのどこにでもいる男の子だ。
同じクラスになって五か月以上になるけれど、眼鏡をかけているので目が悪いのかなぐらいの認識しかなかった。
それが二学期の係を決める時に彼と同じ美化委員になった。
美化委員というのも平均的な生徒がなる役員だ。
つまり私も見た目や学力、運動神経、どれをとっても平均的な女子ということになる。(笑)
大木君は男子には珍しくちゃんと委員会に出席してくれたので、真面目な人なんだなーとは思っていた。
クラスでの掃除当番を決める時にはホームルームで積極的に発言して、皆に今年の美化委員会の目標を説明してくれた。
そして掃除する場所のローテーションもさっさと彼が決めてくれた。
先生への報告は、コーラス部の部活のついでに私が報告書を持って行った。
うちの担任は音楽の先生なのだ。
しかしその報告書を書いたのも大木君だ。
大木君から報告書を渡された時、意外と綺麗な字を書くなぁと思ったことを覚えている。
部活の後、市営図書館へ寄って借りていた本を返していると、近くで女の子の声がした。
ふと目を向けると、大木君と二人の女の子がそこにいた。
女の子は中学校の制服を着た子と小学校のランドセル姿の子だ。
珍しい。
大木君が女の子にモテてる。
そう思ったのが最初の印象だったけど、小学生の方の子が「お兄ちゃん」と呼んでいるのを聞いて、妹さんだということが判明した。
大木君は自分が選んだ本を近くにいたお母さんらしき人に渡した後、妹たちの本選びに辛抱強く付き合ってやっている。
妹二人も大木君のことを本当に頼りにしているみたいだった。
いいお父さんになりそう。
そんな風に思った時に、自分が大木悠太に向かって、真っ逆さまに落ちて行っているのがわかった。
これって突然来るもんなんだね。
今まで何とも思っていなかった人に、こんなに簡単にやられちゃうなんて。
ガツンと一発ノックアウトを食らったみたいだ。
「藤堂さん!偶然だね。あの書類、銘尾先生に渡してくれた?」
ふと顔をあげた大木君にそう言われただけで、顔が真っ赤になってきて言葉がすぐに出てこない。
コクコクとぎこちなく頷くのが精一杯だった。
どうしたっ、私。
自分自身にツッコミを入れるが、喉には急に塊が詰まってしまったかのようだ。
「あの…じゃ、また明日。」
やっとのことで絞り出した挨拶を素っ気なく告げると、私はくるりと踵を返した。
「ありがと。じゃあね。」
私の背中越しに妹さんが「誰?彼女?」と聞いている。
「いや、ただのクラスメイト。」と言う大木君の言葉に少し寂しさを感じながら、私は図書館を後にした。
まいったなぁ。
困ったなぁ。
どうしよう。
この三つの文を何回も繰り返した挙句に「考えてもどうにもならないよね。」という諦めの思いが湧き上がって来る。
戦わずして負けるの?
そんな言葉も聞こえてくるが、なにせ接点がほとんどなかった人だ。
友達になるだの付き合うだのといった事にはまずならないだろう。
何しろ友達になりましょうなんて私自身が言えるわけがない。
世の中には簡単につき合い始める人たちもいるが、真面目過ぎる私と大木君じゃ難しい事案だ。
そんな秋の始めの考えが間違っていたことに気づいたのは、10月30日 月曜日の「初恋の日」だった。
ラジオで初恋の日というものがあるということを聞いてきた一人のクラスメイトが、皆にこのクラスでカップルになりそうな二人の予想投票を促したのだ。
クラス委員の高見君と手芸部のねねちゃん。
サッカー部の賢二君とバレー部の戸田さん。
この辺りは皆の予想通りにつき合う寸前だったらしい。
「何でわかったのー?!」
というねねちゃんの甘い嬌声がクラス中に響き渡った。
そんな中、天文部の大木悠太君とコーラス部の藤堂優愛の投票も多かったらしい。
これには驚いた。
私たちは委員会で必要な言葉以外交わしたことがなかったのだ。
「忍れど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」
平兼盛
クラスメイトたちは揃って去年の冬に習ったこの百人一首の句をそらんじた。
そんなお節介なクラスメイトたちのおかげで、大木君と私は一緒に下校しているところだ。
さっきから大木君が何か言い出そうとしては、ゴクリと唾を飲み込んでいる。
まるであの秋の日の図書館での私のようだ。
私は照れてうつむいていた顔をあげて、大木君ににっこりと微笑んだ。
お互いの目と目がしっかりとあった時に、言葉にはならない思いが行き交ったような気がした。
手を伸ばした大木君の大きな手の平に、私はそっと左手を重ねた。
お幸せに!