吸血鬼の深遠
一見ふつうの男性にしか見えませんけれども。
やはり異世界の人にあらざるものなのでしょうね。
人を引き付けてしまう美しき異形。
吸血鬼さまが、本日のゲストのようです。
「どのような用があって、呼び出したのかな。はかなき人族の娘よ」
そう問いかける声にさえ、甘い響きが隠されています。
「永久の時を刻むお方。私から呼び出した訳ではございませぬ。ここは心の憂いを吐き出す場所。主さまがここにいらっしゃるのは必然かと……」
それを聞くと貴公子はゆるりと頷くとその身をソファーに預けてしまった。
そのまま陶然と時が刻まれてゆくかに思えたが、貴公子は特に関心も持たないかのように、ひとつの問いを投げかけた。
「人の子の命はあまりにも短い。それを理不尽とは思わぬか?永久を渇望はせぬのか?」
そうですわね。
確かに人は不老不死を望んできたのでしょう。
必ずくる死から逃れるすべを狂おしく探していたのかもしれませんね。
けれど。
「不老不死を望むものもおりましょうが、それでも人の子の叡智は死を安息と捉えます」
けだるげに聞いていた吸血鬼の定めを生きるものは、それを聞くとようやくひたと私を見つめた。
「なるほど、たしかに私がここに来たのは必然であった」
吸血鬼は倦んでいたのだ。
永久にあるということは、新たな息吹を持たぬままに時をさすらうこと。
生まれたばかりの幼子の、生きる喜びを携えた命の輝きも。
この世の不思議に胸をとどろかせる好奇心からも遠ざけられて。
「呪われた一族なのかも知れぬ」
そう嘆息する吸血鬼には、もはや絶望も感じられなかった。
そう。
死を恐れながら、その安息の腕に抱かれる約束に安堵して人は今を生きる。
だからこそ死から遠ざけられたものを厭うのでしょう。
バンパイア・アンテッド・ゾンビ
呪われた化け物として恐れてきたのは、死ぬことを許されてはいないからでしょう。
「永久の旅人なのかもしれませんね。あるいは世界の観察者。またはこの世界を記録する者なのかも」
少しだけ興味を覚えたように、吸血鬼の瞳に光が蘇っていた。
「我らにも存在する意味があると、人の子は言うのか?」
その言葉には痛烈な罵倒が潜ませてあった。
下賤な人の身で、永久を生きるものに意見するというのか?
吸血鬼の矜持がひたひたと押し寄せてくる。
けれど……
「命に限りがあるのは、人の子も吸血鬼も同じでございますれば。」
今度こそ吸血鬼はその怒りの矛先を私に向けている。
けれど。
ここは安全な場所。
どのようなものであっても、その安全は保障されているのです。
「星にも寿命はありまする。そして宇宙ですらもいずれは死が訪れ新しい宇宙が誕生しています。生と死は表裏一体。表だけで裏側がないことは理としてありえないのですから」
それは不死をかこっていた吸血鬼には十分な衝撃を与えたようだ。
「世界が終わるというのか?」
その目はそれを考えたことがないかのように見開いていた。
不思議なことだ。
終末論はいく度もひとの口にのぼったろうし、星々が流れ落ちるのを見て来たろうに……
星が終末を迎えるならば、その世界の一員である吸血鬼にも同じく終末がくるというのに……
吸血鬼は倦みにまかせて、観察と学びを放棄してしまっていたのだ。
まるで自分が本当に不死でもあるかのように不遜だったのです。
理から外れたものが、世界に存在することがある筈もなかった。
「ねぇ、夜空に光る星々がなぜあのように美しいかご存知ですか。あの星々のいくつかはきっとはるか昔に終焉を迎えているのです。すでにこの世にはない光が、長い長い時を経てようやく私たちのところに届いているのですわ」
吸血鬼の余裕ははがれおちて、ただ不思議なエネルギーがその身体に巡りはじめていました。
ずっと昔に忘れ去っていた、生きる喜びを身体が思い出したとでもいうように。
「そのような宇宙の神秘を、どうやって人の子が知りえるというのだろうか。およそ瞬きする間しか生きてはいないと言うのに」
それは私に向けられている言葉ではなくて、ただ自分に問いかけているだけだった。
その姿は、難しい難問に挑む学者のようでもあり、自分ひとりで初めて洋服のボタンを留めようとする幼子のようでもあった。
だから私は、もうなにもする必要はなかった。
ただゆったりとこの安全で穏やかな場所に身を委ねているだけでいい。
今日は満月のようで、煌々とした光がこの部屋にもさしこんでいる。
満月は美しいが、闇にその身を受け渡したような下弦の月もまた魅力的ですよね。
わたしはそんな風に、のんびりと月を楽しんでいた。
吸血鬼どのが、ぞんぶんに思考を楽しめるように。
哲学者という人種は、私とは遠く離れた世界にいる人々だけれども、今の吸血鬼どのには、最も身近に感じられる人種に違いない。
ふっと気が付くと砂時計は残りわずかになっていた。
沈思黙考している吸血鬼どのは、きっと砂時計の最後の一粒が落ちる音にも気がつかないだろう。
そう思ったとき、私はその最後の音を聞いたのでした。