信仰の終わり、またの名を改宗
1
平野には数百のアフリカの土人の骸が転がっていた。
ついさっきまで彼らの暗黒の肌は陽光に煌いていた。今は血でぬめり輝いている。
植民地部隊の防御陣地は蛇行した喬木林に沿って構築されていた。野戦中隊に与えられた二丁のマクシム機関銃が三十メートル間隔で設置され、その間隙はドイツ人の兵隊とアスカリ(アフリカ原住民の傭兵)、アラビア人傭兵たちが埋めている。側面は懸崖だったので、左右から原住民に奇襲をかけられる可能性はなかった。
戦闘はものの三十分で終わった。一方的な虐殺だった。吹き矢や槍、先込め銃で突っ込んでくる土人たちは植民地軍の正確なライフル斉射の前になすすべもなく倒れていった。
「大勢殺っつけたな」
死体に埋め尽くされた平野を満足げに眺めながら、中隊長のフォン・グレニッツ大尉が言った。
「こっちも一人倒れました」
そう言ったのは曹長だった。
「誰が殺られたね?」
「倒れたのであります」
「倒れた?」
「リューベック出の新兵です」
「ああ、つまり熱病か」
「はい。もうダメであります」
「家族持ちかね?」
「故郷に妻子があるそうです」
「その兵士は勇敢だったかね?」
「はい。熱にうなされながら三人を撃ち倒したのであります」
「よろしい」
大尉は血の海から少し離れた見晴らし台を指差した。
「息を引き取ったら、あの高台に埋めてやり、軍医と隊付き事務官には彼を戦死者として名簿につけるよういっておきたまえ。病死者ではなく、戦死者だ。それで遺族が受け取れる年金がぐんと増える」
平野では部下のレードル少尉とシュトラウゼル軍曹が遺体の片付けを指揮していた。遺体を一ヶ所にまとめて焼き払うのだ。この戦場は交易路から遠くない。土人の死体を放置してしまうと人畜に有害な猛獣を呼び寄せてしまうし、腐るにまかせては疫病の原因になる。
手押し車に死体を乗せて窪地に放り込んでいると、アスカリたちが大きなナタを手に目を輝かせながら、敵の死体を切ってもいいかとたずねてきた。彼らが指差す大柄の死体は腰蓑に徽章を剥がした白いドイツ軍套を羽織っていて、手足には刺青がほどこしてあった。アスカリたちは、この土人は名うての勇士だったから自分たちがこの男を殺した証がどうしてもほしいのだと訴えている。
シュトラウゼル軍曹がどうしましょう、とたずねた。少尉は、
「好きにしたまえ」
と、ぞんざいに答え、乾いた地面から出っ張った白い岩に腰かけた。
軍曹が切ってもいいと仕草で教えると、喜んだアスカリたちはあっという間に土人を切り刻んだ。数分後、手足と首のない死体が穴に放り込まれた。
「少尉殿、今度はあの連中が……」
レードル少尉が目線を上げると、アラビア兵とドイツ兵が土人の首飾りをほしがっていた。美しい瑠璃色の石が連なったもので、結構な値段になりそうな代物だった。
若い少尉はいらつき、声を荒げた。
「好きにさせたまえ。いちいちそんなことを僕にきくな」
軍曹が好きにしろ、と言うとドイツ兵とアラビア兵は戦利品をポケットいっぱいにつめ始めた。
そんなことをしていたので、死体を一ヶ所に積み重ねる作業はちっともはかどらなかった。兵士たちはしょっちゅう水を飲み、機関銃弾をもろに浴びてボロボロになった死体の運びにくさに毒ついていた。
だが、正午から他の部隊も死体運びに加わったので三十分後には平野の真ん中に死体の山が積み上げられた。
ガソリンはまだ来なかった。通常死体を焼く場合は近くの村の家屋を取り壊して薪代わりにしていたが、今日の戦闘には総督府の役人と著名な冒険家、そして本国から新聞記者がやってくる予定だったので、特別にガソリンを使って燃やすことになっていた。万事きっちり処理していることを見せつけるためだ。ガソリンを多めにまけば、死体は骨まで焼き払われる。疫病の根を残してないことをアピールする狙いがあったのだ。
レードル少尉は巻き煙草をつけた。なるべく遠くを眺める。巨大な雨雲が地平線のジャングルをなでている。ジャングルから一本の川が突き出ていた。それを目で追う。二つの丘を走っているあたりで川面が赤くぎらついた。大地が吸いきれなかった土人の血が川にまで流れ込んでいた。ドイツ人兵士はジャングルを出たり入ったりしている。平野では日差しがきつく、ジャングルは蒸し暑い。どちらにも耐えかねてうろうろしていた。
隊の弛緩を感じ取った少尉は自分の分隊を整列させるため、立ち上がった。
意をくんだ軍曹がドラ声で号令をかけた。
「分隊整列!」
規律の雷撃がほとばしる。野放図だった部下たちが駆け足で集結し、担え銃の二列横隊で並んだ。
少尉は悲しげにため息をついた。彼は牧師の息子だった。子供のころ、なにか困難に直面したときは聖書の一節を口ずさんで支えにした。だが、今では聖書の一節を思い出そうとしても、その言葉は手足を切り取りたがるアスカリやジャングルと平野を行ったり来たりする愚か者たちの笑い声にかき乱され、ひどく意味のない、すさんだ、馬鹿げた言葉に変じてしまう。
少尉は言葉を思い出すのをきっぱり諦めた。
十分後、フォン・グレニッツ大尉が少尉を呼び出した。
ガソリンが届いた。大尉の命令はガソリンを全て消費して土人を盛大に焼き払うことだった。
「火はまだつけんでいい。視察隊がやってきてから点火する」
こうして整列した分隊は馬車からガソリンの缶を運び出し、死体の山のまわりに置いた。アスカリたちはしぶしぶ死体の山に登り、頂上からガソリンをばら撒いた。
空になった缶が放り捨てられ、次の缶が持ち去られる。
道のほうから、エンジン音が聞こえてきた。見ると、捧げ銃の歓迎を受けたオープンカーが一台、平野のほうに入ってくる。
オープンカーはジャングルの縁で停まり、そこでフォン・グレニッツ大尉がステップに乗った。
オープンカーは死体の山から三十メートルほどのところでまた停車した。
レードル少尉が呼び出された。
「彼らはどこの部族かね?」総督府の役人がきいてきた。
「谷の向こうに集落をつくっていた部族です」冒険家が代わりに答えた。
「彼らは何をしたんです?」と、新聞記者が質問した。
「ドイツ帝国臣民の農場を襲い、一家と使用人を皆殺しにしました。それにこちらが和解勧告のために送った宣教師を拘束しました。今ごろは殺されているでしょう」
大尉は他にも何か話してやれと少尉に促した。少尉が言った。
「インド系住民の店を二軒焼き打ちにし、綿花倉庫の管理人を殺しました」
「半年がかりで追いつめた部族です」と、大尉。「やっと叩き潰せました。彼らのおかげでこの一帯の経済活動は深刻な打撃を蒙りましたから」
「捕虜はいないのですか? 降伏者は?」
「おりません。土人たちは死を恐れないのです。特別な現地信仰を持っておりまして。彼らが信仰する蛇の神が特別な水を与えるのですが、その水を飲むと、弾丸が体に当たる直前に泡に変じてしまうというものです。奇異な迷信ですがね」
その後、総督府の役人とフォン・グレニッツ大尉は教化、文明化、秩序の快復という空虚な言葉で今回の戦闘を偉業として飾り立てた。新聞記者は苦笑いしながら、それらの言葉をメモした。
シュトラウゼル軍曹が現れ、踵を鳴らして報告した。
「準備完了しました」
大尉がうなずいた。火葬命令だ。少尉は幸いとばかりに死体の山のほうへと戻っていった。あんなおべんちゃらに付き合わされるくらいなら、まだ死体の山のほうが可愛げがある。
新聞記者だけは少尉についてきた。そして、少尉の機嫌をほぐそうと大尉の悪口を少しだけ漏らし、あなたの正直な感想もお聞かせ願いませんか、と頼んできた。
「正直、ですか」
レードル少尉は事もなげに死体の山を指差した。
「これですよ……いや、正直に、ねえ……ちょうどいいときに……うん、いま考えがまとまったから」
新聞記者は首と手足がない死体を見つけ、顔をしかめた。間もなく嘔吐してしまい、レードル少尉は記者のカバンとメモ用紙を持ってやらなければならなかった。
「あの、土人は……どうしてあんなふうに……」
「あんなふうといいますと?」
「あなたはあれを見て、なんとも思わないのですか?」
記者が驚いて声を上げた。
「こんな野蛮なことがどうして許されるのです?」
「僕が許可しました」
「なんですって?」
「アスカリたちが体の一部を持ち帰りたいと言ったんです」
「あなたは、それを許可してしまったのですか?」
「禁止する理由がありませんから」
「キリストです!」
記者は叫んだ。
「あなたがキリスト教徒なら、これを許さないはずです。失礼ですが、あなたは土人だ。その残虐性と野 蛮性の点では、あなたは文明化されない暗黒大陸の住人と同様です。恥を知るべきです」
「そうはいわれましてもね」少尉はマッチをすり、巻き煙草をつけた。「僕も死体の山をきずくのはこれが始めてではありません。あなたは文明化とおっしゃるが、アフリカを文明化するなど不可能です。なぜなら土人にも、そして肝心なことにはわれわれヨーロッパ人にも人道の担い手となりうるにふさわしいものがないのです。この大陸では強者にこそ自由がある、というのみです。公共の福祉のために程よく切り詰められたお情けの自由ではない。本物の自由です」
「がまんできない。僕はキリスト教徒です」
「僕もそうでした。父は牧師です。僕がアフリカに行くことを喜んでいましたっけ。宣教活動がアフリカを幸福にすると本気で信じていました。いや、たぶんまだ信じているのでしょう。でも実際、ここに来て改宗したのは土人ではなく、むしろ僕のほうでした。僕は彼らのルールに共鳴しました。ここでは先ほど言ったとおり、力があってこそです。われわれが訪れる前、この地にはいくつもの小さな部族がありました。部族ごとに分かれて平和に暮らしている場合もあれば、戦いにより他の部族を奴隷にしてしまう部族もいたのです」
「そうした悪弊を廃絶するために、われわれヨーロッパ人の……」
「土人たちは部族ごとに文明を持っていました。彼らにとり、戦いは文明と文明の衝突でした。ヨーロッパ人から見れば、みな腰蓑で踊りまわる野蛮人にしか見えないかもしれませんが、実は土人たちの文明は部族ごとにかなり異なるのです。土人たちは自分たちの文明の優勢を槍と弓矢で実証しました。少しでも強い武器、少しでも強い肉体を維持できる呪術や狩猟法を有する文明こそが生き残れたのです。そうやって争いながら弱い部族の文明は破壊され、淘汰され、吸収されていきました」
「あなたはヨーロッパ人に課せられた文明化の使命を忘れてしまっている」
「アフリカの文明化とは、ジャングルの真ん中にパリを創ることだとでも言うのですか? とんでもない! 結局、われわれドイツ人という一部族が雪崩れ込み、自分たちの文明の優勢をモーゼル銃と機関銃で実証したに過ぎません。しかし宣教はうまくいかなかったな。これだけ殺されたのだから、土人は絶対にキリスト教など信じませんよ。僕自身、もう信じることができません。インテリ連中が言う文明も然りです。僕らが勝ったのは一〇〇メートル先の敵を楽々と撃ち殺せる銃のおかげです。神の加護や文明化の使命のおかげではありません。ただ、ヨーロッパ流の理性は僕に物事を客観視させました。僕は確実にアフリカ人になっている。それがわかるのです。僕が土人を殺せば殺すほど、力の掟が染み入っている。僕らドイツ人は雇った土人にドイツの軍服を着せて銃の使い方を覚えさせ、彼らが文明化したと喜んでいますが、事実は異なります。土人たちに銃を与えたその瞬間から僕らはアフリカに取り込まれたのです。例えば、中隊長のフォン・グレニッツ大尉。あの方は才人です。詩を作りますし、リストの難曲もすらすら弾いてしまう。フランス語も流暢です。今でも詩を愛しピアノを弾きます。もちろんフランス語もね。一見するとヨーロッパ式の教養を身につけたまさにヨーロッパ人ですが、もうあの人はアフリカの一部になりました。土人たちを追いつめ、彼らの文明を徹底的に破壊し、殺戮し、自分の文明の優位を誇ることしか考えられません。大尉はしょっちゅうプロイセンの領地に帰りたがっていますが、自分で気づいていないんですね。彼からアフリカを取り上げてごらんなさい。体の一部を引きちぎられたかのようにわめいて、発狂してしまいますよ」
死体の山に火が投じられた。
「ヨーロッパ人がアフリカを侵略している? 悪い冗談だ。実際はアフリカがヨーロッパを侵していくのです。それも精神を侵していくのです。植民地から取れるちっぽけなダイヤや材木と引き換えにね。今にヨーロッパから寛容だの倫理だの理性だのが追い出され、アフリカの掟、つまり力の掟に支配されますよ。ヨーロッパは際限のない殺し合いに目覚めて、自らの文明の優勢を証明しようとするでしょう。アフリカのようにね。結局、キリストはアフリカに勝てなかった。結局、最後に勝つのは彼らなのですよ」
少尉は煙草を捨てて、新しいものを取り出した。マッチを切らしたので記者にせびると、記者は『一九〇八年ヴィルヘルム二世陛下即位三十周年』と印刷された新品のマッチを箱ごと少尉にやった。記者はもうメモもしておらず、完全に圧倒され、震えてすらいた。
「どうしたんです?」
「少尉、あなたは……」記者は切れ切れに言った。「土人も、ヨーロッパ人も、故郷も愛していません。……いえ、愛すらも蔑んでいる」
「ご冗談を! 僕は土人を愛していますよ。熱烈にね。彼らが強いから。力を持っているからです。ライフルや機関銃では到底得られない力。そう、その昔、キリスト教が持っていた力。心を支配してしまう力です。僕はもう完全に、彼らのものですよ」
レードル少尉の視線の先。死体の山がごうごうと燃える。火柱が空を焦がした。
土人たちは炎の中で音を立てて縮んでいく。
ギッ、ギッ、ギギッ。
レードル少尉は黙りこくり、悲しげな音に耳を澄ませた。
2
斜陽が地平線上の山頂に突き刺さり、長く伸びた峰々の影が夕暮れの大地を切り裂いた。
谷の部族たちの生き残りはジャングルの切れ目に出来た高台からドイツ人たちの平野を見下ろしていた。
千人の戦士のうち、生き残ったのはわずかに三十人。その三十人も落ち延びる途中でちりぢりになり、戦士は十人に減った。
あと三日前に捕らえたドイツ人宣教師がいた。
戦士たちの生き残りで族長と思しき大男が咆えた。唄うような、呪うような調子で。
他のものたちも同じように咆えた。
族長は袋から蛇を取り出して、首を切り落とし、その血を飲んだ。
蛇を神とする彼らはそうして神と同化して、あの鉄と炎の嵐の中で死んでいった戦士たちの魂をこの目に見んとした。
だが、見えなかった。
族長は悲しげに首をふった。
「魂が見えないのは、この中に白人がいるからだ」
他のものも同調した。
「首を切り落として生贄にしろ!」
「もっと『水』を授けてもらうんだ!」
「そうすれば白人に勝てる!」
族長は呪術師に石の刃を手渡した。
「師よ。儀式を執り行ってくれ。この白人の血を蛇の神への捧げ物にし、さらなる『水』を授けて欲しい」
年老いた呪術師は石の刃を受け取ると、呪文を唱えながら、おびえるドイツ人宣教師ににじり寄った。
「よせ」
若い屈強な戦士が石の刃を取り上げて、谷底へ投げ捨てた。
「そいつは放してやろう」
族長が顔に激を走らせた。
「部族の最たる戦士のお前が何を言っている!」
「兄よ、もう終わりだ」
「これからだ!」
「俺はもう蛇の神を信じない」
どよめく仲間たちに族長の弟が説いた。
「わからんのか? 白人たちは強い。それは真の神を信じているからだ」
族長は弟を殴りつけた。
「真の神は蛇の神だ! 白人たちの神は偽りだ!」
弟は反駁した。
「なら聞くが、どうして俺たちは勝てない? 真の神を祀る俺たちがなぜ偽りの神を祀る白人に勝てないのだ? それは簡単だ。俺たちは誤った神を祀り、真の神の怒りを買ったのだ」
「証拠はあるのか!」
弟は眼下の平野から上がる黒煙を指差した。
「あれが証拠だ。神の怒りを買った俺たちは白人たちの火でことごとく滅ぼされた。あれだけの仲間が殺されて、俺たちはどれだけ白人を殺すことができた? 一人も殺せなかったじゃないか」
「白人たちが勝てたのは銃のおかげだ!」
族長は腰にくくりつけていた大型拳銃を抜き取った。以前、ドイツ人の士官を殺して奪い取ったものだ。
「奴らが勝てたのは、この銃のおかげだ!」
「ならば聞く。どうして白人たちは銃を持っている? どうして神は、真の神を祀る俺たちに銃を授けてくれなかった?」
「それは……」
「それは俺たちの神が偽りの神だったからだ。真の神を祀った白人たちが神に愛され、武器を授けられ、戦士として生き残ることを許された。白人は真の神を愚弄した俺たちを殺すため遣わされた神の戦士だ」
「蛇の神は『水』を授けてくれた!」族長は叫んだ。「神秘の水だ。敵の弾に当たっても死ぬことはない神秘の……」
「それこそ馬鹿げている!」弟も負けじと叫んだ。「神を信じ、祀るのは森と平原の獣との戦いに打ち勝つためだ! 俺たちは蛇の神を信じ、それにより自然と戦う力を与えられた。そう信じた。俺たちは驕った。神を祀ることを知らぬ獣を打ち倒すことで神の存在を近くに感じたと驕った。だが、実際は違う。それがわかった。白人たちの神こそが本物だ! 白人は俺たちを狩った。俺たちが獣を狩るのと同じように。それは仕方がないことだ。信仰を知らない獣が俺たちに狩られたのと同じように、俺たちが偽者の神を信じたばかりにおきたことだ」
「みなが殺されたことが仕方のないことだと言うのか!」
焼けた故郷。串刺しにされた両親。その目に映った景色が目の奥に熱を持って甦った。だが、信念は曲がらなかった。
「そうだ。俺たちは誤った神を信じた報いを受けたのだ。人は真の神とともに生きるべきなのだ。俺は今から本当の神を、白人たちの神を信じる」
「よくわかった」
族長は銃を抜くと、これは白人の銃だ、白人の弾丸が入っている、と皆に見せた。そして、革の水袋に入っている『水』を全て飲み干し、その場にいる部族のものたちに叫んだ。
「俺はいま『水』を飲んだ。俺に当たる白人の弾は全て俺の肌で泡となり、消える。これは蛇の神の意思だ」
族長は拳銃を弟の手に押しつけた。
「これで俺を撃て! お前はもう白人だ! 薄汚れた背教者め。お前の信じた神が正しければ俺は死ぬ。だが、蛇の神が正しかったとき、死ぬのはお前だ」
「兄よ、もう、やめよう……」
「撃て!」
まるで言葉が引き金を引いたようだった。ドイツ製の自動拳銃が火を吹き、族長はぐっと前のめりになった。そして胸を押さえながら、膝をつき、その巨体は寿命の尽きた大木のように重々しく地に伏した。
銃声が谷にこだました。族長の弟はずっと黙っていた。
こだまが谷に吸い尽くされた。彼はドイツ製の拳銃を谷に投げ捨てた。
自分のナイフでドイツ人宣教師を縛っている紐を切ってやると、「行け」と言ったが、言葉の分からないドイツ人はびくとも動こうとしなかった。弟が自分に害意がないことを感じ取ったドイツ人は彼から離れればたちまち殺されると思ったのだろう。ずっと弟の後ろにつきまとった。弟は辛抱強く、身振り手振りで早く仲間のドイツ人の元へ帰るように伝えようとしたが、結局あきらめ、頭を振った。
「俺は白人に降伏する」彼は言った。「ついてきたい奴は来い。白人の神を信じるのなら、連れて行ってやる」
一人を除いて、みな彼に従った。老呪術師だけは死んだ族長の隣に座り込み、その霊を弔うために枯れ草をちぎって集め、小さな火をおこした。
族長の弟と戦士たち、おどおどついていくドイツ人宣教師は草が腰丈まで伸びた丘を下り、ジャングルへと消えた。
老呪術師は一人、悲しげに唄う。
弔いの煙は細く長く伸びながら、残照の空に溶けていった。