一、プロローグ
一、プロローグ
二〇一二年、冬の寒さが今年一番の日、俺は仲宿商店街を歩いていた。今にも雨が降り出しそうな雲行きだだった。視界には総菜屋、パチンコ屋、喫茶店などが入ってくる。喫茶店では年配の女性数人がおしゃべりに夢中になっている。人通りは多くないが、決して寂れた雰囲気は伝わってこなかった。なにか懐かしいを感じることができた。
仲宿商店街は東京板橋にあり、旧中山道沿いにある。近くに石神井川が流れ、首都高速五線と国道一七号が走っている。このあたり一帯は昔は板橋宿と言っていたらしい。板橋宿は平尾宿、上宿、そして仲宿の三つで構成していたそうだ。板橋宿は中山道第一番目の宿場町として栄え、品川、千住、新宿と並ぶ江戸四宿の一つに数えられていた。
目的地の建物が見えてきた。俺は腕時計に目をやった。時計の針は午後一時五三分を指している。ここまで来るのに一時間半近く掛ってしまった。本来なら一時間もあれば着くところだが、駅の改札を出たときに、本来なら左に行くべきところを誤って右に行ってしまった。自宅がある松戸を余裕を持って出たことがよかったのか、迷ったときにも焦りはなかった。初めて来る場所で迷っているようでは、この場所とは相性がわるいのかもなと俺は心の中で呟いた。約束の五分まえに建物のドアを開けた。
「趣味とかはあるの?」
テーブルを挟んで向こう側にいる面接官は聞いてきた。面接も中盤を過ぎたところだろうか。志望動機や今までの経歴などを聞かれたあとだった。
「旅行です」
別に趣味など持ち合わせていなかったが、学生時代にイタリアやエジプトなど外国に旅行に行ったことがあるのでそう答えた。面接官が自分のことを話し始めた。
「俺も学生時代にハワイに行ったことがあるんだよね」
楽しそうに昔を思い出しているようだった。
次第に雇用関係の話になってきた。
「希望額とかはあるの?」
面接官は聞いてきた。俺は模範解答がわからなかったが、
「頂けるならいくらでも大丈夫です」
と答えた。提示されていた金額は十五万円だった。今までに一五万なんて稼いだことがなかった俺には十分だった。実際に実家に暮らしていて、生活することはさほど困っていなかった。実家には食費も家賃も入れるつもりは毛頭なかった。親の脛をかじれるうちは、遠慮なく甘えようと思っていた。
給与関係で言われたことは、雇用保険は継続二年を経過してから入ること、賞与は年二回、毎年一万円昇給することを言われた。今までアルバイト以外で働いたことがなかった俺は特に不満を持たなかった。
「何か質問はある?」
面接の最後に面接官が聞いてきた。特に質問もなかったが、何も聞かないのも都合が悪いと思った。
「煙草を吸うことは可能ですか」
俺は何を聞いているのだと思ったが、すぐに
「喫煙スペースなら問題ないよ。俺も吸うからね」
面接官は笑顔で答えてくれた。
終始和やかなムードで面接が終了した。採用の結果は連絡すると言われた。
俺はお礼を言い、コートを着て玄関を出た。
あとで知ったことだが、コートは会社に入る前に脱いで、会社の外で着ることがマナーらしい。そんな社会人としての常識を持たない俺が採用などされるのだろうか。
「二月から来てもらえますか」
面接をした男の声だ。
「わかりました。何時に行けばよいでしょうか」
「午後二時までに来てください」
俺は相手が電話を切るのを確認した後で電話を切った。
一月としては今日は温かい。今日の夜から雪が降るという予報が信じられないくらいだ。
壁に掛けてあるカレンダーに約束の時間を記入した。二月から、俺の、今泉遼の新しい生活が始まろうとしている。