プロローグ:エルシエ
クーナが目を覚ましてから一週間。
俺の身体も多少はよくなり、魔術も少しだが使えるようになってきた。
全開状態には遠く及ばないが、ある程度は戦える。
幸いなことに、あれから神聖騎士団の襲撃はなかった。
俺たちはエルシエに向かって旅立っていた。
今は馬車に揺られている。快適さを重視して御者を雇った。おかげで三人、荷台でゆっくりできる。
懸念していた、騎士学校の留年の危機は計算上はぎりぎりなんとかなりそうだ。
ユーリ先輩が手を回してくれたおかげで帯剣式に行って休んでいた分がまるまる公欠になったし、二週間あとには夏休みに入る。
不在時の課題はまとめてエルシエに送付され、夏休み明けに提出すれば問題ないようだ。
騎士学園の夏休みは、ただの休みではなく地下迷宮での猛特訓期間だ。学生たちは、日頃授業にしばられてできない長期遠征などをこの期間でやる。俺達、 【魔剣の尻尾】は、その長期遠征の代わりにエルシエで強くなる。
「クーナ、ソージとなにかあったの? 今までとソージとの接し方が全然違うように見えるけど」
アンネがジト目でクーナを見る。
「そんなことないですよ。私はなにも変わってないです」
口ではそう言っているが、行動が伴っていない。
なにせ、俺との距離が近い。くっつきそうなぐらい近くで、にこにこと笑っている。たまににやっとすると、頬を両手で押さえて顔を赤くしてぶんぶん振ったり。
しかも、ときおり俺の背中に自慢の尻尾を擦りつけてくる。
どれも、今まででは考えられなかったことだ。
「怪しいわね。命を助けられて、やっとソージへの恋心に気づいたのかしら?」
「なっ!? アンネ、なんですかそれ! そんなの、絶対、ないですよ」
クーナがしどろもどろになる。
「そう? 十分ありえると思うけど。前からクーナはソージのことを好きだったわよ。それぐらいは見てわかるわ」
さすが、アンネだ。クーナのことがよくわかっている。
クーナに、アンネには俺たちの関係は告げないでくれと言われている。三人パーティだからこそ、気にしているのだろう。
その割に脇がゆるゆるだが。
「そんなことないです。そもそも私の好みは………」
クーナが必死に見苦しい言い訳を重ねる。
そんなクーナも可愛らしい。
俺はクーナをさかなにほんわかとお茶を楽しんでいた。
「あくまで認めないつもりね。……でも、まあいいわ。私のやることは変わらないし。ねえ、ソージ。一夫多妻制ってどう思う?」
「ぶっ」
アンネの不意打ちに思わずお茶を吹いてしまった。
「いきなり、なんだ」
「見ているかぎり、クーナと一線を越えた感じがしているし、さすがの私も友達を泣かせてまで、好きな人と結ばれることには抵抗があるの。クーナと私、二人を愛してくれる度量がソージにあることを期待しているのだけど」
すごい真顔でアンネは言う。
俺は冷や汗を流していた。
「ソージくん、口元が汚れています」
クーナが甲斐甲斐しく俺の口元を拭いてくれる。
クーナをふぉっくすしてからと言うもの、クーナは俺の世話をやいてくれるようになった。
毎朝、包帯を巻き直したり、体を拭いてくれるぐらいだ。
火傷と瘴気焼けに苦しむ俺にとっては非常にありがたい。
「ねえ、ソージくん、アンネが質問の回答を待っていますよ?」
ほほえみかけてくるクーナ。
目が笑っていない。
俺はクーナがふぉっくすした日に言ったセリフを思い出していた。
◇
。
『ソージくんは絶対に浮気します。これは確実です。変なところが父様に似てます。ソージくんの目は浮気する男の人の目なんです。それも、女の子を泣かせたくないだとか、あの子には俺が居ないとダメだからとか、もっともらしい言い訳をして浮気するタイプです』
あまりにもひどい言い草に言葉を失った俺にクーナは続けた。
『でも、私はそれがわかっていてソージくんに惚れました。あとで枕を濡らすことは覚悟しています……だから、アンネが相手なら許してあげます。私よりさきにソージくんのことを好きになった大事な友達のアンネなら……、でも、それ以上好き勝手するなら』
そのときのクーナの表情は忘れられない。
確かに、笑顔だ。笑顔だったのだ。
『切り落とします♪』
クーナは何を切り落とすとは言わなかった。だけど、だいたい意味はわかってしまった。
◇
「アンネ、その。できるだけ好きな人を泣かせるようなことはしたくないかな」
「そう、つまり。ソージが好きな人に許してもらえば問題がないわけね。わかったわ。先に外堀から埋めるわね」
「……おっ、おう」
「最悪、子供だけでも仕込んでもらえると嬉しいのだけど……私はオークレールの血を絶やすわけにはいかないの。でも、ソージ以外とそういうのは絶対にしたくない。だから、万が一、ソージの好きな人が許してくれない場合、こっそり体だけの関係を結んでもらえると嬉しいわ」
一瞬、冗談かと考えたが、正真正銘本気の目だ。
いろいろと真剣に考えないといけない。
「アンネ、女の子がそんなこと言ったらダメです」
「ええ、はしたないことは自覚しているのだけど。それでも、大事なことだから」
クーナが声を荒げて、アンネが苦笑する。
「ソージ、いつか私が外堀を埋め終わったら、あなたの気持ちを教えてほしい。他のことは全部忘れて、純粋に私のことをどう思っているかを答えて」
これで話はおしまいと、アンネは馬車の窓から外に視線を向けた。
おそらく、これ以上踏み込めば、俺たちのパーティに亀裂が入りかねないと考えてくれたのだろう。
俺の気持ちか……もし、クーナが居なければ、俺はアンネの気持ちを喜んで受け入れたのだろうか? 一度考えてみよう。
相変わらずクーナは尻尾を擦りつけてくる。
たしか、火狐の習性に気に入った異性に尻尾を擦り付けるというものがあると、ゲーム時代に聞いた気がする。
同族にしか感じ取れない無味無臭のフェロモンが尻尾から出ていて、それを擦り付けることで、この人は自分のものだとアピールするらしい。
少し、嬉しい。俺も何かをクーナに擦りつけて俺のものだとアピールしたいが、何がいいだろうか?
◇
途中で2日ほど野営をしながら馬車は走り続けた。
馬車は山を登りはじめた。森を切り開いてできた道だが、しっかりと舗装され快適だ。
エルシエは不便な場所にありながら、先進的な技術や、特産品が多く。人の行き来が多い。だからこそ、コストをかけてきっちりと道を舗装するし、ちょくちょく馬車とすれ違う。
「空気が綺麗ね」
「懐かしい匂いです」
馬車から顔を出して、髪を押さえた二人が口々に言う。
「エルシエか、すごいところらしいね」
エルシエの噂はいい噂も、悪い噂も絶えない。
悪いうわさのほうは多分に嫉妬が含まれている。
「見た目は普通なんですけどね。森に囲まれた昔ながらの集落って感じです。ただ、下手な砦よりも堅牢な城壁に囲まれていたり、村の中に鉄工所があったり、大きな製紙所があるんですよ。蚕を育てて製糸もしてます。あと、特徴的なのはガラスハウスですね。ガラスに覆われた畑で野菜を育てています。知ってます? ハウス栽培って言って、すごく野菜がよく育つし、季節外れの野菜も食べられるんですよ!」
「……それのどこかが見た目が普通だ。むちゃくちゃだな」
そう、エルシエは非常にアンバランスだ。
のどかな山村でありながら、ところどころに超先進的な技術がちりばめられている。
「ソージ、あれ、エルフじゃないかしら?」
「たしかにエルフだ。風のマナによく好かれている」
森のなかを一人のエルフが疾走していた。
手には小型のクロスボウ。栗色の髪で長い耳。エルフと火狐を中心にしたエルシエに近づいていると実感する。
「あっ、ロレクです」
「知り合いか?」
「はい、父様の親友の息子ですね。私のことが好きみたいで、エルシエに居るころはよく追いかけ回されていました」
「……やっぱり居るよな。害虫」
「害虫? ロレクは人ですよ」
「いや、なんでもないよ」
エルシエで一番もてると、クーナは言っていたが。おそらくそれは誇張でもなんでもない事実だろう。
長であるシリルの娘で、この容姿。そして性格もいい。もてないほうがおかしい。
「あっ、ソージくん、そろそろ着きますよ。あの角を曲がってまっすぐ行けば」
馬車が角を曲がる、すると開けた場所が出た。
「エルシエです!」
そこに広がる光景は、大砲でも簡単に防ぎそうな外壁に覆われた、人口が千人にも満たないながらも、圧倒的な戦力と技術力をもつ、世界最強の魔術師であるシリルが治める国……その名をエルシエ。
新章、はじまりました! この章は今まで積み重ねた伏線を一気にほどいたり、世界の真相、クーナがなぜ死ななければいけなかったのか。などなど、色々と盛りだくさんですよ




