第七話:没落貴族
「朝ごはん♪ 朝ごはん♪」
クーナと二人朝の市場を歩いて回る。
屋台で朝食を買ってから、二日後の試験申し込みをして部屋に戻る予定だ。
朝は開いている店が少ないが、屋台なら安くて美味しいものが揃っている。
「それにしてもひどい成績だったな。数学はほとんど完璧だけど、歴史と魔術がひどい」
「ぶぅ、だって他の国の歴史なんて知らないし、魔術は問題のほうが間違っているんです。なんですかあの無駄な術式を例にした問題。構成もおかしいし、そもそも、問題を作った人、意味わからないまま魔術式書いていますよ」
「うん、実際そうだよ。基本、ここの魔術研究なんて、基本となる命令式の意味すら完全にはわかってない。研究者も自分の研究分野ならわかるけど、それを共有せずに秘密にしちゃうんだ。だから、今の魔術はよくわからないけど、こんなふうな構成だったらできましたよってレベルでしかない」
それでも、効果の類似性からある程度共通的な認識が出来ている。その弊害もあって、最初の元になったものの無駄が直されずに、ずっと受け継がれてきていたりもする。
「ああ、書き直したい。いらいらしてくるんですよね。無駄な術式を見ていると」
「ちゃんとした魔術式を教えられるクーナのお父さんはいったい何者なんだろうね」
「ただの偏屈親父ですよ。すっごい浮気性の」
「浮気性?」
「はい、お嫁さんが三人います。私、五人兄弟ですけど、そのうち二人は異母姉妹ですもん」
「それは大変だね。それで、クーナの母さんは不幸なのかい?」
「……ものすごく、幸せそうです。いちゃいちゃして、年甲斐もなく惚気ています。だけど、父様と会えない時間が多くて寂しそうにしたり、他の女の人と一緒にいるときは悲しそうな顔をするんです。幸せだけど、お嫁さんが母様一人だったらって思う時はあります」
クーナを見る限りクーナの母は超がつくほどの美人だ。そんな嫁が居ながらあと二人も嫁を作るなんて最低の男だ。
「だから、私決めたんです。将来結婚するなら、私だけを愛してくれる人と結婚しようって」
「うん、それがいいよ。クーナを一番愛してくれる人と一緒になればいいさ」
心底、そう思う。
だが、クーナ父親の気持ちもわからなくはない。男なら可愛い女の子をたくさん侍らせたい。……結局は本人たちの気持ち次第だろう。
「ほら、おさい……ごほん、ソージくん、あそこの屋台のスープ美味しそうですよ。お肉が入ってますし、お野菜も、素敵」
「クーナ、今、俺のことをお財布と呼ぼうとしただろう」
「ふぁう、そっ、そんなことはないですよ? ほら、はやくはやく」
クーナは俺の手を引き、スープの屋台まで連れて行かれた。
◇
結局、スープを大盛りで二つ買うことになり、一つをクーナに渡す。
スープの中には、くず野菜と切り落とし肉、それにワンタンのようなもちもちした小麦の塊が入っていた。
スープは塩ベース。肉と野菜の出汁が出ていてなかなか美味しい。
「いいですよね。この普通なら捨てるものを集めているからこその、安くて美味しい料理」
「実はこのあたりの屋台って昼は普通に店を開くんだよ。だからそこで出せない捨てるはずの食材をこうして処分しているんだ。店側は空いた時間を使えるし、捨てるものだから材料費が安く済む。朝はやく地下迷宮を探索する連中は、安くてうまい飯で栄養が取れて助かるって寸法だ」
俺はスープを飲みながらトリビアを披露する。
この世界での暮らしが長いので今じゃ日本以上に詳しい。
「いいですね。騎士学校に受かったら、朝一番に出発してここのスープを飲んで、地下迷宮に行きたいです。これぞ、探索者って感じじゃないですか」
「うん、合格したら一緒に行こうか。あとこれ」
俺はクーネの手に一万バルをもたせる。
「なんですか、これ?」
「さすがに現金がないと不便だろ? もっておいたほうがいい」
「そんな、もらえませんよ!」
「誰がやるって言った?」
「へっ?」
「貸しただけだよ。十日ごとに一割増えるから注意してね」
「ひどい暴利! それ、大したことがないように見えてそれ二か月後には二倍ぐらいに膨れあがるじゃないですか!」
「それが嫌なら、特待生で受かって、さっさと地下迷宮に入って稼ぐんだな」
「絶対に受からないと。……このままだと借金のかたに、私の尻尾をもふられます」
「ずいぶんと健全だな」
「どこが!? 尻尾ですよ。ふぉっくすされちゃんですよ!?」
そんな馬鹿話をしている内に、騎士学校の前についた。
今日まで入学試験の申し込みの受付をしているようだ。
「うわぁ、すっごい人ですねソージくん」
申し込み会場には、中庭に専用席を設けているのだが、すでに五十人ぐらい並んでいた。
「例年なら五百人ぐらい受けにくるからね」
「十六才以下限定でもそれだけ来るんですか、びっくりです。私の故郷なんて同年代の子は三十人ぐらいしかいませんでしたよ」
「いろんな国から夢を叶えに来るんだ。こんなものだろう」
「ちなみに特待生枠は三人ですけど、通常の枠はどれくらいですか?」
「確か、貴族枠が百名、一般枠が五十名ってところだね」
「貴族枠のほうが多いんですね。一般人よりずっと少ないのに」
「貴族の場合、小さなころからある程度の訓練も受けてるし、金で魔石をかって力をあげているからね。優秀な人が多いんだ。しつけもされていて教養もある。一般人は騎士学校になんか入らずに免許取って潜るのが普通だよ。だいたいの場合、ろくに魔術も使えないし、ノウハウもないから、浅い階層で小銭を稼ぐか、無理して下層に行って野垂れ死にするんだけど」
「これが格差社会……」
座学があるのは振るい落としの効果を期待しているらしい。
この国と歴史と魔術と数学。どれもある程度の裕福で教養がある家庭に産まれなければ受けることができない。それに、探索者には頭の良さと知識が必要とされる。本当の脳筋が探索者になっても死体の数が増えるだけだ。
もし、実技だけなら今の三倍ぐらいの応募者が来ただろう。
無事、二人で受付を終わらせて帰る準備をしはじめたとき、ひそひそ声が聞こえた。
「ほら、あれ見ろよ」
「ああ、あの没落した家の?」
「噂じゃ、ここを受けるって聞いてたけど、本当に来るのかよ」
「元とはいえ、貴族なんだから一般応募で受験なんて恥ずかしくないのかしら」
そんな声の中、一人の少女が歩いてくる。
元はすごくいい服だったのだろうが、泥に汚れところどころほつれてみっともない格好だ。
美しかったであろう銀髪は、栄養が満足にとれていないのか輝きを失っている。
唯一、腰にぶらさげている長剣だけが場違いに輝いている。
だが、少女はやつれているのに表情はりんとして、歩く姿は気品があった。
綺麗な少女だ。そう思った。クーナも綺麗な女の子だが、その雰囲気から可愛らしいのほうに比重が置かれるのに対して、その子は美しいという表現になる。
順番待ちをしていたはずの受験希望者たちが自然に道をあける。
「一般受験の申し込みをさせていただくわ。名前は、アンネロッタ・オークレール」
受付嬢の手が震えている。
オークレール……その名前は俺も知っていた。
王国の懐刀と呼ばれ、王家の剣の指南役として名を馳せていた大貴族。
……だが、過去形だ。とある事件が起き、今では王国史上最大の汚点と呼ばれ家は取り潰され当主は処刑されている。
だが、俺は知っている。それが冤罪であること、その真相も、なぜオークレールを陥れる必要があったのかも。
「ありがとう。お仕事がんばってね」
「はっ、はい」
アンネロッタと名乗った少女は受付嬢に礼を言うと、さっそうと来た道を戻っていく。受付嬢の顔が赤い。少女の気品とカリスマがそうさせた。
俺たちの横を通りがかったアンネロッタがふと立ち止まった。
そして、クーナの顔をじろじろと見る。
「エルシエの姫君。どうしてこんなところに?」
「ひっ、人違いですよ。姫君なんて、そんな、私はただのしがない。普通の美少女火狐です。溢れ出る気品とかで勘違いされたんだと思います」
「いいえ、間違いないわ。王宮のパーティで会った記憶があるもの」
「人違いですよ。私はアンネのことなんて知らないです」
「私がアンネと呼ぶのを許している人は、ごく一部なのだけど」
「……言いなおします。ここでは私の立場を無視してください。私は、一人のクーナとしてここに居ます。理由は、察してください」
クーナが珍しく真剣な顔をして、凄味がある声で言う。
「あなたにも事情があるのね」
「そういう、アンネこそ、大貴族のアンネがどうして一般応募を? 貴族枠があるならそっちのほうが楽ですよ」
「……私はもう貴族じゃないわ。冤罪で取り潰されたの。無実を訴えるにも、貴族じゃないと話も聞いてもらえない。ここで名誉貴族になって、私はオークレールの名誉を取り戻す」
ようするに、お家の再興だ。
どんな形であれ、貴族の位を手に入れないと話にもならないのだろう。
卒業時にランク3到達でえられる名誉貴族の称号。それが目的で彼女はここに来た。
「アンネ。友達として忠告します。家に縛られるなんて馬鹿らしいですよ。家のことなんて忘れて、自分の幸せのことだけを考えたほうが有意義です」
まるで自嘲するようにクーネは言った。
「確かに、それは正しいわ。でも、私は捨てない。オークレールは、私そのものだから」
疲れきって、それでも誇りにあふれた笑み。
俺は素直に綺麗だと思った。
「アンネも、特待生狙いですか」
「そうよ。今の私は、一文無しだからそれしかないわ。でも、お金と地位を失っても、私にはこの剣がある!」
すっと、腰にぶら下げた長剣をぬく。
刀身は純白。そしてわずかに漏れ出る魔力が、その剣が魔剣だと教えてくれる。……懐かしさを感じていた。俺はかつてその愛剣を携えていた時期があった。
素晴らしい剣だ。だが、素晴らしいのは剣だけじゃない。剣を抜き、構える。それだけの動作に彼女の技量が見て取れた。
彼女の言葉は、剣の性能をさしているのではないだろう。それを使いこなすために積み重ねた修練。それこそがすべてを失った彼女に残された唯一のよりどころだ。
「私も特待生を狙っています。勝負です。アンネ」
「負けないわ。でも、どうせなら特待生三人の枠に二人で入りたいわね」
「ええ」
俺を放置してのスポコン展開が始まった。
アンネは俺たちに背を向けて、ひらひらと手を振る。そういった仕草がいちいち様になっている。
遠くなっていく背中を見送る。
そして、突然、糸が切れるようにアンネは崩れ落ちた。
「アンネ!!」
友達を心配するクーナの声が響き渡った。